スマートフォンを持った男
『ニューメディアの言語』(みすず書房、2013)によって今世紀のメディア論、映画理論に大きな影響を与えたレフ・マノヴィッチによるインスタグラム論の邦訳が、国内9人の論者によるテキストとともに早くも刊行された。
マノヴィッチの論考は、写真や動画の共有に特化したSNS、インスタグラムについて工学的なデータ収集をもとに考察したものだ。そこでは「物語る」ことへの拒否が貫かれているとされ、K-POPのMVと実験映画における類比性などを取り上げながら、商業と非商業のカテゴリーを超えた美学が見出されていく。それを補強するのが、友人や親密な関係性を撮影した「カジュアル写真」、遠近法的な奥行きを演出する「プロフェッショナル写真」、モダンデザインの影響が看取される「デザイン写真」の3区分だ。ここにおいてインスタグラムは、21世紀の芸術運動のプラットフォームとして再定義される。
こうした主張に対して、9編もの闊達な応答が収録されているのが本書の特徴である。写真論の文脈の再確認、日本のネット環境下における注釈、共時性や身体性に着目した補足など、その論点は多岐にわたる。とりわけビッグデータ活用の実践についても取り上げる配慮は、工学と芸術を架橋するマノヴィッチの理論に、より根本的な水準での理解を促すだろう。画像の圧倒的な包囲を俯瞰する本書のカバーが示唆しているように、各論考は表象と現象が渾然一体となった、インスタグラムというムーブメントに客観的な見通しを与えてくれるはずだ。
マノヴィッチはかつて『ニューメディアの言語』において、共産主義時代のソビエトを活写したジガ・ヴェルトフ『カメラを持った男』(1929)の編集やポストプロダクションを、現代における映像のデータベースとしてサルベージした。マノヴィッチがインスタグラムについて論じることも、こうした関心の延長線上にある。なぜなら現代において、私たちは誰もがスマートフォンに搭載されたカメラを持って街に繰り出し、膨大な写真や動画を日々撮影しているからだ。カメラを通じて世界を把握し、それをメディアとして流通させるのは、いまや写真家や映画監督だけの特権ではない。本書はそのような転換を、鮮やかに浮かび上がらせてくれる。
(『美術手帖』2018年10月号「BOOK」より)