ドリンクを注文すると、おにぎりやサンドイッチにバナナなど、これでもかと言うほどの食べ物が次々に出てくる。「計算したら採算取れんことがわかったからよ、もう計算せんようにしたで」。そう話すのは、テンガロンハットをかぶったダンディーな店のマスター・大沢武史さんだ。
ここは、愛知県犬山市にある「パブレスト百万ドル」。「愛は流星キラキラ光り輝く未来」といったきらびやかな言葉や、サイケなイラストで埋め尽くされたド派手な外観が特徴的な、カラオケ喫茶だ。
マスターの大沢さんは、1941年に4人兄弟の次男として犬山で生まれた。子どもの頃から絵を描くことが好きで、中学校の写生大会で先生に褒められたことがきっかけで美術系学校への進学を志望したが、「絵じゃ飯食っていけん」と親から反対されて諦めた過去を持つ。
高校卒業後は、両親が経営していた飲食店の手伝いを始め、22歳のときに結婚。2人の子どもを授かった。25歳で独立し、喫茶店を開店。店の名前は、兄の知り合いだった俳優・森山周一郎が経営していたバー「百万ドル」にあやかって名づけた。
喫茶店は、その後うなぎ屋に業態を変更。国道沿いに設けた2号店では、ピザやスパゲッティ、ステーキを提供した。40歳のときに、うなぎ屋を現在のカラオケ喫茶に改装。喫茶店だった頃から数えると、今年で50周年を迎える。
転機となったのは、40歳のとき。源氏名で「純子」と名乗る18歳の女性が働き始めてからだ。「純子はものすごい人当たりがええんだわ。それがお客さんに受けてかわいがってもらったんだわ。俺も好きやったもんでよ」と、大沢さんの禁断の恋が始まり、愛人となった。当初は5人いた女性スタッフも、純子さんの嫉妬で全員クビにしてしまったと言う。大沢さんが56歳のときに、事実婚となった2人の間に男の子が生まれ「ゆうき」くんと名づけた。彼はとても可愛がったそうだ。ある日、車で純子さんとゆうきくんを小学校に送っている際に、純子さんから「あなたのこと好きよ」と何度も告げられた。その日、2人は家に帰って来ず、それが突然の別れとなった。以来、大沢さんは、純子さんとゆうきくんに会えていない。本妻の奥さんが純子さんに手切れ金を渡したため、ということがあとでわかった。
「11年間、純子の実家に色んなもん送りょうたけど、全部受け取り拒否で戻ってくるんや。だから毎年、純子の誕生日にシクラメンの花を持って行って、玄関先に置いとくようにしとるのよ」と、彼女を思い続けた。純子さんがいなくなってから、大沢さんの生活は荒れに荒れた。自宅を売却し、毎日10万円以上も使って遊び歩いた。本妻とも離婚。やがて、店も休業した。
あるとき、大沢さんは剥がれた店舗の屋根をペンキで塗り直していた。ふと無性に子どもに会いたくなり、補修に使った余りのベニヤ板に子どもの絵を描いてみたら、「子どもがそばにおるような、ものすごい幸せな気持ちになった」と言う。それから大沢さんは、下書きもせずにペンキで絵を描きはじめた。店内には、ゆうきくんの姿を想像して描いた4枚の絵が飾られた。それだけでなく、よく見ると「隠れミッキー」のように、「ゆうき」「YUKI」「ユウキ」と、子どもの名前が店の内外に様々なかたちで散りばめられている。
外壁には、宝塚歌劇団をモデルにした大きな絵が飾られている。「悲しい思いをしとるときに、宝塚を知ったわけよ。宝塚は人生の縮図で、悲恋物でよ。純子のことを思いながら、涙しながら描いた絵もあるわけよ」と教えてくれた。
また、「神の間」とお客さんが名づけたスペースには、小さい頃から夢に出ていたと大沢さんが言う、龍を描いた絵がある。店の中に飾られている計3枚の龍を描き終わったとき、夢のなかで「しんわかたれば」という字が流れるようになった。大沢さんは意味がわからないまま建物にその字を記したが、「いまになって考えると、『神話語れば』と、俺と純子が神話になるって解釈しとる」と大沢さんは語る。
大沢さんは、前妻にも手伝ってもらいながら、3年前に店の営業を再開した。最初は、その外観の奇抜さに圧倒されてほとんどお客さんが来なかった。『ナニコレ珍百景』(テレビ朝日系列)というテレビ番組で取り上げられてからは、全国からお客さんが訪ねてくるようになり、感謝の気持ちを込めて「全国のみなさんありがとう 武史」と外観に記した。「ここは、店であって店でにゃあんだわ。わしの応接間みたいなもんで、来たら大歓迎するわけよ」。その言葉通り、取材時もカラオケを歌いにくる中高年のグループや県内の美大生、ヒッチハイク中の青年など、たくさんの人で賑わっていた。過剰なサービスだけでなく、テーブルチャージも取らずに親身になってお客さんの身の上話を聞く大沢さんに、みな会いにくるのだろう。「この前は、大勢の自衛隊員の前で純子の話をしてくれと言われて、さすがに困ったでよ」と笑う。
先日、1年ぶりに再訪したら外観の色が少し塗り替えられていた。さらに、店内に入っていちばん驚いたのは、奥にあったゆうきくんの絵が塗りつぶされて、抽象画に変わっていたことだ。星が誕生する際に生まれる目に見えない妖精をイメージして、その絵を描いたらしい。大沢さんに尋ねると、「塗りつぶすとき抵抗はあったけど、子どもが巣立っていくために妖精にして送り出したのよ」と教えてくれた。
ゆうきくんは、2017年で20歳を迎えるはずだ。4年前に前立腺がんが発覚し、現在、大沢さんはホルモン注射で進行を抑えている。「元気なうちに子どもに会いたい気持ちは、ものすごい強いんだわ。その気持ちを絵で発散しとるいうんかなぁ。もう、ゆうきはインターネットを見とる年頃やから、連絡してほしいという思いが強いんだわ」と話し、今日も筆を走らせている。
「なんでも描ける思うたもん」の言葉通り、「パブレスト100万ドル」は、大沢さんの思いを具現化した壮大なアート作品だ。言語化できない思いをかたちにした、描かずにはいられなかった自らの絵に、彼は救われてきた。たしかに紆余曲折ではあるが、あらゆる規範から自由に生きてきたその人生に、僕はどこか憧れを抱いてしまう。「自由に生きる」ということは、自分で自分の人生を生きていく覚悟を持つ、ということだ。それは、組織や規範に縛られた僕らにとって、もっとも難しいことなのだから。
PROFILE
くしの・のぶまさ 「クシノテラス」アウトサイダー・キュレーター。2000年より知的障害者福祉施設職員として働きながら、「鞆の津ミュージアム」(広島) でキュレーターを担当。16年4月よりアウトサイダーアート専門ギャラリー「クシノテラス」オープンのため独立。社会の周縁で表現を行う人たちに焦点を当て、全国各地の取材を続けている。
http://kushiterra.com/櫛野展正キュレーションの展覧会が、2月に東京で開催!
クシノテラスとギャラリー・マルヒの合同企画として、「空想キングダム」展が2月25日〜3月5日、ギャラリーマルヒ(東京、根津)ほかで開催される。人間関係や障害など様々な理由で生きづらさを感じる4人のアーティスト(長恵、小林伸一、創作仮面館、なお丸)が出品する。問合せ:03-5832-9911(ギャラリー・マルヒ)