• HOME
  • MAGAZINE
  • INTERVIEW
  • イメージの乱反射に見る、60年間の探求。ジョーン・ジョナス…
INTERVIEW - 2019.5.3

イメージの乱反射に見る、60年間の探求。ジョーン・ジョナスインタビュー

パフォーマンス・アートとニューメディアによる表現を融合させた先駆的存在として、様々なアーティストたちに影響を与えてきたジョーン・ジョナス。京都賞受賞に際して来日した作家に、1960年代から現在に至るその活動について聞いた。

文=後藤桜子(水戸芸術館現代美術センター アシスタント・キュレーター)

京都にて 撮影=来田猛

イメージがあふれるこの世界の構造を映し出す鏡のように

 ジョーン・ジョナスは、約60年間にわたるアーティストとしての活動のなかで、パフォーマンスやヴィデオ、インスタレーションなど複数のメディアを横断的に用いながら独自の表現を探求してきた。2018年、ロンドンのテート・モダンで開催された大規模個展「ジョーン・ジョナス」では、主要な作品の展示、ザ・タンクスで絵のパフォーマンスの上演、シアターを使った映像上映など、施設全体を使ってその多岐にわたる実践が紹介された。同年ジョナスは京都賞を受賞。式典のため来日した際には、授賞式や記念講演に次いでワコウ・ワークス・オブ・アートでの個展の開催など、多忙なスケジュールを精力的にこなしていた。

 1960年代、自らの表現手段を模索していたジョナスにとって、ニューヨークという場所がはらんでいた特異性は制作の大きな着想源となった。

 「私のパフォーマンスやヴィデオはその特徴的な状況を映し出しています。荒削りでザラついた空気感ー初期のヴィデオやパフォーマンスは、河岸や自室、またはソーホーのアーティスト・ラン・スペースやギャラリーで生まれました」。

 例えば、《ジョーンズ・ビーチ・ピース》(1970)は、再開発によってマンハッタンのあらゆるビルが建て壊され、そこに生まれた更地を舞台にした屋外パフォーマンスで、まさに「再び見ることはないであろう環境から生まれた」作品と言えるだろう。この作品の変形である《ディレイ・ディレイ》(1972)は、ロンドンのテムズ川を挟んで両岸に立ったパフォーマーを、観客がデッキから見下ろすという形式で再演された。72年当時、瓦礫の山と化したハドソン川沿いの広大な空き地で、ジョナスと一緒にゴードン・マッタ=クラークらアーティストたちが円を描いたり即興的に動いたりするのを、観客たちがビルの屋上から眺めたという話は、ラフで熱量に満ちた当時のアートシーンを想像させる。

 「60〜70年代のニューヨークは、アーティストが住み、作品をつくるのにもってこいの場所でした。物価も安く屋外でのパフォーマンスも難しくなかった。それに、アート業界はみんなが互いのことを知っていて、制作に手を貸し合える仲間がいました」。

1970年のEmanu-el YMHA(ニューヨーク)での《ミラー・ピース Ⅱ》のパフォーマンスの様子 Photo by Peter Moore
©Joan Jonas Courtesy of Electronic Arts Intermix, Gavin Brown's enterprise, Wilkinson Gallery, Yvon Lambert and WAKO WORKS OF ART

道具とパフォーマンス

 《ディレイ・ディレイ》は、観客から離れたところにいるパフォーマーが簡単な小道具を使って、あらかじめ決められた動きやサインを実行するという集団的なパフォーマンスだった。距離によってイメージと動きの認識を覆すことを試みたこの作品は、ジョナスが70年に来日した際に能を見て、その空間表現に影響を受けて生まれた作品だという。

 「能を見て、西洋の舞台芸術とは異なる視覚的演出と音楽を兼ね備えた舞台を目の当たりにしました。脳で使われる小道具の、人の手から生まれたシンプルな形や存在感に惹かれました。パフォーマンスで仮面を使うようになったのも、能面の影響が強くあります」。

 ジョナスがソニーのポータブルヴィデオカメラ「ポータパック」を手に入れたのも、この来日のときであった。「ミニマリストに囲まれていた当時、そこから抜けて、私自身の言語を見出したいと考えていました」。

 その模索の初動が、ポータパックを手に入れる数年前に制作された、鏡を使った連作に見られる。「当時、私の主たる関心のひとつは空間そのものに向かっていました。美術史を学んでいた頃から、絵画や彫刻の空間表現に着目していました。パフォーマンス、インスタレーション、またはフィルムやヴィデオーいずれのメディアにおいても、空間へのアプローチが興味の中心でした。パフォーマーの動きに伴って鏡が移動することで、空間はキュビズム絵画のように変容する。観客の視線を鏡がとらえることも、私の興味をそそりました。鏡は空間を断片化し、視覚的にそのイメージを覆し、観客の知覚に働きかける小道具として非常に魅力的でした」。

 ボルヘスの短編集『迷宮(Labyrinths)』における鏡の記述に影響を受け、ジョナスは当時作品のなかで度々鏡を用いていた。なかでも、《ミラー・ピースⅡ》(1970)は、大型の鏡や板ガラスを抱えた複数のパフォーマーが一連の決められた動作を行うパフォーマンスで、鏡の存在が観客に与える居心地の悪さとパフォーマーの動作への干渉、そして空間の変容が試みられた。

 「身体の動きを考えるうえで、作品のなかの小道具はその位置を変えることでパフォーマーに動きを与え、同時に舞台全体のセットとしても機能します。そして、単体または複数が組み合わさることで作品の内容を表現するのです」。

「ジョーン・ジョナス」(テート・モダン、2018)の展示風景 ©TATE
©Joan Jonas Courtesy of Electronic Arts Intermix, Gavin Brown's enterprise, Wilkinson Gallery, Yvon Lambert and WAKO WORKS OF ART

女性と世界のあり方

 ポータパックという新しい表現手段を実験的に用いたヴィデオ・パフォーマンス《オーガニック・ハニーの視覚テレパシー》(1972)は、女性らしさや女性のイメージを問うものであった。ジョナスはヴィデオという新しいメディアと身体表現を融合させながら、女性に与えられた隠喩的な意味やイメージを探っていく。

 「作品を通じて、物語のなかで女性がどのように表象されてきたかに注目してきました。《火山のサーガ》(1985-89)では、私が知るなかで唯一女性について書かれたサーガを引用しました。いっぽう、《砂の上の線》(2002)は、H.D.(ヒルダ・ドゥリトル)の著作『エジプトのヘレネー』をもとに制作しています。H.D.という女性によって描かれた女性像にはとくに関心がありました」。

 《砂の上の線》は、トロイア戦争の原因とされるヘレネーが、じつはトロイアではなくエジプトにいたという古典史科を引用した、H.D.の叙事詩がもとになっている。ジョナスは、神話においてヘレネーという女性に託された役割やその構造に目を向ける。「物語における女性たちの言語を読み解き、作品を通してそれを伝える──何かを述べるのではなく、対話し、引用するのが私のやり方です。多くの文化で女性は語り部となりますが、物語を考えた人物は不明な場合がほとんどです。『エジプトのヘレネー』が特異なのは、著者であるH.D.自身の言葉の選び方や物事の多面性に関する思考が重要だからです。H.D.のような作家やその著作は、私の関心を肉付けして、触発するのです」。

 この作品は、奇しくもその頃の中東情勢を映し出すこととなった。欧米によってもたらされた中東の分断、そして2001年の9・11同時多発テロ事件など、作品について何かを決めるごとに、ジョナスは当時の世界のあり方を思わずにはいられなかったという。

2014年のハンガービコッカ(ミラノ)での《リアニメーション》のパフォーマンス。画面中央で仮面をつけているのが本人
©Joan Jonas Courtesy of Electronic Arts Intermix, Gavin Brown's enterprise, Wilkinson Gallery, Yvon Lambert and WAKO WORKS OF ART

空間へのアプローチとイメージのレイヤー

 パフォーマンスやその記録を作品に用いる際、ジョナスは複数のイメージを互いに、あるいは身体や舞台装置に重ねる手法を駆使してきた。物語という本来一元的な構造、もしくは映像やパフォーマンスといったタイム・ベースド・メディアのレイヤー(層)をつくり出す意図はどこにあるのか。

 「異なるレイヤーのあいだにどのような作用・反作用が生まれるか、複数のイメージがどのように呼応するかーそれは、空間に詩的な構造を生み出す作業とも言えます。言葉やイメージ、映像を掛け合わせた第三の次元は、別の概念として結実するのです」。

 例えば、《彼らは黙ってやってくる》(2015)では、ジョナスが撮影した蜂や魚、森やその他様々なイメージとパフォーマンスによる複数の映像が、そこで使われている小道具やドローイング、凧などとともに展示された。映像に映る子供たちは、投影されたイメージのなかを動き回り、イメージにふれたり、その輪郭や自らの身体をなぞったりする。それは断片的な要素を複雑に結びつけては切り離し、姿を変えていく自然の儚さという作品のテーマを思わせる。

 音に関する要素もまた、ジョナス作品に複雑なレイヤーを生み出している。《ジョーンズ・ビーチ・ピース》のような音の遅延やズレによって生み出される空間的なアプローチに加え、円錐型のオブジェやベル、紙といったパフォーマーの動きや彫刻的な要素と密接に関わった音が映像やイメージと掛け合わされる。また、近年ではジャズピアニストのジェ イソン・モランとも共演しており、 その共演の代表作《リアニメーション》(2010/2012/2013)は、自然環境に対するジョナスの直接的な言及の端緒となった作品と言えるだろう。アイスランドの小説家ハルドル・ラクスネスの著作をもとにしたこの作品は、氷河の美しさをたたえながらも、気候変動によって溶け出し後退する、その危うさを印象づける。当初レクチャー・パフォーマンスとして発表されたこの作品は、スクリーンとピアノ、映像や音をつくり出すための作業机と小道具によるシンプルな舞台を使ったパフォーマンス、そして更に、インスタレーションへとつくり変えられていった。

 「パフォーマンスが出来上がるまでの過程では、空間における身体の動き、小道具や衣装の選択、映像や音と身体の掛け合い──そういった様々な要素の「撮影」と「編集」を頭のなかで繰り返し行います。一度その状態まで完成させると、そこから変更は加えません。とはいえ、ジェイソンの専門はジャズですから、同じ旋律を弾いていてもつねにどこかにアレンジがあります。いっぽう私も、パフォーマンス中に行うドローイングは一枚としてまったく同 じ絵に仕上がることはありませんし、動きのリズムを少し変えることもあります。そういった微細な差異がとても新鮮に感じるのです」。

 モランが奏でるリフレイン、激しく鳴らされる鈴やベル、紙のがさついた音、氷を混ぜ合わせる音などに、サーミの伝統歌謡が加わる。これらの音に、雪山や生き物のイメージ、そしてジョナスの身体や装置が共振し、複雑な相関として世界を映し出すのである。

《リアニメーション》(2010/2012/2013)の展示風景(テート・モダン、2018) ©TATE
©Joan Jonas Courtesy of Electronic Arts Intermix, Gavin Brown's enterprise, Wilkinson Gallery, Yvon Lambert and WAKO WORKS OF ART

イメージを連鎖させること

 ジョナスはしばしば、自らの作品の再構成や引用による再導入を行い、展示の形態を変えるだけでなく、自らの過去の作品で用いた映像やパフォーマンスの一部を新しい作品に組み込む。それはまるで、複数のテーマやモチーフが繰り返し立ち現れることで、 彼女の作品同士が合わせ鏡のように反射し合い、世界に果てしないイメージの連鎖を生む作業の ように思われる。いっぽう、テート・モダンで鏡を使った初期のパフォーマンスを再演したように、近年、ジョナスは初期のパフォーマンスを再構成版としても発表している。

 「当時の自分に戻ることはできませんから。《ミラージュ》(1976)の上演はとても困難でした。舞台での動きを記譜したノートのすべてを残しているわけではなかったので、当時とまったく同じ振りつけで再演することはできないし、私の身体も、年齢に伴って変わってしまった。でも、そこが格別興味深いと思っています。この作品について、いまでも考えることがたくさんあります」。

 ジョナスは自らを取り巻く世界の変化に真摯に向き合い、独自の言語をつくり出してきた。様々なイメージや現象が重なり合い。相互に影響しながら保たれるその作品は、これからも世界の有様を鏡のように写し続けるだろう。

(『美術手帖』2019年4月号「ARTIST PICK UP」より)