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櫛野展正連載14:アウトサイドの隣人たち 漆喰に浮かぶ伝統美

ヤンキー文化や死刑囚による絵画など、美術の「正史」から外れた表現活動を取り上げる展覧会を扱ってきたアウトサイダー・キュレーター、櫛野展正。2016年4月にギャラリー兼イベントスペース「クシノテラス」を立ち上げ、「表現の根源に迫る」人間たちを紹介する活動を続けている。彼がアウトサイドな表現者たちに取材し、その内面に迫る連載の第14回は、鏝絵を現代に継承する三浦辰彦を紹介する。

櫛野展正

三浦辰彦が制作した鏝絵作品

 「鏝絵(こてえ)」とは、家や蔵などの壁に漆喰を盛り上げて装飾する日本式のレリーフのこと。左官道具の鏝(こて)でつくるため鏝絵と呼ばれ、幕末から明治にかけてさかんにつくられた。鏝絵といえば、江戸末期から明治にかけて活躍した名工「伊豆の長八(ちょうはち)」こと入江長八が有名だ。この技術を、現代に蘇らせているのが福岡県大野城市に住む三浦辰彦さんだ。左官業のかたわら、40年以上前から鏝絵の制作に取り組み、私設美術館までつくってしまった。

 福岡県の水城駅から200メートルほど歩いた住宅街のなかに、突然大きな漆喰彫刻の白龍が現れる。2階建ての高さにまで達する躍動感あふれた造形で、なぜか仮面ライダーのソフビ(ソフトビニール)人形などが乗っているのが笑いを誘う。その奥にあるのが、三浦さんの私設美術館「鏝絵美術館」だ。年中無休で日の出から日没まで開館し、入館は無料。200点もの作品点数を誇るこの美術館は、1995年に明治時代の米倉を改装したもので、自宅や隣のアパートと同様に、骨組みから自作したというから驚きだ。「アパートの部屋はほぼ満室で、家族持ちの人も住んどる。土壁は呼吸するけん、隣の部屋から音が響くこともない」と三浦さんが語るように、住み心地は快適な様子だ。

鏝絵美術館の外観

 そんな三浦さんは、1941年福岡県浮羽郡浮羽町(現・うきは市)に生まれた。三浦さんいわく、「故郷は猿がおるような山の中だった」。地元の中学校を卒業後、15歳で福岡県春日市にある左官職人の親方へ弟子入り。4~、5年が経ったころ、「同じ弟子が家紋や看板の絵を鏝絵で描いて自慢しようとを見て、あれなら俺にもできる」と20歳頃から見よう見まねで鏝絵制作を始めた。24歳のときに独立し、29歳で自分の家を建てた際に外壁いっぱいに描いた松竹梅と鶴亀、そして室内の夫婦獅子が、本格的な最初の作品となった。

 「私は私の道を進んできたと」と語るように、独学で制作を続けてきた自らの技法が「鏝絵」だと知ったのは、40代の頃だ。左官業のかたわら寝る間も惜しんで制作した作品は、どれも大作ばかり。その理由を「有名な伊豆の長八は、虫眼鏡でなきゃ見えんような精巧な鏝絵ばかり制作してたから、私はもっと大きなのをつくりたくなって」と教えてくれた。その当時は家に装飾を施すようなことは誰もしていなかったため、仕事の依頼が次々に舞い込んでくるかと楽しみにしていたが、残念ながら依頼してくる人はいなかったそう。

屋内で制作された《美しきタイ王国》。タイで出品され、賞を受賞した

 三浦さんの鏝絵制作は野外で、仕事が終わった後に行われたため、暗い夜間の作業が中心となり、冬は寒かった。そこで、あるときから屋内でも制作できるサイズの、額を使った作品にシフトチェンジしていった。作品が増えてきてからは、10年間ほど地元の美術展にも出展。何度か入選も果たし、福岡市美術館の市民ギャラリーでは2度の個展を開催した。2000年には、トルコで開催された展覧会で奨励賞を受賞し、世界的な評価を受けた。

 圧巻なのは、ルーヴル美術館の分館、ルーヴル・ランスのグランドオープン記念として「黄金の翼」大賞を受賞した作品《花は花は花は咲く》だ。東日本大震災をイメージした大作で、大津波や亡くなった人々への鎮魂の思いを込めた赤と青の鳳凰、そして日本を象徴する富士山や東京スカイツリーなどが配置されている。さらに「被災者はお腹を空かせて甘い物を食べたがるだろう」と本物の小豆を貼りつけていたものの、「ネズミが食いよった」とのことで、ところどころが欠けている。

  そして、同じく室内で制作するために考案したのが、軽量でヒビの入りにくい発泡スチロールを下地に使う技法だ。下地の段階である程度ふくらみをつくって、仕上げの段階で一気に漆喰を塗っていく。着想から完成まで、仕事の合間に徹夜をしながら制作を進めた。

三浦が制作した初音ミク像と、その「子分」

 皇太子さまのご成婚祝いなど、時事ネタをもとにした作品も多く、東京スカイツリーの公式キャラクター「ソラカラちゃん」や初音ミクの立体像などは近年制作したものだ。初音ミクの隣には、「子分だ」と三浦さんの語る人物がいる。なんでも、制作にあたって「初音ミクはどんなとね」と知人に聞いたら、もらった写真に載っていたと言う。

 三浦さん自身の顔を模した作品も多い。「だいたいよ、ほかの絵描きさん見たら自分の肖像画をひとつは描いとるやん。これはカーネル・サンダース像の首だけちょん切って私の顔に入れ替えたんや」と笑って教えてくれた。

 近年は、「出しても落とされるばかりやから」と公募展への出品を取りやめ、2009年からは水田を借りて稲作を始めるいっぽうで、「田んぼにおったら面白かろう」と自宅で制作した鏝絵の鶴をそこに設置した。平面の鏝絵を立体にするのは、とても難しい。鉄筋で骨組みをつくり、セメントで大まかな形を整え、鏝で漆喰を塗って仕上げる。脚は、コンクリートブロックにセメントで固定するなどして工夫した。

鏝絵の立体作品。水田に置かれることが想定されており、セメントブロックの重石で自立している

 そして、近年力を入れているのが、地元の小学生たちと課外授業として取り組んでいる「漆喰ボール教室」だ。年に一度、小学2年生と4年生が鏝絵美術館を見学し、小学校の体育館で発泡スチロールの球による鏝絵制作を体験する。子どもたちが、鏝の代わりにバターナイフを使ってカラー漆喰を塗っていく様子はとても現代的だ。三浦さんはそこに「これからの現代鏝絵」を見た気がしたと言う。

三浦辰彦と、鏝絵美術館の内観の様子

 三浦さんは、小学生だけでなく数百人の左官職人に、これまで鏝絵の技術を教えてきた。誰に頼まれるわけでもなく鏝絵の普及活動を始め、やりたいことを寝る間も惜しんでやり続けるその姿に、僕の胸は熱くなってしまう。画壇や権威とはかけ離れた場所で、ひとりぼっちで伝統を広めようとする人がここにいる。

編集部

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