清水穣 月評第117回 現代の華と書――中川幸夫と井上有一を越えて 中川幸夫「俎上の華」展 山本尚志個展「トリプルタワー」
写真としての生け花
現代の華道家の前に必ず立ちはだかる存在が中川幸夫であるとすれば、井上有一もまた現代の書家の前に立ちはだかっている。華にとって、書にとっての現代性とは何かと自問する者に対して、その知名度の高さと影響力の大きさにおいて、同世代(2歳違い)に属する2人の占める位置は似ていないだろうか。
京都市内各所を舞台に毎年開催されるKYOTOGRAPHIE京都国際写真祭の一環として、建仁寺両足院で、華道家の片桐功敦のインスタレーションと生け花による、中川幸夫の写真展が開かれた。
生け花と写真はかなり近い関係にある。まず、基本的に生け花には正面性(=正しいアングル)がある。次に、それは生花という素材に条件付けられた一過性のインスタレーションなので、勅使河原蒼風にせよ中川幸夫にせよ、その影響力はもっぱら写真を通じて広がったし、残された写真こそが彼らの芸術のすべてであると言うほかない。3つめは、中川の個人的な事情であるが、中川は、初個展のDM写真を見た白東社の重森三玲によって見出され、50年代前衛生け花の世界にデビューした。三玲の息子の重森弘淹は、生け花(の写真の)批評から写真批評家へと転身し、やがて東京総合写真専門学校を開校して日本の戦後写真界の一端を担うこととなる。
中川にとって写真(そして写真集の出版)は、生け花自体と同じ、またはそれ以上に重要な存在であった。事実、その生け花のなかには、およそ水あげを無視して、まさに決定的瞬間にだけ成立する作品がまま見られる。プロの写真家に依頼することもあったが、やがて自分でも撮影するようになり、晩年には東川賞を受賞している。その中川に写真の手ほどきをしたのは、公私にわたって中川を支援した土門拳であった。それゆえか、中川写真の基本モードは、土門の物撮り(例えば骨董写真)同様、暗い背景に、原則単一照明で被写体にできるだけ迫って大きく写すというものである。このモードは、要はシュルレアリスムのそれであり、ドラマチックに大写しされた花が、たんなる現実の花を超えてシュールな花に化ける。中川の場合、それは大抵、擬人(身体、生殖器、ファルス)化であった。
初期から晩年までを通覧すると、中川写真が徐々にこのモードから脱却していく様がわかる。生け花から、花によるインスタレーションやパフォーマンスへと変化し、決定的瞬間(花が花でなくなる絶頂の瞬間を写しとどめる)から、時間の経過(花が散り、腐敗して崩れていくプロセスを共有する)へと重点が移行していく。言い換えれば、中川の写真は積極的な意味で記録へと傾斜していき、写真としては衝撃力を失っていったのである。
本展は、中川が展開した生け花と写真の関係に対する、現在の華道家からの応答である。会場の座敷には本物の(!)い草を黒く染めた黒畳が美しく敷き詰められ、そこに、黒いパネルにマウントされた中川自身による花の写真群が、炭でできた直方体の台に差し込まれて、墓石のように並んでいた。それは戦後昭和期の前衛世代に特有の、実存的でマッチョで熱いヒューマニズムへ、21世紀から喪を捧げるとともに、敗戦という巨大なトラウマのもとでなお前衛の力が信じられたあの時代へのノスタルジーをも感じさせる。ほかにオマージュとして、中川作のガラス器に花が活けられ、茶室に花弁が散らされ、離れに活けられた真っ白な百合は会期を通して萎れていった。
現代芸術としての書
以前にこの欄でも論じたが、井上有一の書もまた写真と深く関わっている。理由のひとつは、「書を解放せよ。書家よ、裸になれ。一度、一切の技術を捨てて、素朴な人間になろうではないか」「『原始に還れ』『子供に還れ』それは、今や、世界の前衛美術家の合言葉とも言えよう」といった有一の言葉が、そのままリアリズム写真に通じること(土門拳の「絶対非演出の絶対スナップ」)。そして、有一の書が、いわばトリミングの書だからである。裸のリアル(絶対的なあるがまま)とトリミング(作為)は、シュルレアリスムによって矛盾しない。トリミングの作為は、画面から裸の(=シュール)リアルだけを純粋抽出するためのものだからである。花が花を超えたように、文字が文字を超えるフレームを切り出す、と。
さて、書は芸術にあらずという論がある。書の評価が、書字自体ではなく書き手(高僧や著名人)に依るから、と。かといって、書字のみで評価するとしても、それは既存の禅語や格言や詩を再現するにすぎないし、書かれた語句にそれほど意味がない場合も多い。それどころか、多くの現代人は書が読めないから、結局はストロークの力強さや滲みの美しさ、文字と余白の関係といった絵画美で評価するにすぎない。つまり評価対象はもはや墨絵であって書ではない。実際、その優れた書家=墨絵画家が「ウンコ」と書いたら、評価されないだろう……等々。
もちろん、反論は可能である。再現芸術が駄目なら、あらゆるクラシックの演奏家は芸術家でなくなるだろう。音楽家が五線譜に従って演奏するように、書家は文字の形態を起筆・運筆・終筆による「筆蝕」(石川九楊)のリズムによって書き出していく。音が並んだ楽譜から真の音楽を引き出すように、文字が並んだ語句から真の書を引き出すのだ。アクションや強弱の派手な通俗演奏家がいるように、はねや擦れのケバケバしい通俗書家がおり、「真の音楽」がお涙頂戴であったり、「真の書」が「にんげんだもの」だったりもする、と。
紙幅も尽きたのでまとめると、現代の書家の課題とは、例えば現代の作曲家がクラシック音楽を離れて、新しい音(調性やドレミファ音階に囚われない音響)で音楽を創造するように、新しい記号(伝統的な文字形態に囚われない図像)で書を創造することであろう。
山本尚志は長年にわたって井上有一に私淑し、作品集の制作にも携わってきた。そのうえで、有一以降の書道を考える運動「ミライショドウ」を展開中である。有一は漢字の記号性を図像性の方向へ押し戻していき、文字でなく、絵でもない二重否定の狭間の臨界点をトリミングした。しかしそこで文字が獲得したシュールな変化は、中川同様、多くは擬人化(例えば「貧」)であって、白川静 ――やはり同世代――の漢字学が依拠した甲骨文字の、図像から記号が現れ始めているその姿の衝撃に比べれば、あまりにも人間的であった。山本の書は、漢字の断片としての片仮名と、音としては何も意味しない外来語=片仮名語の意味をピクトグラムにした絵をぶつけ合わせるものである。この「ミライショドウ」が井上の何を捨て、何を受け継いでいるのか、大いに注目したい。最後に、会場写真を見ればわかるように、寺田倉庫TMMTはギャラリーではなく、たんなる可動壁で囲われた、カフェ仕様の雑な空間である。私が訪れた日は、イタリア・フェアのような催し物の真っ最中で、驚いたことに、作品の至近距離で大勢の家族連れが飲食をしていた。多くの家族連れにも書芸術を「身近」にしようと、地元の倉庫会社が思いついた涙ぐましい(笑)工夫なのだろう。
(『美術手帖』2018年8月号より)