2018.12.27

2018年展覧会ベスト3
(愛知県美術館学芸員・中村史子)

数多く開催された2018年の展覧会のなかから、6名の有識者にそれぞれもっとも印象に残った、あるいは重要だと思う展覧会を3つ選んでもらった。今回は愛知県美術館学芸員・中村史子編をお届けする。

カオス*ラウンジ新芸術祭2017 市街劇「百五〇年の孤独」の展示風景より
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闇に刻む光 アジアの木版画運動 1930s-2010s(福岡アジア美術館、2018年11月23日〜2019年01月20日)

「闇に刻む光 アジアの木版画運動1930s-2010s」の展示風景

 アジア各地の木版画運動に対し、どのような状況で誰が何を思って制作したのかできるかぎり検証し、「民衆の抵抗のメッセージ」などの曖昧な言葉で括られがちなイメージの内実を明らかにしてゆく企画。

 例えば光州民主化運動について光州の外へと伝えるべく、閉め切った部屋で息を潜めつつ刷られた版画。たとえ表現様式が類似していたとしても、その版画が担う意味や機能はそれぞれ異なることがいまさらながら実感される。それはすなわち、人々の抱える苦悩と、その中で版画に見出した可能性は個別であるということで、それら個の存在が、時代や地域を超えて連なり「闇に刻む光」として力強く浮かび上がるのだ。
(2019年2月2日から3月24日まで、群馬のアーツ前橋に巡回予定)

 

麥生田兵吾「Artificial S 5 / 心臓よりゆく矢は月のほうへ 」(Gallery PARC、2018年9月7日〜2018年9月23日)

「Artificial S 5 / 心臓よりゆく矢は月のほうへ」の展示風景 撮影=麥生田兵吾

 写真と生と死なんて、いまや手垢にまみれたテーマ。そんな先入観を真っ向から否定してくれる稀有な写真展である。

 火葬炉など死を直接的に想起させる写真が並ぶいっぽうで、それらイメージに注がれる私たちの眼差し自体を疑い脱臼させる仕掛けも随所に施されている。とはいえ、麥生田はすべてを括弧に入れてメタ化させるわけではない。最終的に鑑賞者は、黒い矩形の中に閉じ込められた自分自身の姿を見ることになる。

 「Artificial S」シリーズは1〜5章に分かれており、今回が最終章となる。1〜5章をまとめて展示する機会があればと強く願う。

 

カオス*ラウンジ新芸術祭2017 市街劇「百五〇年の孤独」(福島県泉駅周辺の複数会場、2017年12月28日~2018年1月28日)

カオス*ラウンジ新芸術祭2017 市街劇「百五〇年の孤独」で配布されたハンドアウト

 慰霊、信仰、破壊からの復興を、いま現在にも繋がる問題として問う「市街劇」。地域史を掘り起こすスリリングな過程含め、言及すべき点は数多ある。しかし、私にとってもっとも忘れがたいのは、途方に暮れつつもあっけらかんとした気持ちで泉の住宅街を歩いた経験そのものである。

 本展では、展覧会の企画意図や諸々の知識を鑑賞者にスムーズに移植すべく、諸情報を記した手紙を読まないと展示会場にたどり着けないという方策が採られている。そして、その手紙を手に心もとなく歩き回る鑑賞者自身が、あたかも廃仏毀釈が徹底された地を彷徨う死者の幻のように見えるのであった。

 首都圏以外の展示は、メディアで比較的取り上げられにくいが、見るべきものは十分にある。そのようなことを考えつつ、ベスト3を選んだ。

 なお、市街劇「百五〇年の孤独」をはじめ、従来の展示空間以外に表現者が独自に場所を見つけて開催するイベントが、一年を通して強く印象に残っている。その例として最後に、野外展示「音羽川百景ー荒木優光、加納俊輔」(音羽川砂防ダム、2018年6月15日〜17日)を挙げたい。人為と自然が折衝し合う砂防ダム公園が、彼らの作品によってアナーキーな異界へと変えられ、私はそこで蛇の完璧な抜け殻を2つ見つけた。