「平壌美術」という衝撃──リアリズムと伝統の新境地
『平壌美術』によって、ようやく日本にも朝鮮民主主義人民共和国(以下、本書に倣い共和国、または朝鮮)の美術の扉が開かれた!
韓国で生まれ、渡米した著者・文凡綱(ムン・ボムガン)が、「2018年光州ビエンナーレ」でキュレーターを担った「朝鮮画展」をしのぐほどの気迫で「朝鮮画の正体」があぶり出されているからだ。そこには、分断状況下、緊張と不安のただ中で現地踏査を重ねた著者の芸術的魂による洞察がある。
書名の「平壌美術」とは、共和国全体でもっともエネルギーにあふれた「平壌」に視覚と意識を集中させ、朝鮮の美術をとらえようとしたことに由来する。その核心が「朝鮮画」だ。朝鮮画とは、いわば共和国における東洋画の呼称であり、客観的現実を重視した鮮明で簡潔な伝統画法(とくに
とはいえ、これまで共和国の美術はソ連や中国の社会主義リアリズムの影響を受けたプロパガンダにすぎないという先入観によって、作品に内在する美学的要素が見落とされてきた。それは、「思想における主体、政治の自主、経済の自立、国防の自衛」を理念とする閉ざされた体制による時間の停滞性が外部からの視線を遮断してきたためだ。同時に、その状況こそが逆説的に朝鮮画を比類なき美術ジャンルに押し上げ、超現実的な世界を開花させたと著者は指摘する。このアイロニカルな美術に対して、自己省察と実証に基づく著者の探究は、伝統を打破しつつリアリズムの新境地を拓いた朝鮮画の鉱脈をついに掘り当てる。とくに共同制作「集体画」のダイナミズムとロマンは、社会主義リアリズムの概念を塗り替えるのに十分だ。それらの表現は、固定観念を払拭した自由な魂で見えてくる朝鮮民族の感性と矜持の結実である。さらに本書では、その感性を受け継ぐ在日朝鮮人たちの営為までもが、白凛(ペク・ルン)の精緻な翻訳に息づいている。ならば、かつて朝鮮半島を植民地化した日本でこそ、「平壌美術」の扉を開いてみたい。そのとき初めて、「鮮やかな朝」に照らされた朝鮮画と出合うだろう。
(『美術手帖』2021年4月号「BOOK」より)