イメージがあふれるこの世界の構造を映し出す鏡のように
ジョーン・ジョナスは、約60年間にわたるアーティストとしての活動のなかで、パフォーマンスやヴィデオ、インスタレーションなど複数のメディアを横断的に用いながら独自の表現を探求してきた。2018年、ロンドンのテート・モダンで開催された大規模個展「ジョーン・ジョナス」では、主要な作品の展示、ザ・タンクスで絵のパフォーマンスの上演、シアターを使った映像上映など、施設全体を使ってその多岐にわたる実践が紹介された。同年ジョナスは京都賞を受賞。式典のため来日した際には、授賞式や記念講演に次いでワコウ・ワークス・オブ・アートでの個展の開催など、多忙なスケジュールを精力的にこなしていた。
1960年代、自らの表現手段を模索していたジョナスにとって、ニューヨークという場所がはらんでいた特異性は制作の大きな着想源となった。
「私のパフォーマンスやヴィデオはその特徴的な状況を映し出しています。荒削りでザラついた空気感ー初期のヴィデオやパフォーマンスは、河岸や自室、またはソーホーのアーティスト・ラン・スペースやギャラリーで生まれました」。
例えば、《ジョーンズ・ビーチ・ピース》(1970)は、再開発によってマンハッタンのあらゆるビルが建て壊され、そこに生まれた更地を舞台にした屋外パフォーマンスで、まさに「再び見ることはないであろう環境から生まれた」作品と言えるだろう。この作品の変形である《ディレイ・ディレイ》(1972)は、ロンドンのテムズ川を挟んで両岸に立ったパフォーマーを、観客がデッキから見下ろすという形式で再演された。72年当時、瓦礫の山と化したハドソン川沿いの広大な空き地で、ジョナスと一緒にゴードン・マッタ=クラークらアーティストたちが円を描いたり即興的に動いたりするのを、観客たちがビルの屋上から眺めたという話は、ラフで熱量に満ちた当時のアートシーンを想像させる。
「60〜70年代のニューヨークは、アーティストが住み、作品をつくるのにもってこいの場所でした。物価も安く屋外でのパフォーマンスも難しくなかった。それに、アート業界はみんなが互いのことを知っていて、制作に手を貸し合える仲間がいました」。