ニューヨークで行う、1日限りの試み。シリーズ:蓮沼執太+松井茂 キャッチボール(7)

作曲の手法を軸とした作品制作や、出自の異なる音楽家からなるアンサンブル「蓮沼執太フィル」などの活動を展開する蓮沼執太と、詩人でメディア研究者の松井茂。全14回のシリーズ「蓮沼執太+松井茂 キャッチボール」では現在、ニューヨークが拠点の蓮沼と、岐阜を拠点とする松井の往復書簡をお届けする。第7回では、蓮沼が5月2日にニューヨークにて行う1日限りの展覧会「Someone’s public and private / Something’s public and private」について語る。毎週土・日更新。

文=蓮沼執太

蓮沼執太 Fluid compositions 2018 Pioneer Worksでの展示風景 Photo by Takehiro Goto

蓮沼執太
パブリック・プライベートの並列性

 先週ニューヨークに戻ってから、新作を数曲レコーディングしていたり、マンハッタンの公園で行う1日限りの展覧会(プロジェクト)の準備をコツコツとしています。こちらの気候もだいぶ良くなってきていて、春を感じてます。今回のキャッチボールは、まずこのプロジェクトで僕は何をするのか、という説明から始めていきます。そうすることで前回、松井さんが提起してくれたパブリックという主題、そして芸術の受け手の問題へと続いていければ良いなと思っています。

 プロジェクトのタイトルは「Someone’s public and private / Something’s public and private」。「ある者の、ある物の公共とプライベート」という訳が近しいと思います。昨年、ニューヨーク・ブルックリンにあるアートスペース「Pioneer Works」で《Fluid Compositions》を展示しました。僕の体重53.9kgの水が入ったボトル77本を来場者が展示室内で移動させる作品です。

 水なので会期中にどんどん蒸発していって、音と同じように目には見えない存在になり空気に混ざっていきます。ボトル同士が接触して鳴る音も好きなんですが、この作品を今回はプロジェクトとして公園にインストールします。場所はトンプキンス・スクエア・パークという、マンハッタンのイーストビレッジの南に位置する大きな公園です。

トンプキンス・スクエア・パーク 出典=ウィキメディア・コモンズ

 この公園の中心に古い大きなニレの木が象徴的に立っていて、1966年にクリシュナの指導者・プラブバーダが、この木の下でインド以外で初めて屋外のパブリックスペースでチャンティングのセッション(打楽器演奏)を行った場でもあります。労働運動、政治デモの場でもありました。近年はジャズのフェスティバルが行われたりもするし、子供のためのプレイパークやドッグランがあったり、卓球台やチェス台もあったり、と開放的な場所です。もともと治安はあまり良くない地域だったのですが、近年は美術界隈では若いギャラリーができたり、近所にアンソロジー・フィルム・アーカイヴズなどがあるエリアで、治安は改善されています。

 今回のプロジェクトを遂行するために、事前にニューヨーク市の公園管理に申請を出して、市から提案されたのがこの公園でした。僕は上記の歴史を少し知っていたので、快諾しました。

 有名な話かもしれませんが、そもそもニューヨークの40パーセントは道と公園なんですね。ストリートが26パーセントで、パークが14パーセント。かなりの割合で公共空間が占めていることになります。その意味合いとして、年齢、性別、人種、階級に関係なく誰でも受け入れているデモクラシー、コミュニティの場所として機能させていこうという背景が見られます。

トンプキンス・スクエア・パーク 出典=ウィキメディア・コモンズ

 先日、会場となる公園に行ってきました。春めいた日曜日ということもあり、大勢の人々で賑わっていました。綺麗な格好をして犬を連れて歩く人のすぐ横にホームレスがいたり、ブランコで遊ぶ親子、リスを写真撮ろうとする観光客など、多種多様です。ひとりになりたいという理由で公園に足を運ぶ人もいれば、仲間と一緒にいたいという理由で公園にくる人もいる。公共空間というのはプライベートでもあり、パブリックでもあり、それらが並列的に関係する空間なんだという印象を受けました。この日も数時間、公園を観察していても改めて「面白いなぁ」と思える光景がたくさん見受けられました。

 この話に何回か登場しているニレの大木のまわりを展示スペースとして《Fluid Compositions》をインストールします。水が入ったボトルだけではなく、インストラクションや環境音の録音、新しい作品も数点展示予定です。会期中(12~16時)に場所に訪れた人がボトルを移動させることで、展示空間を変えていきます。展示されるインストラクションには「ボトルの移動」「ボトルを自宅に持ち帰る」ということが記載されています。水入りのボトルの、公園という空間から自宅という空間への移動が行われます。

 資生堂ギャラリーでの個展図録のために、早稲田大学教授で音楽・文芸批評家の小沼純一さんに「だから、すでに----『 ~ ing』をとおって」というテキストを寄稿していただきました。

 だから、すでに、始まっていたんだ。展示会場だけじゃなかったんだ。時間的、物理・身体的な(以)前にも、過去にも未来にも、あったし、ある。「いま」 だけでない、「そこ」にいる時間・空間だけじゃなく、はなれてしまってもそこにあり、変化(も)している。 

~~~

 蓮沼執太の「 ~ ing」を「サウンドアート」と呼びたくはない。そう呼ぶこともできるのかもしれないけれど、このギャラリーだけに「 ~ ing」が あるわけでなく、もっと外縁が広がっている、縁が融解して人が生きているところとつながってしまっているから。「サウンドスケープ」の語はすでに広く知られているものの、日々の生活、日々いる空間のなかで、実感する、実感しながら生きている人はかならずしも多くない。街を歩いていると全身が通過しまた包まれている。その銀座の音を、あらためて気づかせる装置。いや、誰だって気づいている。気づいているのだが忘れている。そしてそのことを、ギャラリーをとおして、ギャラリーそのものを媒介として、心身に、認識に、記憶にフィードバックさせるのがこの「 ~ ing」なのだろう、きっと。この「 ~ ing」とは、 この会期中、いやもっと広くとって文字どおり「いま」、人、ひとりひとりが生きているその時点でつねに進行形であることを示している。わたし、わたし・たち、 そこにはあなた・たちもいて、「 ~ ing」もいましばらくはありつづけ、この展覧会が終わっても、ときに想起されることで、再演・浮上しつづけられる。 

 このテキストでは、ギャラリー空間から派生した外部の環境との接続について書いていただいています。今回のニューヨークでのプロジェクトは、公共空間である公園、つまり誰でも平等に与えられた共有されるべき空間を中心に、作品を媒体にすることによって、人間の感覚と活動と感情、ボトルや水の関係性を探っていく試みです。

 ある意味でこのプロジェクトは、小沼さんが言及してくださっているような日常の意識の変化を促すような仕組みもあると思うのですが、今回はもっとシンプルに余計なロジックを入れないで、公共とプライベートの並列性を考えていこうと思っています。あとは当日、雨が降らないことを祈るばかりです。

 いま制作している自分の新曲「CHANCE」を聴きながら書いておりました。

2019年4月17日 ニューヨーク・ブルックリンの自宅より
蓮沼執太