大阪市・JR塚本駅近くにある下町風情の残る住宅街に、男のロマンが詰まった一軒家がある。それが、洞窟を手づくりで再現した私設博物館「さわ洞窟ハウス」だ。
制作者の沢勲(さわ・いさお)さんは、1938年に大阪府東淀川区で10人兄弟の長男として生まれた。戦時下の日本には、自然のものから防空壕など人工的なものまで、たくさんの洞窟があった。空襲警報が鳴るたびに入った洞窟は、沢さんにとって身近な存在だったと言う。小学校1年生のとき、たいまつを手に大人たちと中に入り、「怖さがなくて気持ちがええ、神秘的で心が洗われる」と、その偉大さに魅せられた。
中学校時代、船に乗り込んだことがあった沢さんは、無線技術士に憧れを抱いた。高校は商業科に行ったものの、父の家業が失敗したことで商売の難しさを痛感し、「これからは理系や」と、進学した関西大学では、新設された工学部電気工学科(当時)で半導体工学を専攻した。
転機となったのは、同大学で工学部の講師をしていた1980年ごろ。韓国洞窟学会長からチェジュド(済州島)にある溶岩洞窟群の岩石の成分分析と年代測定調査を依頼された際だ。初めて調査で洞窟内部に入ったとき、自然がつくり出した造形美に思わず息をのんだ。その後、半導体の素材となるシリコーンの主成分であるケイ素の研究を進める過程で、溶岩の成分としてのケイ酸に注目。各地の溶岩を収集するうちに溶岩洞窟に魅せられ、本格的に洞窟の研究をするようになった。それから約40年間、国内をはじめ韓国、中国、アメリカなど8か国、世界約300か所の洞窟を調査してきた。
順風満帆に見えた人生だが、当時の担当教授に博士論文を読んでもらえず、5年間放置される冷遇を受けた。卒業後は就職口もなく、家族の援助を受けたり、大学の非常勤講師や家庭教師を続けたりしながら、48歳まで博士浪人として無給で研究を続けた。
芽が出たのは21世紀になってから。2002年から07年まで大阪経済法科大学で国内初の「洞窟学」の授業を行い、洞窟を学問領域にまで高めると、火山洞窟研究の第一人者として知られるようになる。
04年に自宅を新築した際、「洞窟の神秘的な力を広く知らせたい」と地下に5メートルの穴を掘って洞窟をつくることを計画した。しかし、建設業者や家族の反対を受け、断念。代わりに、業務用の床下収納庫を自宅書斎下に埋め込んで、洞窟に見立てた「ミニ洞窟」をつくった。換気扇をつけて湿気を防ぎ、壁面の棚には標本を並べ、大人ひとりが座れるように設計した。床板をはめ照明を消せば、気軽に洞窟を探検した気分を味わうこともできた。
「洞窟いうのはね、噴火や浸食でできた自然の洞窟と、人間が何かの目的でつくった人工の洞窟があんねや。せやから、これも立派な人工洞窟や」と笑みを浮かべる。
調査研究を続けるうちに、今度は「洞窟の成り立ちなどを説明できる模型をつくりたい」との思いが募り、09年に定年退職したことをきっかけに、自宅向かいにある3階建ての別宅を改装することを決意。本格的な洞窟制作を業者に見積もったところ、「5000万円かかる」と言われ、「誰が出せるねん。だったら安く手づくりしたる」と、約2年をかけて100円ショップにある陶器やカゴ、ペットボトルなどの材料を買い集め、「さわ洞窟ハウス」と名付けた私設博物館を開設した。
仄暗い1階は地底洞窟の雰囲気を出すために、ブラックライトを使用。洞窟に見立てた鉄製の枠には、よく見るとコウモリの玩具の隣に亀や羊のキャラクター玩具が吊るされているし、洞穴生物のコーナーには、狸や恵比寿様など無関係な置物まで点在しており、遊び心が訪れた者を楽しませる。
室内には、糸東流(しとうりゅう)空手道の範士八段でもある沢さんの空手着や防具までが一緒に展示されているため、いっそうカオスな雰囲気が醸し出されている。2階に上がる階段には、パソコン用のモーターを使って制作した、地底のマグマに見立てた液体が往復する機械を設置。2階には道路や工事で用いるカラーコーンを使った噴火口の模型もある。探検した写真や鉱石、模型なども含めると、館内にある資料は1000点近くにもなる。
面白いのは、プラスチック容器を鍾乳洞の石筍(せきじゅん)に見立てるなど、形状の似た素材を利用していることだ。身近な素材を使うことで、子ども向けに溶岩や鍾乳洞、火山の成因や仕組みをわかりやすく紹介することを心がけたそうだ。
近年、洞窟研究を進める過程で、洞窟の中にある神社や、神社の中にある洞窟といった、洞窟と神社の関係性に興味を持ち始め、鳥居を調査するようになった。2010年には、「さわ洞窟ハウス」内に鳥居の研究成果をまとめた「鳥居情報サロン」を新設し、鳥居の写真や30分の1の模型、測量データなどを展示した。鳥居がブラックライトで怪しく照らされた様は、コンテンポラリー・アートのインスタレーションのようだ。
「人間にはロマンがあるんや。人生は有限やから、何か残したいというのがわしの本音なんや。死んだら、ここも終わりやけどな」と沢さんは呟く。
彼の言うように、人生は有限だ。僕がいつも考えるのは、自分の生きてきた証をどう残すか、と言うことだ。たくさんのお金を稼いだり大きな家を建てたり、というものを追い求める人生の過ごし方がある。だが、そうした一般的な価値観ではなく、他人とは異なる、唯一無二の人生の痕跡みたいなものを残す人がいる。迷いなく後者を選んだ沢さんの自由な生き方こそが、僕らが人生の暗路に迷い込んだとき、自分らしく歩んでいくためのたしかな灯火となるのだ。
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