多様性を問い続ける人々がつくる新たな場。新大久保UGOインタビュー

日本最大のエスニックタウン、東京・新大久保。多様な背景を持つ人々が行き交うその路地の一角に、昨年10月、新しいアートスペース兼コミュニティセンター「新大久保UGO」が誕生した。「烏合の衆」から取られたその名の通り、この場所には、日々、さまざまな職業や国籍の人たちが集まり、展示やイベント、パーティを楽しんでいる。UGOが目指そうとする、コミュニティのかたちとはどのようなものか? 「UGO実行委員会」の磯村暖、丹原健翔、中尾一平、ぱにぱにぱにぱにともちんぱ、三好彼流、山縣瑠衣に話を聞いた。

聞き手・構成=杉原環樹

UGOに集まる面々。左まわりに山縣瑠衣、三好彼流、コア、磯村暖、佐山パトリック未来、丹原健翔、中尾一平、ぱにぱにぱにぱにともちんぱ
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路地の先のアートスペース

──新大久保UGOは、今日集まっていただいた方たちに、アーティストの海野林太郎さん、龍村景一さん、林千歩さん、佐久間萌香さんを加えた10名で運営されているスペースで、一部メンバーの住居でもあります。まずはどのような経緯でこの場所が生まれたのか、教えてください。

磯村 ここは築60年の木造アパートを改装したスペースですが、大家さんが、アーティストに場所を貸し、面白く活用してほしいという希望を持っていたんです。僕を含めて何人か候補がいたそうですが、ちょうど自分でもスペースを持ってみたかったこと、丹原くんもアーティストのための場所をつくりたいと話していたことから、彼に声をかけ、2019年の夏前から動き始めました。そこにすぐ、林さんや龍村くんなんかも加わって。

丹原 企画書をつくって、大家さんにやりたいことを提示しました。当初から新大久保の魅力に惹かれていて、社会における多様性に向き合うスペースでありたいよね、という話はしていたんです。また、日本には若いアーティストが気軽に集まれたり、思い通りに展示できる場所がないという問題意識もあったので、そのことをローカルコミュニティの話も含めてお話ししたところ、理解していただけました。そこから自分たちで改装を始め、コロナ禍の影響でオープンがだいぶ遅れてしまったのですが、ようやく開けられました。

新大久保UGO

──ほかのアーティスト・ラン・スペースとの違いで、とくに意識した点はどこですか?

丹原 アートの世界のアーティスト・ラン・スペースというと、基本的にアーティストのコミュニティによって企画が生まれる場所が多いと思います。UGOはいわゆるアートという狭いジャンルに限らず、ファインアートからダンス、音楽まで、同じレベルで見せられる場にしたいと考えていて、それはほかにあまりない特徴かもしれません。

磯村 あくまで僕個人の感想ですし、アーティストランスペースに限った話ではなくなってしまうのですが、いろいろなスペースを訪れたときに、どこか居づらさを感じたり、みんなで盛り上がっている内容に違和感を感じたり、何か取りこぼされているものがあるかもしれないと感じたりすることありました。そうしたなかで、自分の行動としては黙ったり、その場から離れたりしてきたけれど、そういう感じてきた違和感みたいなものに対して、この場所では声を上げることが尊重される空気があると思っています。

丹原 この場所の温かい感じは、日本のアートスペースにはあまり感じられなかったものだと思います。そういう場所をほかに探すより、つくっちゃおうという思いもあった。

──UGOの温かさは、僕にも思い当たることがあります。じつは正式にオープンする前、夜中に一度UGOを訪れて、磯村さんや(中尾)一平さん、(三好)彼流さんとお話しさせてもらったんですよね。そのとき衝撃的だったのは、近くのコンビニで働いているネパールの方が「休憩1時間あるから」と、突然現れたこと(笑)。1時間、僕たちの会話に自然に混じってお喋りして、また戻っていった。あれにはとても驚きました。

丹原 そういう出会いは多くて、入り口にある看板の施行中、ネパール出身のデュバさんという何十年も内装業を営んでおられる方が、「やり方間違っているよ」と声かけてくれて、差し入れでくれたビールをみんなで飲みながら彼に正しい施工方法を教えてもらったり。彼はいまでもよく友達を連れてきてくれますが、ここにいるとみんなが自然に来てくれるんですよ。

──本当に路地の延長線上に、このスペースがある感じですよね。

磯村 メタファーではなく、本当にこの屋外のスペースが半プライベート、半パブリックな場所として機能しているんです。この道の上はオフな感じで、普段の展示会場では話さないような人とも話せるし、展示会場で話す人とも、そこでは話さない話をできる。この半分「外」で半分「内」みたいな空間が、僕たちの活動においてはすごく重要で。

新大久保UGOへと続く私道。左から龍村景一・大里淳《メディア1》(2020)、磯村暖の壁画、三好彼流《カル壁》(2020)

──なんか、日本っぽくないですよね。東南アジアとかに行くと、路上に「この人たち何しているんだろう」という人が大勢いたりするじゃないですか。ゲームしたり、おしゃべりしたり、ただボーっとしたりしている。この場所はその雰囲気に近い。日本は、公と私の空間がわりとはっきり分かれているけれど、ここはグレーな場所になっている。

磯村 僕もタイによく行っていたんですけど、タイだと昼寝や歯磨きを外でやっていたりしますよね。その空気が好きでタイに惹かれたんですが、UGOには近いところがある。

丹原 この前、知らないおじいさんがここに座って読書していました。おそらく地元の人なんですけど、声をかけたら、「ちょっと時間あったから」と。「どうぞどうぞ」という感じでお話ししたのですが、地元の人からは公園みたいにも使われていますね。

UGOに集う人々

──その居心地の良さの理由は、みなさんがリーダーを立てずに活動している、その人間関係のフラットさにもある気がします。最初は磯村さんや丹原さんが始めたけれど、そこに徐々にメンバーがそれぞれの経緯で加わっていった。一平さんは高校時代にオーストラリアに行かれていて、現地で外国人として苦労されたとお話しされていましたが。

中尾 自分が移民という立場になって、日本にいたら感じないような違和感、不快感を感じたのは事実です。それがUGOに入った直接の理由でもないんですが、そうした積み重ねがあるなかで(磯村)暖くんと出会って、ここに遊びに来て、住むようになると、居心地のよい温かさや、個人が受け入れられる感じがあった。僕は映像表現に興味があるのですが、いろいろ制作のサポートもしてくれます。一度は大学に行こうとも思ったのですが、コロナ禍もあったし、大学に行っても居づらさを感じるのかなと思うときに、ここにはいろんな人と接することができる場になっています。

──(ぱにぱにぱにぱに)ともちんぱさんはどんな経緯で参加したんですか?

ともちんぱ 私はもともと暖くんと友達で、ルームシェアしてたんですけど、それがコロナで解消になって。実家の茨城に帰るのも嫌だなってUGOに転がり込んだら、「なんかここ、爆上げポイントだな。ワンチャン、バズるかも」って気持ちになって入りました。土地のバイブスに、自分と同じバイブスを感じて。私は人生「ウケる」こと前提で動いていて、ここならやりたいことができるかもって思って入って、見事できてるんで、大成功です。

──SNS広報担当としてインスタの投稿もやられていて、おもしろいですよね。

ともちんぱ ありがとうございます! UGOのインスタは、自分のなかの「(笑)」を最大限活かしてやっています。美術界隈にない言葉を意識してるので、やったー、狙い通り!

──(笑)。彼流さんはもともと大阪にいたんですよね?

三好 大阪で道をつくるバイトをしてたんですけど、夏前に暖くんから「壁の制作をしてくれない?」ってLINEが来て。もともとはすぐ帰る予定だったんですけど、超楽しいし、そのまま大阪のバイトも辞めちゃって住んでいます。その流れで、オープンのときに開催した「UGO祭 2020」では、前から考えていた大きな足の作品をつくりました。

展示風景より、左から三好彼流《足》(2020)、林千歩《おしゃれ虫》(2019)、《BL(バードライフとボーイズラブ)》(2015)、《崖の上のティボリ》(2016)、AHMED MANNAN《犬犬、植物ぱーてぃ》(2020)

──なぜ、大きな足を?

三好 もともとのインスピレーションは「特捜戦隊デカレンジャー」です。5体の車が合体して大きなロボットになるんですが、俺がレッドで「本体」になったら、「足」になるメンバーはリアルではあんな感じかな、と。それを実際に体験してみたかった。

──(笑)。

三好 一度大阪でつくったんですが、片足でスペースが足りなくなっちゃって。でも、ここなら2足つくれると思って制作しました。UGOで知り合った人に大勢手伝ってもらいました。

山縣 私は今年春から大学院生になったんですけど、コロナで大学が閉鎖してしまい。でも6月に個展を控えていて、大学の同期だった龍村くんに相談したら、ここを紹介されてあれよあれよで住むようになりました。龍村くん以外は初対面だったんですけど、居心地が良かったというより刺激的でしたね。地方から出てきて、東京に住み始めて、いろんなアートスペースには行っていたんですけど、どこか疎外感があるというか、東京では何かつながりがないと関係性を結べないなと思って、複雑な気持ちだったんです。

──外からは入りにいくいアートスペースも多いですよね。

山縣 UGOに住み始めた頃は緊急事態宣言中だったんですけど、毎日誰か来て、こういう状況に身を置くことがこれまでなかったなと思いました。大学だと内のつながりしかないけど、そこから外に出るチャンスとしてUGOは魅力的な場所だな、と。あと、日常生活が本当に面白くて、みんなでご飯をつくるんですけど、それが一大イベントなんです。魚とかお肉とかをさばいたりする様子をインスタライブで中継したりして、アーティストの生活感をここまで見せられるのかというところにも、個人的には可能性を感じています。

バー、ギャル、それぞれの作品

──UGOでは、バーも重要な要素になっています。

中尾 バーは海野林太郎さんと僕が担当した《バー「ダイナソウ」》(2020)です。海野さんに聞いたのですが、「VA-11 Hall-A ヴァルハラ」というバーテンダーアドベンチャーゲームがあるそうで、これはバーに集まる人のバックグランドをもとに、ストーリーが発生するゲームなんです。それも参考しながら、このバーでは、訪れるアーティストや、いろんな国籍のご近所さんの背景を観察する場所というのを意識しています。いわば、バーという場所を使った、新大久保の定点観測プロジェクト。バーに立っていると、いろんな会話が断片的にぽつぽつ聞こえてきてすごく面白いんです。僕はその場に留まっているのが苦手なので、ウロウロ片付けたり、歩き回るのですが、そのときあちこちから聞こえてくる人の話に刺激を受けています。

海野林太郎・中尾一平の《バー「ダイナソウ」》(2020)

磯村 一平くんは「UGO祭」で初めて作品を展示したんですが、それもマジで良かった。

中尾 大阪の西成で撮影した映像で、これまで人にフォーカスするドキュメンタリーが多くあるなかで、僕は人をまったく映さず、人がいた痕跡というか、コミュニティの跡や人がいた痕跡を撮影しました。自分で犬のラバーのマスクを被り、どこにも属せないような存在としてユラユラ歩くパフォーマンスも含んだ、《西成のからだ》という作品です。

──ともちんぱさんは作品はつくらないんですか?

ともちんぱ 私はワンチャンつくるかもって感じです。でも、ここと別にホストクラブで働いていて、そのYouTubeの企画制作しているんですが、それとUGOを融合したくて、オープニングではホストの人たちを呼んで、シャンパンコールをしてもらいました。「MES」(谷川果菜絵&新井健)というユニットにレーザーでコラボしてもらって、めちゃくちゃ盛り上がりました。

丹原 ともちんぱは「職業=ギャル」と言っていますが、ギャルがアーティストとの接点を持つことで生まれる目線は、この場所にとってとても大事だと思っています。

磯村 そういう人たちは、作品を見たときの感想が全然違いますね。値段を聞いて「誰が買うの?」みたいな。僕の作品を見たときに、値段を聞いてドン引きするとか。

丹原 結構、怖いですよ(笑)。イケてないことはイケてないとハッキリ言うから。

──丹原さんは作家としてはどんな活動をされてきたのでしょうか?

丹原 ここに来る前はボストンで活動をしていて、体液とか身体から出るものを使う儀式のようなパフォーマンスをしていました。友達や恋愛のようなわかりやすい関係とは違う複雑な関係性も人にはあって、そうした新しい関係に対する儀式として2013年から始めました。たとえば、入ったお風呂の湯を飲み合う茶室の儀式や、人の尿を顔写真付きで飲用で売るカフェ、あとはジャコウネコの糞からつくられるコーヒー「コピ・ルアック」の人間版をつくったり。

──それはなかなか……。

丹原 生活習慣によって、人の腸内フローラは変わり、腸内での発酵プロセスも変化します。だから、味も変わるかと思って始めたプロジェクトですね。実践と勉強の中でうまくいかないことも分かったのですが、やってみることで気づくことも多くて。もともとオランダ領だったインドネシアは、現地の人がコーヒー豆を採ることを禁止していて、ジャコウネコの糞なら使えるだろうというところから、そのコーヒーが生まれた経緯とか。尿も、健全な方なら基本無菌なのですが、人の生活などによって味から色まで個人差があって。乳牛が牛乳を出すように、人が生産をするということや、それを売ることで見える人の価値とか、そうしたことを考えたい。

山縣 私はこれまで大学で普通に制作してきたので、ここにいる人や出入りする人の作品のつくられ方や手付きは参考になっています。

──山縣さんはこれまでどんな作品をつくられてきたのですか?

山縣 肌の作品をよくつくっていて、表面や臨界に興味があります。作品では極私的な領域のものを扱っていて、女性という立場や、客体にされやすいモチーフについても考えています。よく使うのは自分のミミズ腫れで、タトゥーではなく変化しやすい、消えてしまうそれを使って映像をつくっています。そんな身体の作品をつくってきた私にとって、ここのメンバーがみんな、すごくよく踊る人たちであることは驚きでした。私も含め、美術系には踊るのが苦手な人も多いと思うんですが、暖さんはヴォーギングのワークショップを開いたりしているし、みんな、日常的に踊るという文化ができていて。

ともちんぱ UGOには手づくりのステージがあるんだけど、それができたときはみんな感情が爆発してとんでもなく踊っていたよね。

山縣 ともちんぱさんも私の誕生日にパラパラを踊ってくれました。彼流くんは自作の竹馬をよくやっていたり、一平ちゃんは独特のフラフラした歩行の動きを持っていたり、そういうみんなの導線や軌跡をダンスマップにして可視化したら面白いと思い、「UGO祭」にはダンスマップを示した絵画作品を出しました。

UGOはいかなる集団なのか

──みなさんのなかで、UGOはどのような位置づけなのでしょうか? コレクティブなのか、ある種の場なのか。従来のアートコミュニティには、スポークスマンや中心人物がいる場合も多かったですが、話を聞きながら、ここにはそれと違う質を感じます。印象的なのは、みなさん話すときに「これは自分の考えだけど」と前置きをして、誰かがこの場を代表しないようにしていること。あくまで個人として語るという意識を強く感じます。

丹原 つねに変わっているので、「これ」という言い方を避けていますね。

磯村 「コミュニティ」という言葉が一番近いと思うけど、そう呼ぶことに反対している人もいて、いろいろな人のいろいろな意見があっていいなと。

丹原 わかりづらいかもしれないけれど、面白さの感覚をある程度共有している集まりのそれ以上でも以下でもないんです。呼び方に縛られたくなくて、「メンバー」という表現もしていますが、それは雑務をしている人を簡易的に呼んでるだけなんですよね。

磯村 正式に文章にするときは「メンバー」ではなく「実行委員会」としています。

山縣 私はその呼び方をすごく気に入っています。「コレクティブ」として境界線をつくるのではなく、よく来る人や地元の人も含めて、緩く括れている感じがするから。

磯村 今日、この場にたまたま同席しているコアさんと佐山パトリック未来さんも、実行委員ではないけれど、いつも顔を出してくれる方たちです。コアさんは近所でフラダンスの先生をしているハワイのフラの家元で、ここでゲストとしてパフォーマンスをしてくれました。パトリックさんはアートアドバイザーで、オープン後、週4くらいで来てくれています。

パトリック 六本木からママチャリで来ています(笑)。私は以前、アメリカに20年ほどいたのですが、UGOを訪れたとき、マイアミのアート地区「ウィンウッド・ウォールズ」を連想したんです。「アート・バーゼル・マイアミ・ビーチ」の時期にアーティストや関係者が酔い潰れて交流する場所ですが、日本にはそういう場所がなかった。僕はそこが大好きで、UGOに来たときその日本版ができたと思いました。アートを通じたコミュニティの活性化では、1970年代にディベロッパーのトニー・ゴールドマンがニューヨークのソーホーをスラム街からアート街にしたことも想起します。2009年にできたウィンウッド・ウォールズも、いまでは一大アートコミュニティとなっていて、バーゼルと連携しながらそのブロックだけで一万人を呼べるようになっている。UGOには、それらと同じような日本のアートシーンを変えるパワーがあると感じて、ファンになりました。

丹原 パトリックさんは多くのコレクターとSNSでつながっていて、毎日のようにUGOのことを書いてくれています。それで知って来てくれるコレクターもいて。

磯村 だから、ともちんぱさんだけでなく、パトリックさんもある種宣伝部長なんだよね。

──展示やイベントの企画は、どのように決定しているのでしょうか?

磯村 それぞれ企画を考えて提案したり、つながりのある人から提案を受けて企画する感じです。いまやっている「ルヌルヌ(runurunu)」のデザイナーの川邊靖芳さんの展示も、僕が前からルヌルヌさんのファンだったところに、ルヌルヌさんから個展をやりたいとのお話をいただき、実現しました。展示だけでなく、彼流くんは成人式をしたいと言っているし、一平くんは映像祭をやりたいと言っていて、いろいろです。

丹原 他のスペースで不満があったり、やりたいことができなかったり、安全じゃないと感じたりした作家さんが「UGOならやりたい」と言ってくれるのがすごく嬉しいですね。

ルヌルヌ「ANIMAGRA」(2020)の展示風景

時間をかけて「個」同士が対話をする

──ひとつの理念を掲げているわけではないから、場所としての間口が広いですね。

磯村 いっぽうで、外から見ると僕たちが思い描くほど広くもなくて、どちらかというと僕含めて見た目が派手な人が多いので、怖がられる場合もあります。

丹原 僕らとしても「誰でもオッケー」にはしたくなくて、不特定多数に来てほしいという思いはあるけど、同時にここだから安全な気持ちでいられるという人もいて、そういう人を守ることの方が、多くの人に開くより大事だと思っています。

磯村 以前、Twitterで「“誰でも自由に”ではありません。あらゆる差別主義者などの危険な人物は制限もするし規律もあります」と投稿したら、「差別主義者を差別している」という反応があったんですが、そういう人にとっては居心地が悪い場所でしょうし。

丹原 社会に向けて何かしたいわけではなく、これは僕たちのスペースで、我々は自分たちができることをやろうとしている。僕たちが素敵だと思う人に発表の場を提供したいと思うだけで、そこに普遍的なマニュフェストみたいなのがあるわけではないんです。

──僕ももともと用意していた、テンプレ的な、「この場所の社会にとっての意義」みたいな質問を途中からしないようにしようと思いました。それよりも、ここに実行委員会のメンバーが集まることで体現されているものの方が、よっぽど大切なんだろう、と。

丹原 あるビジョンを共有しているわけではなくて、大好きだからこそ喧嘩もあるし、言いたいことが言える場にしたいから、ミーティングが超長くなることも多いです。だけどそこでみんなが納得するまで話し合って出した答えだから、きちんと進められる。

磯村 最初は僕個人にとって安全な場所がほしくて、同じ意見の人がいたらいいと思っていたけど、じつは意見が合わなかったり、思想が違う人もいます。そのなかで、嫌だなと思うこともあるし、どうしてそんなことするの?という場面もあるけれど、こういう場があるから違いを定点観測できるし、自分のことを振り返る機会にもなっています。小さな小競り合いもあるけど、僕はそういう要素は排除したくない。

山縣 いまのところ個人的に嫌な思いをしたことがないのはポイント高いんですけど、油断はしたくないですよね。いろいろな問題を孕む要因は排除しきれないというか。私も発言を引っ込めちゃうタイプだし、さまざまな要因が混ざって、良くない差みたいなのが生まれる場面はどうしても出て来てしまう。でも、UGOの良いところは、悪いところでもあるけど、合意形成にかなりの時間をかけていること。効率は悪いけど大事だと思います。

──その効率の悪い時間は、トップダウンじゃないからこそ求められる時間ですよね。集団のなかにある種の「危険」の種があるという冷静な視点も、重要だと思いました。

三好 ここに来て、人生で初めて会議を経験して、「これが会議なんや」って思って。なんかわからんけど、ゆっくりな気がして。討論すべきことはたくさんあるのに、一本目の討論で全部の時間を使っちゃう。でも、それが大事やと思っていて。独裁者みたいな人が決めちゃうんじゃなくて、発言するのが苦手な俺にも「意見ない?」と聞いてくれる。19歳の人間にも意見を聞いて取り入れようとしてくれる、その姿勢はいいなと思います。

中尾 場所のあり方が男性社会的になると、誰かの強い意見を中心に議論が展開されていって、多数決で結論が決まってしまう。それはある意味で効率がいいやり方だけど、そうじゃない方向をやっぱり意識したくて、僕自身も、的外れでも何か言わなきゃって思っています。UGOが何なのかということに関しても、以前は「コミュニティ」と言っていたけど、いまは少し変化しています。でも、その変化を受け入れる柔軟さは、トップが強い状態では実現できないものだと思うんです。この前、プランターの棚がUGOに来たんですが、みんなが入れたいものを入れて、「良い感じになったからよくない?」ってその場が決まって。そういう即興の出来事を受け入れるところに、僕は居心地の良さを感じます。言葉よりも自分たちの生活を繰り返すうちに、自然と出てくるものを大切にしたいと思っています。

新大久保UGO前の私道

それぞれが当事者として継続する

──みなさんが既存のアートコミュニティのあり方をなぞるのではなく、ミーティングのやり方まで含んだ運営の部分から問い直していることがわかりました。その実践は、大義名分を並べたコンセプトや、「カッコいい」展示をつくることより、重要だと思います。

ともちんぱ 私、話を聞くのが苦手で、会議が大嫌いなんです。マジ苦手。UGOの会議は進むペースがバカ遅いし、途中からイライラしてくるんですよ。でも、ちゃんと決めたい物事に対して、みんなで死ぬほど向き合って、納得できるまで話し合うっているのを見るとすごいタフだなと思います。あと、この場所が最強だなと思うのは、アート界隈の人にしてはみんな良い意味でミーハーで、人を職業で分けないところ。わかりやすく言うと、アートの人には芸能人とか興味ない人が多いじゃないですか。でも、ここの人たちは、モデルさんとかが来たとき「写真撮ってください!」みたいに若者のノリができる。そのスカさない感じに親しみやすさがあるし、そこが超重要な最強ポイントだなって思います。

丹原 そうやっていろんな人がいるなかで、リーダーがいなくても成り立つのは、一人ひとりがめちゃくちゃこの空間に当事者意識を持っているんですよね。お金とか、コミュニティとしての意味とは違う行動原理をみんなが持っているから、成り立っている。

──この場所をより良い場所にするために、今後やりたいことはありますか?

丹原 このスペースやコミュニティがちゃんと持続可能なものとして10年、20年と残っていくために、やらなきゃいけないことはたくさんあると思います。でも、それは我々だけではできないと思っていて、ほかのアーティストや、アーティストじゃない人も含め、同じように当事者意識を持ってこの空間を応援してくれたり、賛同してくれたり、ファンになってくれたりする人がたくさんいてこそ、初めて胸を張れる活動ができると思う。そのためには、まずは、いろんな人にどんどん来てもらわなきゃいけないと思っています。

磯村 個人的には、ここを始めてから、個人のときよりも人に頼ることの不可欠さや、助けてくれる人の存在の大切さを感じました。しかも、人にはそれぞれの助け方があって、話すことで助けてくれる人もいれば、ともちんぱみたいに頭蓋骨マッサージをしてくれる人もいる。それぞれに違う背景や時間的な条件があるなかで、それぞれが自分の特技や仕方でお互いを助けている。そういう場の可能性を、今後も見つめていきたいです。

丹原 見返りじゃなくて、ここを守りたいみたいな気持ちで、それぞれに得意な方法で関われると良いよね。

磯村 それぞれに目的も違うし、魅力も結構バラバラだと思うし。僕はパトリックさんみたいにこの場所をマイアミみたいだと思ったこともないし。

パトリック そうなんですか? じゃあ今度、みんなでマイアミに行ってパーティーをしよう!

一同 行きましょう! マイアミ行くー!