「全部見せます!シュールな作品 シュルレアリスムの美術と写真」(横浜美術館、2017年12月9日~2018年3月4日)
本展は自館のコレクション展というフレームの中で、目一杯の仕事をやり切ろうという意思に満ちた優れた展覧会であった。収集された作品の素晴らしさや、それをより効果的に見せようとする展示技法の巧みさはもちろんであるが、ここで収蔵品への調査研究という視点を忘れてはならない。
コラージュやフロッタージュといった技法の解説や、「夢」「無意識」といったキーワードの提示でもってよしとしない、より踏み込んだ鑑賞を可能とする解説文や章立てもまた深い洞察、日ごろの研究に裏打ちされたものであった(一見軽くみえてしまうタイトルは、むしろ展示内部の強度への自信なくしてはつけられない)。
江上茂雄:風景日記(武蔵野市立吉祥寺美術館、2018年5月26日〜7月8日)
本展については成相肇による優れたレビューがすでにあるが(『芸術新潮』2018年9月号)、私たちが近現代の絵画実践あるいは美術史からいかに「クレパス画」「クレヨン画」を放逐してきたかということへの強い反省を強いるものであった。クレパスないしクレヨンを面として塗り詰めていくなかで、紙は摩耗し擦れ、表面の凹凸をあらわにし、画面に繊細な塗り残しや傷を生み出していく。それ自体が光の粒であるかのような白は、油彩(洋画)や水彩(水絵)とはまた異なる表現を獲得しえている。
1925年に発明された当時最新のメディウムである「クレパス」は、油彩の代替物としての役割や児童教育史のフレーム(もちろんこうした分析も当然重要である)を超えて、今後いっそう検討されるべきものであろう。
修理完成記念特別展「糸のみほとけ-国宝 綴織當麻曼荼羅と繍仏-」(奈良国立博物館、2018年7月14日~8月26日)
「繍仏(しゅうぶつ)」という糸で表現された仏像こそが、日本においては最古の「仏像」であった、という事実は、のんきに仏像=彫刻であろうと思い込んでいた自分にとっては、それ自体大変なショックであったし、飛鳥時代の繍仏(や「残欠」と呼ばれる断片)のほうが、その後の時代のものよりも優れたものに見えたこともまた衝撃であった。
そして何よりそうした信仰と制作を支えたのはほかならぬ女性たちであり、にもかかわらず、彼女たちは社会システムの中で不可視のものであるという事態への肉薄(あるいは例えば色を分けながら経文を縫っていく作業において、自分の髪で梵字を作り出す作業において、彼女たちはまさにいま自分が縫っている文字を十全に理解し得たのだろうか?)。
本展は、硬直した美術史、単純な発展史的理解、男性中心主義といった濁ったスライド板のようなものを、「具体的に」個々の展示物を追うことによって突破しえるという、鑑賞者と展示物と自分たちの研究調査への全方向的信頼に基づいた素晴らしいものであった。