EXHIBITIONS
中川幸夫ガラス作品展
ギャルリー東京ユマニテで「中川幸夫ガラス作品展」が開催されている。
日本の前衛いけばな作家として知られる中川幸夫(1918〜2012)によるガラス作品の展覧会が開催。香川県丸亀市に生まれた中川は、1941年に華道家元池坊に属していた叔母のもとでいけばなを始める。戦後、作庭家の重森三玲の推挙により「いけばな芸術」で作品が紹介されると世間の注目を集めるが、白菜を丸ごと生けた作品「ブルース」について家元と衝突し、1951年に流派を去る。その後は流派に属さず、弟子も取らず、独自の花による表現を追求した孤高の作家だ。代表作の「花坊主」(1973)では、900本の赤いカーネーションをガラス器に詰めて逆さに置き、白い和紙に真っ赤な花液が滲み出る、従来のいけばなという概念を覆す表現で高い評価を得た。
本展では、2002年5月、山梨県の富士川ガラス工房で中川幸夫監修のもと、ガラス作家の高橋禎彦により制作されたガラス作品29点を展示。早い時期から作品にガラスを取り入れていた中川だが、花を生けるための器というよりも、等価の素材としてガラスと花が響きあういけばなの表現を追求した。
日本の前衛いけばな作家として知られる中川幸夫(1918〜2012)によるガラス作品の展覧会が開催。香川県丸亀市に生まれた中川は、1941年に華道家元池坊に属していた叔母のもとでいけばなを始める。戦後、作庭家の重森三玲の推挙により「いけばな芸術」で作品が紹介されると世間の注目を集めるが、白菜を丸ごと生けた作品「ブルース」について家元と衝突し、1951年に流派を去る。その後は流派に属さず、弟子も取らず、独自の花による表現を追求した孤高の作家だ。代表作の「花坊主」(1973)では、900本の赤いカーネーションをガラス器に詰めて逆さに置き、白い和紙に真っ赤な花液が滲み出る、従来のいけばなという概念を覆す表現で高い評価を得た。
本展では、2002年5月、山梨県の富士川ガラス工房で中川幸夫監修のもと、ガラス作家の高橋禎彦により制作されたガラス作品29点を展示。早い時期から作品にガラスを取り入れていた中川だが、花を生けるための器というよりも、等価の素材としてガラスと花が響きあういけばなの表現を追求した。