じつは複雑なアートオークションの仕組み。「シャンデリア」の下の秘密とは?
アートの世界でもっとも世間をにぎわせるニュースのひとつに、オークション関連の話題がある。時にオークションの落札結果は、アーティストや作品の価値を測るひとつの指標としても重要視される。このオークションシステムがじつは複雑な仕組みで成り立っていることをご存知だろうか? 「Art Law」を業務分野として掲げる日本で数少ない弁護士のひとり、木村剛大が法的な視点も交えて解説する。
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2019年5月15日に開催されたクリスティーズ・ニューヨークの「Post-War and Contemporary Art Evening Sale」でアートオークションの記録が塗り替えられた。
ジェフ・クーンズの《Rabbit》(1986)が、約9100万ドル(約100億円)で落札され、この時点で現存アーティストとしてアートオークションでの最高落札額を記録したのだ(*1)。ひとつの彫刻で100億円である!
ギャラリーによるアート作品の一次流通を「プライマリーマーケット」と呼ぶのに対して、アートオークションでの二次流通は「セカンダリーマーケット」と呼ばれる。
オークションでの落札価格は公表されるため、落札結果はアーティストの作品の価値を示す重要な指標になる。オークションはアートワールドに欠かせない生態系を構成している。
多くの人は、オークションというと、出品された作品に対していちばん高い価格の札を上げた人が落札する、とてもシンプルな取引だとお考えかもしれない。筆者もそう思っていた。
しかし、オークションには様々な開示ルールや仕組みがあり、実際は大変に複雑な世界なのだ。以下では世界のアートマーケットの中心であるニューヨーク市のルールの一端を紹介する。まず、基本的な用語の中身を確認しよう。
リザーブ・プライス(Reserve Price)
アートオークションでは、ほぼすべての出品作品に「リザーブ・プライス」が設定される。リザーブ・プライスというのは、出品者が設定する、ある一定の価格に達しなかったら作品を売らないという最低売却価格のことを意味する(以下ではたんに「リザーブ」と言う)。
ニューヨーク市のルールでは、リザーブが設定されているかどうかを、オークションカタログやその他の印刷物に表示しなければならない(*2)。しかし、リザーブが実際にいくらなのかは開示しなくてよい。
カタログへの表示方法は、オークションハウスによって異なる。ここではクリスティーズの例で説明してみよう。
例えば、冒頭で取り上げた2019年5月15日開催のクリスティーズ・ニューヨークの「Post-War and Contemporary Art Evening Sale」のカタログでは、リザーブが設定されていないロットはひとつもない。
クリスティーズの表示方法では、リザーブが設定されているときにはロットナンバーの隣に何も表示をしない。他方で、リザーブが設定されていないときは、ロットナンバーの隣に小さな丸印のシンボルが表示される。
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2018年11月15日開催のクリスティーズ・ニューヨークの「Post-War adn Contemporary Art Evening Sale」では、デイヴィッド・ホックニーの《Portrait of an Artist (Pool with Two Figures)》(1972)がリザーブなしで出品されることがニュースになった(*3)。リザーブが設定されないとニュースになるくらい、リザーブはほぼ設定されるのが実務での取り扱いである。
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の出品ページ 出典=クリスティーズ・ウェブサイト(https://www.christies.com/lotfinder/paintings/david-hockney-portrait-of-an-artist-6171867-details.aspx?from=salesummary&intObjectID=6171867&lid=1)
なお、プリントされたカタログではロットナンバー9Cの隣に何もシンボルが付いていない。これはカタログ発行時点ではリザーブが設定されており、その後オークション開催前の11月9日にリザーブが外されたためである(*4)。
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このリザーブは、歴史的にはアートディーラーのグループ(「リング」と呼ばれる)による談合を防止する機能を期待して始まったそうだ(*5)。仲間内で価格を口裏合わせしてできるかぎり低い価格で落札し、その後に仲間内で取引しようとするのを防ぐためである。
出品者にとって、リザーブを低く設定すると、当然ながら入札価格が低くても売却になる可能性が上がる。他方で、リザーブを高く設定すれば入札価格がリザーブに達さず不落札になる危険性が上がることになる。
これが何を意味するか? オークションで売れないことは作品の価値にマイナスの影響を与えるので、出品者としては避けたいのである。
エスティメート(落札予想価格、Estimate)
次は、エスティメート(落札予想価格)の解説をしよう。リザーブを理解するためには、エスティメートについても知る必要がある。
オークションカタログを見ると、各ロットに一定の範囲の価格が書かれている。これがエスティメートである。リザーブは、ロー・エスティメート(落札予想価格の低いほう)を超えてはいけないルールになっている(*6)。
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ジェフ・クーンズの《Rabbit》では、エスティメートは5000万ドルから7000万ドルとなっている。このロットナンバー15Bの隣には何もシンボルが付いていない。そのため、リザーブが設定されていることがわかるが、ロー・エスティメートの5000万ドル以下で設定されている。
それではエスティメートはどのように決まるのか? 基本的にはオークションハウスの専門家(スペシャリスト)が作品を評価して設定するが、出品者とオークションハウスとの交渉という要素もある(*7)。
エスティメートにはハイ・エスティメートとロー・エスティメートがあるものの、これらに入札価格が拘束されるわけではない。あくまでオークションハウスの評価なので、実際の入札価格がハイ・エスティメートをはるかに超えることもあれば、ロー・エスティメートにもリザーブにも届かず不落札になることもある。
クーンズの《Rabbit》が、ハイ・エスティメートを大きく超えた約9100万ドル(約100億円)で落札されたことは冒頭でご紹介したとおりである。
ニューヨーク市のルールでは、リザーブに達さず不落札になった場合、オークションを仕切るオークショニアは、ロットが「passed」(パスになりました)、「withdrawn」(取り下げられました)、「returned to owner」(オーナーに戻されました)または「bought-in」(買い戻されました)とアナウンスしなければならない(*8)。
シャンデリア入札(Chandelier Bidding)
「シャンデリア入札」を聞いたことがあるだろうか? シャンデリア、というのはホテルなどの天井に吊り下げられる、あのシャンデリアである。
シャンデリア入札というのは、オークショニアがオークションを盛り上げるために、実際の入札がないのに入札があったかのように振る舞うことを言う。これはニューヨーク市のルールで明確に認められている(*9)。
もっとも、オークションカタログで事前にシャンデリア入札がされることに関して明示しなければいけない。それから重要な規制として、リザーブに達した後は、シャンデリア入札は許されない(*10)。
シャンデリア入札の効果は、場を華やかにすることにある。しかし、オークション参加者はリザーブを知らないため、目の前の入札がシャンデリア入札かどうかはわからない。実際には不人気な作品であっても、シャンデリア入札によりほかの参加者による入札があるかのような空間が人為的に演出されることになる。そのため、シャンデリア入札については批判も多い。
保証(Guarantee)
オークションハウスにとっては、質の良い作品を出品者から集めることがオークションセールの成功のために重要となる。不落札になることを回避し、出品者に作品を出品してもらいやすくする手法として「保証」がある。
これは、その名のとおり、オークションハウスが一定の金額で作品を購入することをあらかじめ出品者に保証することを言う。オークションハウスが保証しているときにはオークションカタログに表示しなければならない(*11)。
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さらにはオークションハウス以外のアートディーラーなどの第三者による保証が使われることもある。第三者保証の場合、誰が保証しているかは秘密にされる。このような保証の有無もカタログで表示しなければいけない(*12)。
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![](https://bt.imgix.net/magazine/21322/content/1581323746226_082606c3a9c6ecba02cf830cb1cf0d57.png?auto=format&fm=jpg&w=1920&h=1080&fit=max&v=0)
さて、これらの手法に問題はないのだろうか?
まず、オークションハウスが保証することは出品者とのあいだで利益が相反するおそれがある(*13)。オークションハウスは出品者のために作品をできるだけ高く売るべき立場であるいっぽう、オークションハウス自身が作品を相場よりも安く買えれば転売することで利益が上がることになる。
次に、第三者による保証については、保証した第三者も自分が保証したロットの入札に参加できる点が問題だと指摘されている(*14)。 つまり、保証人は、落札価格を上げるために、保証額を知らない入札参加者による入札に対抗して自ら入札することができる(*15)。これはクリスティーズのカタログにも記載されている。
そして、最終的に保証人自身が保証した作品を落札した場合でも、保証人は保証額と落札価格の差額の一定割合の取り分を得ることができる。結果として、保証人は、落札価格よりも安価に作品を落札できることになる(*16)。
日本にも開示ルールが必要か?
現状、日本の法律ではアートオークションに関する情報開示ルールは何もない(*17)。そのため、オークション会社の規約でルールが決まっている。シャンデリア入札に関しても、どのような記載があるか、国際的な水準に沿っているか、ニューヨーク市のルールと比較してオークション規約を注意深く読んでみると面白いかもしれない。
アートオークション、そこはシンプルとは程遠い、じつに複雑な世界なのだ。
*1── Christie's, Jeff Koons’s record-breaking Rabbit shines bright in New York, May 17, 2019.
*2──Rules of the City of New York(R.C.N.Y), Title 6, Chapter 2, Subchapter M, §2–122(f)(1).
*3──Tim Schneider, The Gray Market: Why Christie’s Is Selling an $80 Million Hockney Painting With No Reserve or Guarantee (and Other Insights), artnet, November 12, 2018.
*4──Maximiliano Duron, In Rare Moment of Market Transparency, Valuable Hockney Pool Painting to Be Sold Without Reserve, ARTnews, November 9, 2018.
*5──Jorge Contreras, The Art Auctioneer: Duties and Assumptions, 13 Hastings Comm. & Ent. L.J. 717 (1990-1991) p. 744.
*6──R.C.N.Y., Title 6, Chapter 2, Subchapter M, §2–123(d).
*7──Don Thompson, The $12 Million Stuffed Shark, Aurum Press, 2008, p.135.
*8──R.C.N.Y., Title 6, Chapter 2, Subchapter M, §2–123(a).
*9──R.C.N.Y., Title 6, Chapter 2, Subchapter M, §2–123(b).
*10──R.C.N.Y., Title 6, Chapter 2, Subchapter M, §2–123(c)(1).
*11──R.C.N.Y., Title 6, Chapter 2, Subchapter M, §2–122(d).
*12──R.C.N.Y., Title 6, Chapter 2, Subchapter M, §2–122(d).
*13──Jorge Contreras, The Art Auctioneer: Duties and Assumptions, p. 748.
*14──Robin Pogrebin and Kelvin Flynn, As Art Values Rise, So Do Concerns About Market’s Oversight, N.Y.Times, Jan 27, 2013.
*15──Graham Bowley, Sotheby’s and Christie’s Return to Guaranteeing Art Prices, N.Y.Times, Jan 7, 2015.
*16──Robin Pogrebin and Kelvin Flynn, As Art Values Rise, So Do Concerns About Market’s Oversight, N.Y.Times.
*17──石坂泰章『巨大アートビジネスの裏側 誰がムンクの「叫び」を96億円で落札したのか』(文春新書、2016)237–238頁参照。