「百姓」としての美術館──八戸市美術館を巡って

『地域アート 美学/制度/日本』などの著書で知られる批評家・藤田直哉が青森県内にある5つの美術館・アート施設を巡る5回連載。第1回は、5館と青森の現代美術を巡る総論とともに、2021年に開館したばかりの八戸市美術館を紹介する。

文=藤田直哉 撮影=西川幸冶

八戸市美術館

 青森の美術館、5館を巡らせてもらった。

 伺ったのは、八戸市美術館、十和田市現代美術館、弘前れんが倉庫美術館、青森公立大学 国際芸術センター青森(ACAC)、青森県立美術館の5館。

 取材に行った三日間は、ほぼほぼ快晴で、真っ白な雪と、高い空とが非常に美しく、清々しく、神々しかった。

 そのあいだに、「ひょっとすると、青森は日本の現代美術の最先端を走る場所になるかもしれない。それどころか、日本や世界に対して、真に必要な新しい価値観、生き方、未来を提示する場所になるかもしれない」と思わされることがあった。

 数年後、あるいは数十年後に、青森が勝利している「勝ち筋」は確かに見えた。旅の中で、そんな青森の未来を幻視する瞬間が何度もあった。

 これほど、現代美術の施設が充実し、推進されている県は珍しい。なぜそうなったのか。そして、何を狙っているのか。カメラマンの西川幸冶さんにアテンドしていただき、それぞれの美術館で館長や学芸員の皆様に施設や展示を解説していただくという、贅沢な時間を過ごさせていただいた。

 今から五回に分けて、青森の美術館5館を巡って取材したこと、考えたことについての記事をお送りしたい。一回目の今回は、2021年11月に新しく建てられたばかりの八戸市美術館をメインにするが、その前に、5館や青森の現代美術を巡る総論を述べたい。

総論:青森の現代美術──自然と持続可能性を重視し、伝統と前衛を折衷する

 青森に現代美術、と聞いて、そのイメージがあるだろうか。個人的な印象としては、縄文遺跡、津軽三味線、恐山のイタコなどの、どろどろした土俗的な文化の印象の方が強い。

 しかし、そこが現代美術の先端的な地のひとつになっている。その理由のひとつとして、八戸市美術館館長の佐藤慎也によれば「一周遅れでトップランナー」になったということがあるようだ。

 元々、青森は県立美術館すらなく、それが建ったのはなんと2006年だった。今回まわった5館のなかで一番早く開館した国際芸術センター青森は、2001年。十和田が2008年、弘前が2020年、新しい八戸市美術館が2021年である。2000年代以降に先進的な施設がつくられたことが、青森の特殊な条件である。

 しかも、最初につくられた国際芸術センター青森は、国際的なアーティスト・イン・レジデンス施設である。他の現代美術の施設がないなかで、通常の芸術の発展史からすると後からできてきそうな施設が最初にできるという転倒のなかにこそ、青森の現代美術の可能性が見え隠れする。

 この国際芸術センター青森をつくる際の「戦略」「理念」は、おそらく、青森で現代美術を展開していく姿勢において、他の美術館にも影響を与えているだろう。そこで、まずはこの施設をつくったキーパーソンたちの考えを参照してみたい。

 企画を推進したのは、当時の青森市長の佐々木誠造と、初代館長でパフォーマンスアーティストの浜田剛爾。きっかけとなったのは、青森出身の版画家・関野凖一郎を扱ったシンポジウムで、佐々木が西野嘉章に青森市でも可能な現代美術の施設は何か問うた際、西野が「アーティスト・イン・レジデンス」を提案したことがきっかけだという。

 『AC2』0号(2001)に掲載されている、佐々木と浜田の対談を参照すれば、青森で現代美術を展開しようとした狙いが明確に分かる。

 浜田は1970年代初期から「歴史の転換期」になり、自然を征服する人工的なアートの人間主義ではなく、自然主義が必要になってきたと考えている。だから、芸術や文化を自然的なものへもっと変えていこうと考えている。

 この対談で、佐々木と浜田は「サスティナブルという概念」(p15)「持続可能な都市づくり」(同)という言葉を持ち出す。SDGsが流行している現代からおよそ20年前に、それを狙った巨大な構想のある先進性に驚くばかりである。そして、「アジェンダ21」という、SDGsの先祖のような国連の憲章を、自分たちなりのローカルで引き受けるのだという姿勢を示す。

 佐々木は「二十世紀の延長線上だけで物事を考えていったら持続不可能なんだ。だからそこはもう一度新たなセッティングをしないといけない」(p15)と述べる。浜田は「我々自身の独自なローカリズムというものの考えが世界基準に照らしあわせて、どうやったら出せるのかという。(中略)〔芸術という〕非言語コミュニケーションを含んだローカル版の『アジェンダ21』みたいなものが、本当は必要なんだと思う」(同)と言い、「社会問題」にも言及する。言語や論理ではない次元でのコミュニケーションを発生させることのできる芸術による「議論」があった方が、より社会問題や課題を解決できるのではないか、それを芸術が提供できるのではないかと考えているのだ。傾聴するべき重要な姿勢である。

 それは国際芸術センター青森の建物の設計思想にも反映されている。安藤忠雄が最優秀作品に選ばれたコンペにおいて、選ぶ側は、「設計において特に留意する事項」として「(1)自然環境との調和」「(2)生態系への影響を最小限に止める」「(3)省エネルギー対策」「(4)豪雪対策と雪資源・水資源の積極的活用」(p25)を要求していたほどだ。

 現代アート(人工)と自然の折衷。そんな矛盾した複雑な課題に青森は挑もうとしていた。それだけではない。浜田は「現代へ」という文章で、国際芸術センター青森に与えられた課題として「普遍性」「革新性」、「地域性」「国際性」、「純粋性」「大衆性」の葛藤を挙げ、「わたしの理想はまさにボードレールと同様に矛盾に満ちた葛藤の芸術の種子を埋め込むことである」(p55)と言っている。言い換えれば、その矛盾と葛藤に取り組み新たな何かを提案する作家の誕生を期待し、そのためのインフラづくりをしているということであろう。

 縄文遺跡に代表される過去や、津軽三味線などの伝統、土俗的な文化が青森では豊かである。それと、先端的な現代美術とが絡み合い、ローカルと国際の複雑さを繋ぎ、美術を高度化させつつ人々に開かれるような、「矛盾」を呑み込んだ芸術の展開を期待しているのである。ここには、一見「遅い」地域かに思えた青森が、一挙に先端に飛躍しうる可能性が確かにあるのではないか。少なくとも、その狙いはよく理解できる。

境界・形式を超えていく生命の躍動──青森の美学?

 語弊を覚悟で言えば、青森は、「追い詰められた」者たちの地域でもある。遺伝子を解析する最近の研究によると、縄文人とアイヌの遺伝子には連続性があるらしいが、かつて蝦夷と呼ばれた人々は本州の北へと追い詰められていった。弥生人たちが日本列島の覇権を握るに連れて、縄文的な文化は劣位なものと見做されるようになっていった。

 しかし、岡本太郎がむしろ縄文の生命力を評価し、作品に用いて現代美術の最先端に立ったように、既存の支配的な価値観に我々が従う必要は必ずしもなく、美術はそんなに簡単に進歩史観で動いていくわけでもないということも思い出す必要がある。全体のなかで失われていく価値観、美学、ライフスタイル、文化が保存されているということは、単なる遅れではなく、むしろ積極的価値であると見做すことも可能である。

 人類の歴史は長く、未来は何が起きるか分からない。ある場所に保存されていた価値こそが、日本に、人類に必要になってくる時期もきっと来るはずなのだ。遺伝子に多様性が必要なのは、同じ遺伝子の個体ばかりになると、環境が変化した際に全滅するリスクが高まるからである。だから、生物は、細胞分裂でコピーを増やすのではなく、「生殖」し、遺伝子を混ぜ合わせた新たな個体を生み続けるシステムを採用するようになった──そして、その代償に、個体には寿命という死という運命が課せられるようになった。おそらくは、文化やライフスタイルにも、遺伝子と似た性質がある。

 個人的には、現在もまた巨大な「転換期」であり、この先に予測されている気候変動や異常気象、AI社会化などの大変動に対応できるような身体を持った者を生み出す文化への転換は喫緊の課題であろうと思っている。そして、青森を含む東北的なもの、そこに「残されている」ものの文化的価値が、真に必要になる時期が来ていると感じている。今こそ、忘却されていた価値や文化を再起動するべき時期なのだ。

 それを仮に「縄文」的と言ってもいいのかもしれないが、それはある種のメタファーであり、筆者がここで必要だと言おうとしているのは、自然環境の中で、天候の変化や獲物の気配、仲間の動きなどに鋭敏にアンテナを立て、狩猟採集をして生きていた時代の本能的な生命力のようなもののことである。対義語としての「弥生」は、洗練と形式化と同調を主とする稲作民のメンタリティであり、日本社会において主流の価値観である形式主義やスノビズムに通じる文化の隠喩として理解してほしい。

 スノビズムは高度な洗練と美を生み出すものでもあるのだが、形式の内部に神経症的に拘り過ぎることで、大局的な環境の変化の中で生き残る可能性を狭めてしまうこともある。様々な世界や社会の課題に直面しており、変化していくことを余儀なくされている我々が生き残り続けるために必要な「創造性」は、縄文的な、枠を外し、全体の変化に鋭敏なアンテナを張った、関係論的なものにならざるを得ないのではないか。細部に異様に拘ることよりも、生を最優先するような優先順位の付け方こそが、必要なのではないか。東京の若者たちの、ごく狭い細部にばかり拘り、怯え、傷ついている姿や、生気や活力のなさを見ていると、そう思われてしまう。

 青森の現代美術には、高度な洗練のなかに、再帰的に根源的なものを取り戻すような可能性が期待される。それこそが、日本文化の未来に必要なものなのではないか。

 思えば、青森で現代美術を展開していこうとする際に頻繁に参照されている青森出身のビッグネームの作家、棟方志功、寺山修司、成田亨、太宰治らは、既存の中央の価値観・形式の中に飛び込み、それを内破させるような生命力が特徴であった。ジャンルの境界や区切りなどを破壊し、逸脱し、転倒させることこそが、これらの作家の魅力であった。そして、それこそが青森の「美学」だとすら言いうるのではないか。庵野秀明は、オタク文化の定型を逆手にとり破壊した『新世紀エヴァンゲリオン』制作の際に太宰や寺山を参照していたが、それらの遺伝子はおそらくは現代日本の文化にまで大きな影響を与えている。それは、中央の権威や価値観に対する「叛逆」というカウンターの価値として捉えられがちであるが、それにとどまらない、それ自体としての積極的な価値や美学を評価するべきなのではないだろうか。

関係論的な感覚を体感させるための設計思想

 青森の美術館5館には、そのような「境界」をつくらず、全体の環境を関係論的に感じさせようとする思想が体現されているように感じられる。建物のつくり方と、展示の内容にその思想は見事に反映されている。

 青森の美術館は、ジャンルごとの「境界」を取り払おうとしている。例えば、八戸市美術館では、市民が活動するジャイアントルームと呼ばれる空間と、展示空間であるホワイトキューブが(ある程度)地続きになっている。ジャイアントルームも、可動式の薄い布のような仕切りを動かすことで、いくらでも組み替えることができる。

八戸市美術館の「ジャイアントルーム」
「ジャイアントルーム」を中心にホワイトキューブ(展示室)やスタジオなどが配置されている
「ジャイアントルーム」を区切る柔らかな布の仕切り

 展示の内容で言えば、鑑賞する機会をいただいた「持続するモノガタリ—語る・繋がる・育む 八戸市美術館コレクションから」では、いわゆる美術と、考古学的な資料、郷土の歴史、書などが、フラットに展示されていた。それどころか、展示の最初が学芸員が顔出しをして語る動画で、展示の終わりには自身がリアルにそこにいて喋ることができるコーナーがある。画面のこちら側に役者が直接話しかけてくる寺山修司の映画『書を捨てよ、町へ出よう』のオープニングと、つくり物の舞台のセットが崩れて町の雑踏が現れるエンディングを思わず思い出してしまう。美術の世界に閉じこもるな、町へ出よう、という感じだろうか。

「持続するモノガタリ—語る・繋がる・育む 八戸市美術館コレクションから」展示風景より

 八戸市美術館のジャイアントルームは異様に天井が高く、そこにある窓から青空が覗いていた。青森の空は高く美しかったが、天候の変化は早く、曇ったり吹雪いたりもすぐに起きた。真っ白で天井の高い美術館は、この空と雪の中で非常に美しく、環境との相互作用を計算して建てられていることが分かった。これら冬の透き通るような美の中に置かれた美術館が、互いに美を引き立て合っており、冬こそが見頃なのではないかとすら思ったぐらいだが、建築にも先ほど触れた「環境」の感覚と、「境界」を崩す思想が一貫しているのである。

「境界」なき美術館

 八戸市美術館は西澤徹夫、浅子佳英、森純平によって設計された、非常に先端的で機能的な美術館である。アートプロジェクト的なものの展開を念頭においた機能と、アートセンター的なものを折衷した設計となっている。

 八戸市は「アートのまちづくり」を進めており、2011年には「八戸ポータルミュージアムはっち」がオープン、同じ年には「南郷アートプロジェクト」が開始、2013年には工場の魅力を探る「八戸工場大学」、2016年には公営書店「八戸ブックセンター」がそれぞれ始まっていた。新しい八戸市美術館は、延長線上で計画されたと思しい。

 アートプロジェクト、と言っても、ここで想定されているのは市民と乖離した特別な「お芸術」ではなく、もっと具体的な地域に根差したもので、様々な地域の諸課題の解決に繋がり、様々なものを育む機能のことであろうと推測される。

 西澤・浅子・森らの『10+1』での連載「連載 学ぶこととつくること──八戸市新美術館から考える公共のあり方」によると、目指したのは「ラーニングセンター」である。森の言葉を借りれば「地域の文化、風俗、民俗的資源を活用していくために、これまでの一般的な教育普及を、より動的で双方向的に、鑑賞者だけでなく地域の人々を巻き込みながら『アート』という制度と形式をうまく利用していくこと」を目指したのだという。

館内には様々な機能が盛り込まれている

 現代アートの世界的な権威であるターナー賞は、2021年に北アイルランドの社会課題に挑むアレイ・コレクティヴに送られた。世界三大芸術祭のひとつ、ドクメンタの2022年のディレクターは、インドネシアのアート・コレクティブ「ルアンルパ」である。特権的なスターアーティストではなく、様々な人々が関わって社会や地域の課題に挑んでいくタイプのアートが、世界的なアートの最先端を突っ走っており、八戸市美術館は間違いなくそれと並走している。

 案内をしてくださった佐藤慎也館長によると、地元の三社大祭で山車を作る市民のエネルギーや、自発的にどんどん広がっていく朝市、そしてB級グルメ発祥の地としての創造の力がアートに力を与えて、様々なプロジェクトが展開していくことを期待しているようだ(開館記念の展示は八戸三社大祭を扱った『ギフト、ギフト、』だった)。さらに、八戸における集団で何かを作る文化的伝統として、版画の制作というものもあった。有名なのは『魔女の宅急便』に登場した《虹の上をとぶ船総集編Ⅱ 星空をペガサスと牛が飛んでいく》(1976)という、八戸市立湊中学校の養護学級で制作された教育版画である。アートプロジェクト的な方法論は、突然外から地域に押し付けられるものではなく、八戸に元々ある精神性や文化の土壌があってこそで、そこに新しい花を咲かせようというのがこの美術館の狙いなのだろう。

八戸市美術館の佐藤慎也館長

 いわゆる近代美術館は重苦しくて権威的だが、八戸市美術館は軽やかで明るい印象である。建物の外側にも内部にもベンチがたくさんあり、飲食が自由なスペースまでもがある。佐藤慎也館長が改修を手掛けた3331 Arts Chiyodaの入口スペースのように、排除しない、受け入れるためのコミュニティ・センターを目指したのだという。 生活や現実から乖離した特別なものとしての「美術」という境界線を崩そうとする意図はここにも感じられる。現代美術と生活と伝統芸能などの区別も曖昧になって融合し、新しい文化的遺伝子を持つ何かが生まれていくことが非常に期待される。

「持続するモノガタリ—語る・繋がる・育む 八戸市美術館コレクションから」展示風景より

「百姓」としての美術館

 そして本館の非常に特筆すべき特徴は、そのスマートな多機能性である。ジャイアントルームのベンチは、その下が収納になっている。筆者は以前、浅子氏のご自宅かスタジオに伺ったことがあるのだが、そのときにこれを見たような気がして懐かしかった。それはともかく、非常に効率的かつ機能的にスマートにつくられているのだ。例えば、スペースの区切りの可動棚はそのままホワイトボードになる。トイレの男女の区別すら可動的で、性別の区別のないトイレにしたりLGBTに対応できるという、「境界」を相対化する設計の徹底っぷりだ。

 このような「何にでも対応できるような柔軟性を持つ」身体を、まさに美術館そのものが建築として体現しているのである。そしてそれは、様々な形で地域やコミュニティの課題に対応しようとする姿勢や、ここで育つ者がどういう人間になっていくことを期待するのか、ということとも繋がっていくだろう。既に述べたように、大変動していくだろう未来に対応できる身体・精神を持つ子供たち・市民を育てる孵化器になろうとする意図が、様々な設計から感じられるのだ。

ジャイアントルームから外を望む。窓面には収納にもなるベンチが
館内マップ
コインロッカーも珍しい移動式

 語弊を承知で言えば、八戸市美術館は「百姓」なのだ。もちろんそれは侮蔑として言うのではなく、ひとつの仕事だけでなく、必要な他種多様な仕事をこなしていっていた存在としての「百姓」の精神こそが今また改めて必要とされているのだろう、という肯定的な意味でである。

 『10+1』「八戸市新美術館のプロポーザル──相互に学び合う『ラーニング』構想」の浅子発言によると、建築コンペの募集要綱において、「エデュケーション・ファーム」という言葉が使われていたという。そして美術館に積極的に関わる市民を八戸市美術館は「アートファーマー」と呼んでいる。「芸術/農業」の区別を曖昧にしようとする思想の体現であると同時に、この施設の文化観がはっきりと現れていると言えるだろう。

ラフで許される包容力と、自由と遊びと

 さて、先に、総論のところで書いた青森文化の可能性は、学芸員の篠原英里さんが言っていたことにも触発されて考えたことでもあった。篠原さんは、八戸の良さとして、東京のように「キッチリキッチリ的」ではなく、ラフで許される包容力があると言っていた。それは土地や地域、文化の魅力であると同時に、洗練された都会における生が衰弱しているように見える現状に対する批評のようにも思えた。

八戸市美術館学芸員・篠原英里

 浅子も、こう言っている。「遊具会社の方の話のなかで感じたのは、最近の公園と美術館は禁止事項だらけだという点で共通しているということです。公園では、大声を出してはいけない、ボール遊び禁止、スケートボード禁止など、細かくルールが設定されていて、子どもが自由に遊べる場所ではなくなっています。彼らはできるかぎり子どもたちが自由に遊べる場所になるよう尽力していると言っていました。美術館でも、ガラスケースに入った作品は自由に鑑賞できず、見方が限られてしまっています。そこには本来美術がもっていたはずの自由がない。作品制作や絵を描く行為自体はとても自由な行為なのに、美術館でその自由さを体験できないのは残念なことです。『八戸市新美術館』で市民やアーティストが自由に使えるアトリエを用意しようとしているのは、そういう背景があったからです」。

 神経症的な禁止、禁止ばかりで、自由な学びや生を抑圧され、生の意欲すら失ってきているように見える人々の回復へと向かわせる方向性がここには見えないだろうか。禁止禁止で抑圧と否定ばかり受けている子供たちが、これから大きく変動し続ける自然・社会・政治的環境に適応し、新しく生じ続ける課題に創造的に対応できるだろうか。それに必要な「枠を外して考える思考」「枠の外に立ち、枠そのものを作り直す思考」ができるようになるだろうか。

 多分、青森には勝ち筋がある。決してネガティブなものでも、カウンターに過ぎないものでもない、積極的な価値と文化が、確かにここにあるのだ。

旧八戸市美術館にあったブロンズ像は今回の展覧会で当時と同じ場所に設置されている


参考文献
国際芸術センター青森『AC2』2001年12月 No.0、青森市発行
高島純佳+白木栄世+西澤徹夫+浅子佳英+森純平「連載 学ぶこととつくること──八戸市新美術館から考える公共のあり方 第1回:森美術館からの学び」(『10+1』website)2017年10月 https://www.10plus1.jp/monthly/2017/10/hachinohe-01.php
西澤徹夫+浅子佳英「八戸市新美術館のプロポーザル──相互に学び合う『ラーニング』構想」(『10+1』website)https://www.10plus1.jp/monthly/2017/07/issue-01.php

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