芸術という範囲がリセットされたあとに。シリーズ:蓮沼執太+松井茂 キャッチボール(3)

作曲の手法を軸とした作品制作や、出自の異なる音楽家からなるアンサンブル「蓮沼執太フィル」などの活動を展開する蓮沼執太と、詩人でメディア研究者の松井茂。全14回のシリーズ「蓮沼執太+松井茂 キャッチボール」では現在、ニューヨークが拠点の蓮沼と、岐阜を拠点とする松井の往復書簡をお届けする。第3回では、日本からインドネシアを経てニューヨークへと戻った蓮沼が、芸術と社会の距離感、ダニエル・バレンボイムの「実践」などについて語る。毎週土・日更新。

文=蓮沼執太

Photo by Takehiro Goto
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蓮沼執太 新しい考え方でアンサンブルをかたちづくる

松井茂さま

 お返事ありがとうございました。ちょうど昨日(2019年1月22日)、ニューヨークのブルックリンに戻ってきました。約半年間ここを離れていたので、1日かけて掃除や制作環境の準備などをしていました。そもそもアメリカの家の天井は日本と比べて高いということもあるのですが、掃除をすると音の響きが変わって面白いんですよね。部屋の埃などを取り除くと音が変わるんです。そんな細かい差異に気がつくと少し視野が変わっていく気持ちがして楽しいですね。

 先月12月はインドネシア・ジャカルタなどに行っていたので、こちらは体の芯から冷えを感じます(現在−15℃)。松井さんとのキャッチボールは半年以上止まっていましたけど(笑)、その間に僕たちは実際にお会いしていましたね。11月上旬に岐阜県の《養老天命反転地》で開催された「養老アート・ピクニック」を訪れて、松井さんをはじめ情報科学芸術大学院大学[IAMAS]の方々ともお話しさせていただきました。

養老天命反転地 Photo by Shuta Hasunuma

 東京からの日帰りだったのですが、1995年につくられた荒川修作とマドリン・ギンズによる巨大な作品に初めて触れることで、充実な時間を過ごせました。開園から20年以上経つこの公園とも呼べる作品が、現在における「公共」を考える上でも興味深い部分がいくつもあって、自分自身と荒川との結びつきを考えるきっかけにもなりました。

 僕は荒川作品との馴染みが薄くて、どちらかというと彼らの活動は興味の対象ではなくて、ドローイング集を1冊持っているくらいでした。しかし、2015年に哲学者・小林康夫との対談集(荒川修作+小林康夫 対話集『幽霊の真理 絶対自由に向かうために』 (水声社、2015)が刺激的で熟読していたことや、2017年にニューヨークのガゴシアン・ギャラリーでの荒川の個展「Six Paintings」で大きいペインティング作品群を観ていたこと、そして今回《養老天命反転地》を訪れたこと。これらの体験で生まれた点が少しずつつながり線となっていくように感じています。この話はまた機会があれば続けていきたいです。

蓮沼執太 Photo by Takehiro Goto

 さて、松井さんが東京を離れて大垣に移住されたことになって、音楽の触れ方をはじめとする諸芸術への距離感がチューニングされた話はとても興味深いです。2015年5月号での『美術手帖』でのインタビューでは『協働性をうながす「音楽」のかたち』というタイトルで松井さんからメール・インタビューをしていただきました。ちょうどそのインタビューの前の時期、つまり2014年に僕は半年以上ニューヨークに滞在することで、それまで自分が頭の中で考えていた「芸術という範囲(=領域)」がリセットされた意識があります。

 それはただ単にゼロベースで考えていくという意味だけではなく、社会に対しての芸術の役割やその無意味さなどを滞在中に思わせられました。アメリカという場所から芸術の歴史を少しずつ紐解きながら、現在に生きていく僕らへ芸術を反映していくことは自分の制作の中でも興味深い方法で、日本を拠点に活動をしていると描けないようなダイナミックさが確かにそこにはあります。決してアメリカ文明を讃えたいわけではなくて、東京を離れてニューヨークに移り、様々な芸術や社会との距離感や位相の変化を実感したこともあり、松井さんの話はとてもシンパシーを感じました。

蓮沼執太フィル Photo by Takehiro Goto

 先に書いた『美術手帖』のインタビューでのエドワード・サイードとダニエル・バレンボイムの対談の話は、ナディッフで行った作曲家の鈴木治行さんとの3者でのトークの中でも少しお話しした記憶があります。そのときもそうだったのですが、僕は「蓮沼フィル」というアンサンブルを説明していくにあたり、音楽それ自体よりもまず「組織としてのアンサンブル」という括りを設けて話し始めます。つまり音楽として奏でられる以前に構成されるプロセスが音楽にとって重要という意味合いを持ちます。いわゆる制度化された「音楽」というシステムを解体し、再構成していくプロセスを経て生まれる音楽の系譜として、蓮沼フィルを説明していきます。

 その際に必ず話題にあがるのが、集合体をひとつの社会としてとらえ、その組織の中心に存在する音楽を使うことで人間そのものを考える、という実践の話です。これはずっと昔から多くの音楽家たちが意識的に、そして無意識的に行ってきた手法です。パレスチナ系のアメリカ人でもあるサイードとユダヤ人であるバレンボイムの協働はウェスト=イースタン・ディヴァン管弦楽団をはじめとして、2人の交流は多く知られています。

蓮沼執太フィル Photo by Takehiro Goto

 バレンボイムがよく言っていることで「音楽家は政治になんの貢献もできないけど、他者のことばを聞く耳を持つことができて、その姿勢の欠如があらゆる政治的な対立の要因」ということ。また「敵」としてみなしているものを「人間」として向き合わせるための実践を音楽の可能性と考えていること。つまり僕は、蓮沼フィルを彼らにおける社会体制の中でのアンサンブルとしての、また公共性モデルとして位置付け「さあ日本にいる蓮沼フィルというのは、こういう仕組みなのです」と話していくんですね。

 しかし、彼らの実践と僕たちの活動を照らし合わせることはとても難しいです。なぜならば僕たちはそもそもそんな厳しい環境下で生きていないからです。こういった組織論としてのアンサンブルを説明していくことの難しさと付随する、ある種の「真実さ」を熟考すればするほど、僕は新しい考え方でアンサンブルのかたちというものをつくり出したいと考えているところでした。

蓮沼執太フィルの公演「アントロポセン -Extinguishers 愛知全方位型」の上演風景(2018年9月16日、ナディアパークデザインホール)Photo by Takehiro Goto

 文尾に。松井さんは、2018年9月に蓮沼フィルの名古屋公演にいらしてくれました。そのときに僕たちはいつもレパートリーではない楽曲で、テリー・ライリーの有名な楽曲「IN C」を再構築した編曲を演奏しました。そのライブ後には、グレン・グールドがライリーについて書いている文章の一部を送ってくださいました。

 僕は松井さんも書いてくれているように、ゴダール、グールド、ジョン・ケージなど文化人がよく語ってしまいそうな人物や作品に対して斜に構えがちなのですが、グールドもご多分に漏れず距離を置く対象ではありました(笑)。しかし、なんでグールドはテリー・ライリーに好感を持っているのでしょうかね?

 2019年の環境で聴くグールド、読むサイードを始めてみたいと思います。

 テリー・ライリーの「A Rainbow in Curved Air」を聴きながら。

2019年1月23日 ニューヨーク、ブルックリンの自宅より
蓮沼執太