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パリの巨大ギャラリーが東京に上陸。創設者エマニュエル・ペロタンに狙いを聞く

フランスの現代美術ギャラリー「ペロタン」がパリ、香港、ニューヨーク、ソウルに続き、6月7日に東京・六本木に新スペースをオープンさせた。場所は森美術館や小山登美夫ギャラリーなどが入居するcomplex665にほど近く、多くのギャラリーが軒を連ねるピラミデビル。創設者であるエマニュエル・ペロタンに東京出店の狙いと日本への想いを聞いた。

文=かないみき

エマニュエル・ペロタン

|17歳からスタートしたキャリア

──今回東京にオープンさせたギャラリーは、ペロタンさんにとって17番目のスペースだそうですが、そもそもアートを仕事にするきっかけは、なんだったのでしょうか?

 若いころは、あらゆる仕事をしながら、パーティーへもよく出かけたものです。ダンスが大好きでした。実際に、ナイトクラブでネットワークづくりをしていました。当時のパーティーで出会い、良い関係を築くことのできた多くの人のなかには、エディ・スリマンやダフトパンクなど、今では有名なファッション・デザイナーやミュージシャン、振付師などがいます。

 しかしあらゆる仕事を続けるいっぽうで、一種の「フレーム」のようなものの必要性を感じていました。そしてある日、友人の父親が経営していたギャラリーのオープニングへ行くことになり、ギャラリーのオープン時間は14時だということを知りました。14時から19時までの仕事とは、なんとクールなんでしょう! 私のライフスタイルにはぴったりでした。当時の私は劇場、映画、テレビに興味がありましたが、自分自身が何をしたいのか、確かではありませんでした。

 しかし幸運にも、その直後に23歳のギャラリストと出会い、彼は自分よりも若い人間を必要としていたのです。17歳だった私は、アシスタントの仕事を始め、18歳でそのギャラリーのディレクターとなり、4年間働くことになります。

ペロタン東京のオープン前の様子

 働き始めてから、私は即座にコンテンポラリー・アートを、「フロンティア」として理解しました。例えばソフィ・カルというアーティストがいます。彼女はライターに近い仕事をしたり、ビデオと映画、パフォーマンスと舞台を交差させた制作をしていました。つまりあらゆる側面において、私たちは手つかずの分野に取り組むわけです。そのことが非常に面白かった。なぜならある意味「コンテンポラリー・アート」の道へ進むということは、「選択」をしない、ジャンルにとらわれないということですから。そして、フランスではファッションの影響力がとても強いため、私はファッションへの橋渡しもしました。それは、フランスでコンテンポラリー・アートに関心を抱かせるための方法でもありました。

 なぜなら私がこのビジネスを始めた頃、コンテンポラリー・アートは疑わしいものだったからです。古いものは容易に受け入れられ、新しいものはすべて胡散臭く、スマートではないとされていました。私たちは、「明日」を生み出さなければならなかったのです。アート・ギャラリーについてもっと知りたいという一般の観客の欲求をつくり出す必要がありました。当時のギャラリーは、雑誌や新聞でもあまり記事にはならず、「プライベート」な場所とされていました。また、私たちの世代の前のギャラリーは、税制を常に恐れて、ものすごく大人しくしていたんです。

来日したエマニュエル・ペロタン

 私はアートとファッションのコラボレーションも行いましたが、音楽業界にも同じように働きかけました。ギャラリーのオープニングやパーティーを開くときには、コンサートをオーガナイズして、異なる観客とのリンクをつくりました。たくさんのミュージシャンたちが、「初めて訪れたギャラリーは、あなたのギャラリーだった」とか、「あなたからコンテンポラリー・アートを見出すことができた」などと言います。ファッション・デザイナーたちからも、同じようなことを言われます。新しいエネルギーを生み出したことを、とても嬉しく思いました。私の目標のひとつは、80年代とはまったく異なることをすることだったのです。

|「NICAF」から始まった日本との縁

──ギャラリストとして、どうのようにキャリアを積んでいったのでしょうか?

 21歳のときにディレクターを務めていたギャラリーで、いくつかの展示企画を提案したのですが受け入れられず、展示をするために給料よりも高くつくアパートの一室を自分で借りることにしました。そのため展示する作品は、できる限りただちに売れる必要がありました。資金はありませんでしたが、一歩一歩ギャラリーの経営を始めました。たくさんの人たちに助けられてきましたが、「SCAI THE BATHHOUSE」の代表である白石さんも、そのなかの一人です。彼は、私が仕事をしていた数人の作家をよく知っていたこともありましたが、私のギャラリーの良いエネルギーを理解してくれていました。出発点として、ダミアン・ハーストやマウリツィオ・カテラン、フィリップ・パレーノといった作家たちと仕事をしました。

 横浜・国際コンテンポラリーアートフェア(NICAF)のプレジデントだった白石さんは、無償でそのフェアへ私を招待してくれました。彼はとても寛大で、私がそのようなフェアに参加できる資金がないこともわかっていました。日本へ初めて行くチャンスを与えてくれたのが、彼だったんです。作品の輸送費もなかったため、私は自分のカバンに作品を詰め込んで行きました。日本ではとても小さなアパートに泊まり、お昼代を稼ぐために本を売りました。実際に、これが私の参加した初めてのアートフェアとなったのです。1993年のことで、私は25歳でした。

 その後も、94、95年とそのフェアに参加しています。人生において、好奇心に満ちた時間であり、あらゆる観点から日本文化をとらえることができました。「SCAI THE BATHHOUSE」では村上隆も見つけました。ペロタンは日本国外で初めて村上の展示を行ったギャラリーです。私のキャリアにおいて、それはもっとも重要な瞬間でした。たくさんの日本人のアーティストたちと仕事をしてきたこともあり、日本は非常に重要な存在です。一番初めに仕事をした日本人は、平川典俊でした。それから村上、ヤノベケンジ、森万里子、そしてカイカイキキの作家、Mr.やタカノ綾。

「タカノ綾:ゼリゐ文明の書」会場風景 Photo by Claire Dorn ©2017 Aya Takano/Kaikai Kiki Co., Ltd. All Rights Reserved. Courtesy Perrotin

──仕事をする作家は、どのように選んでいますか?

 私は美術史などの教育は受けていませんが、勘が働きました。例えばダミアン・ハーストの展示をしたとき、彼はまだそれほど有名ではなく、周りの評価など、参考にできるものはありませんでしたが、私には感じるものがありました。彼の作品には、何か強烈なものがあったのです。マウリツィオ・カテランを見つけたときも、同じです。カテランも、ちょうど彼のキャリアを始めたところでした。村上隆もまた、いまとはまったく異なる作品をつくっていましたが、私は彼と出会い、彼のエネルギーを感じることができました。時にこのような勘は当たらなかったり、最終的には良い方向へ行かななかったりする場合もあるわけですが。

|東京でギャラリーをオープンする意味

──なぜいま、東京なのでしょうか? 日本のアートマーケットについてのあなたの見解を教えてください。

 東京のアートシーンは、発展してきているように見えます。日本人のコレクターも増えています。そしてまた、日本は私たちにとって、すばらしい場所なのです。日本に来るたびに、空港で私が最初に発する言葉は、「文明世界へようこそ!」です。清潔で整然としていて、人は親切です。そして静かですね。パリやニューヨークのような喧騒はありません。とっても心地よいのです。

 すでにたくさんのギャラリーが存在し、さらにそこにギャラリーをオープンすることがトレンドとなっているようなパリ、ロンドン、そしてロサンゼルスなどよりも、東京に関心があります。そしてまた、私にはすばらしいチームがあるんです。東京のスペースのディレクターは香港から来たステファニー・ヴァイヤンが務めます。世界各地のアーティストたちも、日本での展覧会を望んでいます。

 海外でギャラリーをオープンするとき、あまりフランス人アーティストの展覧会はやりません。あくまで私のギャラリーは国際的であるということを示したいからです。しかし、日本は5か国目のギャラリーであり、これまで実績も重ねてきましたので、フランス人のピエール・スーラージュを選ぶことができました。

ペロタン東京

 東京でギャラリーを運営することは、もしかすると、簡単なことではなく、十分なセールスも期待できないかもしれません。何が起こるかは、わかりません。しかし私は、自分のプログラムを日本に持ち込みたいのです。なにも日本のギャラリーと競争しようというわけではありません。私たちが、カイカイキキと親密に仕事をしていることも関係しています。東京のすばらしいギャラリーが集まる六本木という最適な場所にスペースをオープンできるのは、刺激的なことです。

 この機会に私たちの隣人であるギャラリーにも足を運んでもらいたい。私たちだけでマーケットを独占するのではなく、コミュニティでその規模を拡大していきたいですね。フランスもかつてはそうでしたが、日本でコンテンポラリー・アートはそれほど広まっていない。だから皆のエネルギーを集結して、大きなエネルギーにしていきたい。日本でコンテンポラリー・アートの存在を広めていきたいと思っています。

ペロタン東京
ペロタン東京のオープニング記念展は「ピエール・スーラージュ展」

編集部

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