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「記憶を記録する」ためのアプローチ。シリーズ:蓮沼執太+松井茂 キャッチボール(5)

作曲の手法を軸とした作品制作や、出自の異なる音楽家からなるアンサンブル「蓮沼執太フィル」などの活動を展開する蓮沼執太と、詩人でメディア研究者の松井茂。全14回のシリーズ「蓮沼執太+松井茂 キャッチボール」では現在、ニューヨークが拠点の蓮沼と、岐阜を拠点とする松井の往復書簡をお届けする。第5回では、3月30日に岐阜県で行われたイベント「羽島市勤労青少年ホームを記憶し記録する1日」を蓮沼が振り返る。毎週土・日更新。

文=蓮沼執太

娯楽室(羽島市勤労青少年ホーム)で音を出す蓮沼執太 Photo by Taiki Isogawa

蓮沼執太 かたちあるものの解体を前に

 いよいよ、この連載が本格的に(オンタイムで)キャッチボールできるタイミングになりましたね。話の流れが坂倉準三になったので、そこから始めたいと思います。

 松井さんからお誘いをいただきまして、3月30日、IAMASの学生が指揮を執るイベント「羽島市勤労青少年ホームを記憶し記録する1日」に参加するため、岐阜県羽島市出身の建築家・坂倉準三が1963年に設計した「羽島市勤労青少年ホーム」に行ってきました。羽島市庁舎の横に位置する建物で、今年の春(4月)に解体されることが決まっています。その解体前に「建物の記憶を記録する」、それも建築的アプローチも含め演奏、展示、パフォーマンスなどの方法を使って行うものでした。

神奈川県立近代美術館鎌倉館 出典=ウィキメディア・コモンズ
(Wiiii, CC BY-SA 3.0 <https://creativecommons.org/licenses/by-sa/3.0>, via Wikimedia Commons)

 僕は2016年9月に神奈川県立近代美術館鎌倉館が閉館する際に、パフォーマンスをしたことがありました。今回と同じように、奇しくも同じ坂倉準三が手がけた建物が使われなくなるタイミングで、その建物の中で自分が何かを行う、というものでした。その時はダンサーの島地保武と酒井はなによるユニット「アルトノイ」と協働でパフォーマンスを行いました。

 会場はイサム・ノグチの《こけし》があった中庭でした。タイトルは「身奏/記憶」と題して、閉館する鎌倉館、そして開館して12年経つ葉山館、それぞれの時空に「記憶」を刻み、「始点」を打ち込む、というコンセプトを設けました。ここではダンサーによる身体を通して、場所の記憶を考えていく試みを行いました。

羽島市勤労青少年ホーム(岐阜県) Photo by Shigeru Matsui

 イベント前日に羽島を訪れ、簡単に建物を案内していただき、その開放的なつくりに感激しました。建物の中で生じる些細な変化、光や音だったり人々の動きが建物を媒介することで生じる反応を楽しめるようなつくりをいくつも発見できました。解体が決まっており、IAMASの学生によって、ふだん使われているようなかたちではない状態でしたが、初見であるにもかかわらず、自分の観察のモチベーションをここまで高めてくれる建物も珍しかったです。

羽島市勤労青少年ホーム2階 Photo by Sakurako Nagano

 僕の活動は観察から入ります。今回は、時間も限られていることもあり、事前にあまり予備知識を備えませんでした。この建物で行おうとしたことは2つあります。1つは僕の映像作品《Walking Score》を制作することでした。ふだん、環境音を録音するレコーダーにマイクをつけて、それを転がすように歩き、録音をして、その模様を映像でおさえる作品です。マイクは地面と接触することでフィールドの音を記録します。マイクを転がす僕自身は屋外に対してパフォーマンスをしているようにも見えますし、その映像に映り込む景色はその時の環境が投影され、考現学的アプローチとしてその時、その場所が記録されます。羽島市庁舎の周りを一周して、解体予定の羽島市勤労青少年ホームの建物の中をマイクを転がしながら歩きました。

蓮沼執太 Walking Score 2019  羽島市勤労青少年ホーム

 2つめはEMS Synthiというシンセサイザーを持ち込んで、イベント中ずっと音を発信し続けて、建物と音を共鳴させる試みをしていました。このシンセサイザーはパッチコードは使わずに、マトリックスのピンボードにピンを打ち込んで音を生成させるシンプルな楽器です。低音による空気振動をさせたり、あらゆる音を混ぜた音を使ってパフォーマンスをしました。

 こうした試みは直接的に「アーカイブ」と呼ぶことは難しい一面もあります。しかし、建物ができ上がり、それを使ってきた時間があり、その期間が終わるときに起こる「保存」という意味を再考するためには、こうしたアーカイバル・リサーチの手法はとても有効であると感じました。一義的な見方で対象をとらえていくことはもちろん大切な役割ですが、昨今様々な分野において、その意義が問い直されつつあるように感じます。

 専門的な視野を軸に物事をとらえていくことは基本中の基本ですが、それだけではどうしてもこぼれ落ちてしまう重要な要素があると思います。今回その対象は、坂倉準三が手がけた「建築」でしたが、僕の活動自体がある意味で多義的な発想を内包しているからこそ、建物の記憶を記録する、という変化球(?)のようなお題に対して、正面からアプローチできたのかな、と思っています。 ​

講堂(羽島市勤労青少年ホーム)の脇に設置した彫刻 Photo by Nozomi Fukao

​ 建物自体は生き物ではないから記憶できません。人間だって建物への記憶という存在は様々です。近年日本でも注目されているティモシー・モートンが提唱している考えに近しいものがあります。彼は「かたちをなしてしまったものであるならなんであれ解体するということがおろそかになる。固定化されることがなく、対象を特定のやり方で概念化して終えてしまうのではないエコロジカルな思考は、したがって“自然なき”ものである。」と言います。

娯楽室(羽島市勤労青少年ホーム) Photo by Taiki Isogawa

 ここでは、かたちあるものの解体という「自然」な思考というもの自体が、イデオロギーとして固定されることによって阻まれてしまう、と指摘しています。しかし、そのプロセスを固定化してしまうことでもなく、その対象を特定の方法で概念化して終えてしまうのでもなく、「記憶」のかたちが様々に存在するように、「記録」のかたちも多角的に行うプロセスが必要なのだと思います。モートンが言う対象化された自然概念はもはや「自然」ではない、という考え方は、直接的に自分の活動の方法論と接近しており、5月2日にニューヨークにあるトンプキンス・スクエア・パークで行う1日限りの展覧会プロジェクト「Someone’s public and private / Something’s public and private」にもつながっています。羽島での経験が自分のプロジェクトへと流れていることが嬉しくもあります。松井さん、IAMASのみなさん、お誘いいただきありがとうございました。

 今日は空港への移動中に、ティム・ハッカー「Anoyo」を聴きながら。

2019年4月9日 成田空港より
蓮沼執太

編集部

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