EXHIBITIONS
宮本隆司「本気にすることができない渋谷」
タカ・イシイギャラリー フォトグラフィー / フィルムで、宮本隆司による個展「本気にすることができない渋谷」が開催されている。
宮本隆司は1947年東京都生まれ。多摩美術大学グラフィックデザイン学科を卒業後、建築雑誌の編集部員を経て写真家として独立。建築物を中心に、都市の変貌・崩壊と再生の光景を独自の視線で撮影してきた。建築解体現場を撮影した「建築の黙示録」(1986)や香港の高層スラムを撮った「九龍城砦」(1988)など、その作品は国内外において高い評価を受けている。
本展は、渋谷川と宇田川が合流する谷底に位置する渋谷を撮影の対象とし、近年の再開発によって変貌を続ける都市の姿を捉えた写真作品を紹介する。宮本は、2020年から2025年にかけて、再開発の進む渋谷の様相を記録してきた。作品は、改修工事の過程で剥き出しになったコンクリート躯体や鉄骨などの構造体を撮影した写真と、街を往来する多様な人々のポートレートを写したスナップ写真によって構成されている。
「私には、いまの渋谷を表す言葉が見つからない。そこで、この捉えどころのない渋谷を〈本気にすることができない都会〉という言葉につなげてみた。スクランブル交差点を囲む建物から発する大音響と広告画像の氾濫。押し寄せ流れくる群衆を刺激し現実離れした様相を露呈し続ける、本気にすることができない渋谷。渋谷の都市改造は、未知なる新たな都市の生成を実現するのだろうか」(プレスリリースより、宮本隆司『本気にすることができない渋谷』インスクリプト、2025、p.117)。
これらの作品は、日々破壊と再生を繰り返す都市の構成物質や、目的をもって集い離散する無数の通行者を通して、かつてない規模と速度で流動する現代の渋谷を写し出している。展覧会タイトルにある「本気にすることができない」という表現は、T・S・エリオットの長編詩『荒地』に登場する一句「Unreal City」を吉田健一が「本気にすることができない都会」と翻訳したことに由来する。群衆や大型広告、工事現場などの喧騒がもたらす現実の渋谷は、宮本の写真において静止したイメージとして提示され、現実と非現実の狭間にある都市の姿を浮かび上がらせる。
宮本隆司は1947年東京都生まれ。多摩美術大学グラフィックデザイン学科を卒業後、建築雑誌の編集部員を経て写真家として独立。建築物を中心に、都市の変貌・崩壊と再生の光景を独自の視線で撮影してきた。建築解体現場を撮影した「建築の黙示録」(1986)や香港の高層スラムを撮った「九龍城砦」(1988)など、その作品は国内外において高い評価を受けている。
本展は、渋谷川と宇田川が合流する谷底に位置する渋谷を撮影の対象とし、近年の再開発によって変貌を続ける都市の姿を捉えた写真作品を紹介する。宮本は、2020年から2025年にかけて、再開発の進む渋谷の様相を記録してきた。作品は、改修工事の過程で剥き出しになったコンクリート躯体や鉄骨などの構造体を撮影した写真と、街を往来する多様な人々のポートレートを写したスナップ写真によって構成されている。
「私には、いまの渋谷を表す言葉が見つからない。そこで、この捉えどころのない渋谷を〈本気にすることができない都会〉という言葉につなげてみた。スクランブル交差点を囲む建物から発する大音響と広告画像の氾濫。押し寄せ流れくる群衆を刺激し現実離れした様相を露呈し続ける、本気にすることができない渋谷。渋谷の都市改造は、未知なる新たな都市の生成を実現するのだろうか」(プレスリリースより、宮本隆司『本気にすることができない渋谷』インスクリプト、2025、p.117)。
これらの作品は、日々破壊と再生を繰り返す都市の構成物質や、目的をもって集い離散する無数の通行者を通して、かつてない規模と速度で流動する現代の渋谷を写し出している。展覧会タイトルにある「本気にすることができない」という表現は、T・S・エリオットの長編詩『荒地』に登場する一句「Unreal City」を吉田健一が「本気にすることができない都会」と翻訳したことに由来する。群衆や大型広告、工事現場などの喧騒がもたらす現実の渋谷は、宮本の写真において静止したイメージとして提示され、現実と非現実の狭間にある都市の姿を浮かび上がらせる。

