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2018年展覧会ベスト3
(東京国立近代美術館企画課長・ 蔵屋美香)

数多く開催された2018年の展覧会のなかから、6名の有識者にそれぞれもっとも印象に残った、あるいは重要だと思う展覧会を3つ選んでもらった。最後は東京国立近代美術館企画課長・蔵屋美香編をお届けする。

会田誠《セカンド・フロアリズム宣言 草案》(2018) 撮影=宮島径 ©AIDA Makoto, Courtesy Mizuma Art Gallery

 展覧会と一口に言っても開催規模、予算規模、運営母体、開催場所と種類は様々だ。内容の充実に大きく関係するこうした条件を勘定に入れず、一律に展示の良し悪しをはかることは難しい。今回は比較的規模の大きい3つを選んだ。並びは開催順で順位ではない。

会田誠展「GROUND NO PLAN」(青山クリスタルビル、2018年2月10日〜29日)

展示風景より。会田誠《セカンド・フロアリズム宣言 草案》(2018)
撮影=宮島径 ©AIDA Makoto, Courtesy Mizuma Art Gallery

 主催は公益財団法人大林財団、協力はミヅマアートギャラリー、会場は東京、青山通りに面したビルの地下部分である。この財団は「アーティストが都市をテーマに研究・考察する活動を支援する」目的で、2017年度から助成制度「都市のヴィジョン―Obayashi Foundation Research Program」をスタートさせた(*1)。選考委員がアーティストを選定し、これがその第1回展である。

 会田誠という作家の位置付けは、近年ますます複雑になっている。1990年代のデビュー時には、圧倒的な画力とサブカルチャー由来の主題によって注目された。世界的な「絵画の復権」傾向の日本的な現れと受け止める向きもあった。

 その後、会田はどこかにいそうな政治家や海外作家に扮するチープな映像をつくったり、段ボールを素材に集団制作を行うプロジェクト「MONUMENT FOR NOTHING」(2008〜)を展開したりした。ほかの作家が泣いてうらやむ高い画力を相対化し、側面から掘り崩すようにして作品を多様化させたのである。

 その結果、絵画、映像、その他の系統を含めた会田の制作活動全体が、美術の可能性をめぐる思考、いわばひとつの巨大なコンセプチュアル・アート群をなすらしいことが明らかになってきた。「絵が上手すぎるコンセプチュアル・アーティスト」、これはちょっとほかにない組み合わせだろう。

 今回の展示では、さらにそんな会田の制作全体を下支えする社会に対する責任感が全面的に示された。2020年の東京オリンピックを前に、「バカなこと」「テキトーなこと」という道具を用いながら、「おちゃらけてばかりはいられない」閉塞的な現実に向き合ったのだ(*2)。

 コンクリート、金属、重機などの使用を禁止し、人力によって「自然より自然味」に新宿御苑を高層化する《新宿御苑大改造計画》(2001)。「快適なバラック」を目指し、誰でも使える「『新しいスラム』建設キット」を提案する《セカンド・フロアリズム宣言 草案》(2018)。いずれも近代がつくったシステムへの対抗策を壮大なスケールで構想する。上手すぎる絵と、もうひとつの能力、上手すぎる文章が、これらの提案の切迫感を強める。しかも、真剣であることは重々わかるのに、あまりの誇大妄想でこちらの良識を逆なでする不穏さもちゃんと保っている。

 思えば会田がデビューした30年近く前、社会はまだそこそこ豊かで、先鋭的なアーティストの試みを支えようとする組織や助成金がいまよりは多くあった。「都市のヴィジョン」プログラムは、そうした枠組みが部分的に復活したもののようにも見える。その後の年月で擦れた身にとっては、頬をつねりたくなるようなこの優れたインフラが、今後どのように機能するのか。第2回展以降も注視したい。

*1ーー大林剛郎「ご挨拶」『会田誠 GROUND NO PLAN』展カタログ(公益財団法人 大林財団、2018)より
*2ーー会田誠、前掲書の裏表紙部分より

 

ゴードン・マッタ=クラーク展(東京国立近代美術館、2018年6月19日〜9月17日)

展示風景より。ゴードン・マッタ=クラーク《スプリッティング:四つの角》(1974) 撮影=木奥恵三

 自分の勤める館での開催なので本当は反則だ。しかし、私は内容にタッチしていないし、通算30時間超えという勤め先でなければありえない鑑賞時間を費やしたおかげで多くの発見があったので、あえて取り上げたい。

 主催は東京国立近代美術館。テラ・アメリカ美術基金からの助成金を除き、すべてを館の運営費でまかなう、マスコミ等の共催が入らない、いわゆる「自主展」である。マスコミ共催は、リスク回避のためどうしても印象派や日本画、「○○美術館名品展」といったメジャーどころに偏る。マッタ=クラーク展のような内容は、自主展のほかにほぼ実現の道はない。しかし、よほどの工夫がなければ自主展予算で輸送費のかさむ海外作家の十全な紹介は不可能だ。くわしくは端折るが、この展覧会はそうしたぎりぎりのせめぎあいのなかで成立した。

 さて、最初に述べた通り私は結構な時間を会場で過ごした。次々と新しい視点が現れ、全体の構造を組み替えていく、その目くるめく様にはまったのである。

 たとえば、マッタ=クラークのようにプロジェクト・ベースで活動し、物質的な作品が後に残らない作家を美術館においていかに展示するか、という問題。企画を担当した三輪健仁はこの点に強い意識を持ち、展覧会冒頭にこの問いを提示した。会場には展示可能なアイテムとして、プラン・ドローイングや出版物とともにプロジェクトを記録した映像が多数並んだ。映像の中でマッタ=クラークは、木に登ったり肉体労働に励んだりと活発に動き回っていた。

 マッタ=クラークの活動した1970年代の美術は、完成した作品ではなく行為やその過程を重視する傾向を持った。あわせて、作品からなるべく作家個人の痕跡を拭い去り、作品を客体化、社会化しようとした。しかし、モノがなくなると、反比例して行為を遂行する作家本人の存在感が強まるのだということに、私は今回多くの映像を通して改めて気づいた。

 4階の休憩室「眺めのよい部屋」では、7月末からの毎週土曜、奥村雄樹の《帰ってきたゴードン・マッタ=クラーク》(2017)が上映された。奥村がマッタ=クラークとなり、彼の友人だったベルギーのキュレーター、フロア・ベックスを訪ねるという映像作品だ。作中でベックスは、奥村をあくまでマッタ=クラーク本人として扱うというルールに当惑しつつ、奥村と対話をする。ところで、さっき述べたマッタ=クラークの映像に今回翻訳家として字幕を付けたのは奥村である。つまり、マッタ=クラークの口を借りて語っていたのはじつは奥村だったとも言えるわけだ。映像となってマッタ=クラークの元気な亡霊が会場に回帰する。その亡霊に取り憑いて、奥村というもうひとりの見えない亡霊が発話する。

 また、今回は小林恵吾(NoRA)+早稲田大学建築学科と植村遥(小林恵吾研究室)が展示デザインを担当した。マッタ=クラークが生きた環境からの引用が直截的だとして、金網や工事用の足場の使用を批判する声も若干あった。しかし、1日1000人以上の入館者を迎えた会期終盤になると、いわばベタな素材の使用とは切り離されたかたちで、混雑しても人を滞留させない実用性にすぐれた空間の構造が浮かび上がってきた。

 さらに、展覧会は「住まい」「ストリート」「港」「市場」などの主題により章立てされていたが、これらの境界は主題同士の結びつきを妨げないようゆるやかに区切られていた。ある時、マッタ=クラークが立ち上げたレストラン「FOOD」の映像を見て振り返ると、ベルリンの壁に無届でポスターを貼るプロジェクト《壁》(1976)の映像が目に入った。そこで初めて、貼られているのがすべて大量生産の食品のポスターであることに気づいた。2つのプロジェクトは「食」という1点でつながっている。空間をゆるく分節するデザインがこの発見を可能にしたのだった。

 加えて会期中、三輪は関係する書籍を少しずつ会場に置き足していった。なにせ大ボリュームの展覧会、多くの人はこれらをゆっくり手に取る暇はなかっただろう。そこにはたとえば、建物に穴を穿つプロジェクト《円錐形の交差》(1975)の現場がかつてにぎやかなパリ中央市場だったことを示すロベール・ドアノーの写真集『Paris: Les Halles Market』(Flammarion、2012)が含まれていた。この写真集を見ることで、ニューヨークのフルトン魚市場での仕入れシーンから始まる「FOOD」の映像と《円錐形の交差》とが、市場と食の流通という共通のテーマを持っていることに気づく。さらには、流通や循環という点で、樹液がめぐる樹木や物流の拠点である港、都市のインフラである地下水道といったマッタ=クラークの様々な関心事がすべてつながっていることが見えてくる。「建物をぶった切る人」のような従来の単純なマッタ=クラーク像が一挙に複雑化した瞬間だ。

 欧米の国公立クラスの美術館に比べれば、小さな予算と人手で実現された展覧会。しかし他方、共同企画者の平野千枝子(山梨大学)の協力を得、断続的ながら5年におよぶリサーチを積み重ねることができた点では、国内のほかの多くの美術館に比べはるかに恵まれている。このリサーチがあってこそ、見る者に次々と発見を促す展覧会の重層的なつくりが可能になったのだ。企画者個人の努力ではカバーできないレベルで、予算や調査環境は展覧会の仕上がりを左右する。このことはいまの世の中、どんな企画を評価する際にも心に留めておかねばならないと思う。

 

第12回 光州ビエンナーレ「Imagined Borders」(ビエンナーレ展示ホールほか、2018年9月7日〜11月11日)

「Imagined Nations/ Modern Utopias」展示風景より。
ライス・ミルラ《Estudo de Caso》(2018) 撮影=蔵屋美香

 主催は光州ビエンナーレ財団と光州広域市。会場はビエンナーレ展示ホール、アジア文化センター(ACC)および市内各所。43カ国165人(組)のアーティストが参加した巨大な催しだ。

 今回は従来のアーティスティック・ディレクター1名体制ではなく、各国から11名のキュレーター(女性6名、男性5名)を集め、7つのテーマで展示を行う「集団キュレーション・システム」が採用された。「今日のグローバルなコミュニティにおける政治的、文化的、身体的、感情的な『境界』の概念を探る」「文化的コミュニティの多様な声に耳を傾ける」というコンセプトに沿うよう、枠組み自体が改変されたのだ(*1)。声の大きなひとりに任せて物事をさっさと進めるか、複数人で延々と妥協点を探るか、という民主主義の二者択一問題を体現するかのような、面白い組織改変である。

 実際には苦労も多かっただろうが、内容は充実していた。ビエンナーレ展示ホールの「Imagined Nations/ Modern Utopias」の章(キュレーションはクララ・キム)では、チャンディガール(インド)やブラジリア(ブラジル)といったモダニズムの計画都市のいまを検証する作品が集められた。新鮮だったのは、この検証を行う主体がおもに都市の所在国や非欧米圏の作家たちだったこと。欧米モダニズムの外に築かれた欧米モダニズムの粋を、欧米モダニズムの外からの声が問い直す構図だ。

 ACCの「Faultlines」の章(キュレーションはヨン・シム・チョン、イェワン・クーン)には奈良美智が出品した。アイヌ文化への敬意に基づく、日本でもあまり知られていない作品群が選択されており、キュレーターのリサーチ力を感じた。ACCにはまた、北朝鮮の大型リアリズム絵画を存分に見せる章も設けられていた(「North Korean Art: Paradoxical Realism」、キュレーションはBG・ミューン)。

 元国軍病院の廃墟で行われたアピチャッポン・ウィーラセタクンの展示《Constellations》(2018)は、現地でも大きな話題となっていた。暗闇に微かな光が配されたインスタレーションもさることながら、こんなに禍々しい場所が市内中心部に存在する事実、そしてそこを展示に使用するという主催者の決定に気圧された。

 こうしたビエンナーレ全体のトーンを通奏低音のように支えていたものがある。民主化運動を韓国軍が弾圧した1980年の光州事件(5.18民主化運動)の記憶である。とくにACCはもっとも激しい戦闘のあった道庁広場に位置している。昨年はこの事件を扱う映画「タクシー運転手」が韓国で大ヒットし、ムン・ジェイン大統領は光州事件を民主主義のための「誇らしい歴史」と明言した。こうした追い風もあって、これまで見たどの回よりも、光州という街の特別な立ち位置がすべての展示を底から支えている実感があった。

*1ーー光州ビエンナーレ2018ホームページ「Main Exhibition」

展示風景より。アピチャッポン・ウィーラセタクン《Constellations》(2018) 撮影=蔵屋美香

 また、上記以外に次のものが記憶に残った。アントン・ヴィドクルを招いて「ロシア宇宙主義三部作」に続く東京編の撮影をスタートさせ、また講演会「ヒト・シュタイエル:Q&A」(2018年4月4日)の開催を実現したASAKUSAの諸活動。

 タイトルからしてスーパー・キュレーターがすべてをコントロールする時代の終わりを宣言する第10回ベルリン・ビエンナーレ「We Don’t Need Another Hero」(2018年6月9日〜9月9日)。新宿歌舞伎町のビルを舞台に2週間限定で行われたChim↑Pomのプロジェクト「にんげんレストラン」(10月14日〜28日)。いずれも(たぶん)豊富とはいえない資金でゲリラ的に問題提起を行う強力な催しだった。

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