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アンフォルメル以後 清水穣評「アンチ・アクション 彼女たち、それぞれの応答と挑戦」展

東京国立近代美術館で開催された「アンチ・アクション 彼女たち、それぞれの応答と挑戦」展について、美術批評家・清水穣が評する。モダニズムにおける二元論について触れながら、アンフォルメル以後の作品が試みた実践について考察する。

文=清水穣

山崎つる子の作品が並ぶ。左から、《作品》(1963)、《作品》(1962)、《作品》(1957/2001) 撮影:木奥恵三

アンフォルメル以後

 観るに値する画期的な展覧会であることは誰にでも了解されるが、そこに登場する複数の二元論──男と女(性染色体が定義する性)、男と女(ジェンダー)、アンフォルメル(=アンチ・アクション)とアクション・ペインティング──が、互いに重ならないで齟齬を来している点で、この「欧米発フェミニズム美術史の、日本戦後美術への応用」と呼びうる展覧会は、本質的な議論の余地を残している。

 まず、フェミニズムの大前提は、sexとgenderが異なる、ということのはずである。従ってアクション・ペインティングにせよアンチ・アクションにせよ、そこに「男」「女」を振り分けるならば、そのgenderはsexから区別されるべきであるが、往々にして同一視される。作家の伝記を扱うならばそれで良いかもしれないが、作品自体にジェンダー性を見るというならば、その作品の作者たちのsexが男女の一方だけに揃うのは、本当はおかしい。

 次に、モダニズムは「差異化された文化的システム」vs「その外部」という大きな二元論を骨格とする。「差異化された」とは対立概念が対になって構造化されていることで、従って「その外部」とは、対立項(上下、貴賤、美醜、善悪……)の彼岸(第3番目のもの)である。ただし、この「外部」はあくまでも「内部」から見たそれであって、内部から一方的に投影されるものである。二元論の各項を、「文明(宗主国)」vs「未開(植民地)」、「欧米」vs「非欧米」と言い換えれば、それが対等な二項によるものではなく、前者が一方的に後者を「外部」視するというコロニアルな思考様式であるのは明らかだろう。この文化的システムは「白人で成人の男=モダニスト」を規範とするから、「その外部」(例えば「悪い場所」(椹木野衣)、すなわちアメリカ製憲法によって継続が保証された天皇制と日米地位協定によって事実上植民地化されていると言える戦後日本)には「有色」「女」「子供」が投影されるだろう。そしてグリゼルダ・ポロックが繰り返し強調するように、フェミニズム美術史は、このシステムをこそ批判するのであって、システムに沿って「外部」を目指し、「外部」たる「女」をシステム内部に取り込んで地位回復を図るものではない。

江見絹子の作品が並ぶ。左から、《作品 R》(1960)、《作品》(1961)、《淵
(Abyss)》(1960) 撮影:木奥恵三

 さて敗戦とそれにつづく占領は「戦前の父」を去勢し、「12歳の男の子(ボーイ)のようなもの」(ダグラス・マッカーサー)へと転落させた。つまり日本の戦後空間に棲んでいたのは「有色」の「女」「子供(少年)」であって、そこに「男」が、ましてや男性的「主体」がいるはずもなかった(*1)。アンフォルメルの時代に活躍した「女たち」は、「戦前の父」ではなく、ミシェル・タピエという白人男性によって見出され評価された。ポール・ゴーギャンにとってタヒチの女は存在しても、タヒチの男は端から存在しないように、タピエにとって、あるいはのちのクレメント・グリーンバーグにとっても、日本の「男」(芸術理論の主体としての)は最初から存在しない。つまり「女たち」の評価は、まずは白人男性からもたらされ、「女たち」は(メアリ・カサットやベルト・モリゾのように)上流階級の才媛としての位置を与えられ、少年たちは彼に同化することで「男性」になろうとした、と。そこに「欧米白人男性中心主義」を打破する契機は、彼女たちの作品を除けば、存在しない。「アンフォルメル旋風」の前後で、上の植民地主義的二元論は変わっていない。旋風が去ったあと「女たち」が国内美術史の言説空間から締め出されていったことは、統計的な事実だろう。しかしその原因が、少年たちのナショナリズム回帰、「熱い抽象」の「アクション」に期された男根回帰であるというのは、フェミニズム美術史と植民地主義批判がアートワールドにある程度のPC(ポリティカル・コレクトネス)をもたらした──当時の理論的言説が、同時代「欧米」のそれと等価なものとして、つまり成人男性のそれとして読まれ解釈されるようになった──90年代後半以降から振り返って見たときに、そう見えるという話である。12歳児は男根回帰などしないし、どこに回帰したとて白人男性中心の二元論の何が変わるだろうか。また、「旋風」以後の「女たち」にも熱いアクションは見られるから、「アンチ・アクション=女」と「アクション・ペインティング=男」という対立構造は、展覧会の軸として成功しているとは思えない。

 モダニズムによる「投影」──欧米白人男性の眼差し──について、ここでロラン・バルトの言葉を参照しよう。

主体(作者、読者、観客、あるいは、見る人)が前方に視線を向け、主体の眼(あるいは、精神)が頂点となるような、三角形の底辺を引く限り、つねに〈舞台表現representation〉は残るだろう。[...]舞台、額縁画(タブロー)、ショット、区切られた長方形等が、演劇、絵画、映画、文学、つまり、音楽以外のすべての〈芸術〉、屈折光学的芸術とでも称しうる芸術を考察させる条件である(*2)。

 小型カメラを先取りするマネの視角や《フォリー・ベルジェールのバー》の大鏡、モネの睡蓮連作における水面の出現、デュシャンが絵画に渡した引導としての「大ガラス」等、写真の普及につれて、レイヤーの意識は絵画を支配していく。グリーンバーグによればその本質とは「平面性」であり、それはすべての可視像を支えている、不可視で非物質的な面つまりレイヤーのことである。カラーフィールド・ペインティングから、ゲルハルト・リヒターのフォトおよびアブストラクト・ペインティングへ、さらにはデジタル画像加工ソフトの基本概念に至るまで、投影面(レイヤー)と視点による四角錐のモデルに基づく制度、すなわち白人男性たちの「屈折光学的芸術」は、いまだに支配的である。

 では、それに対するアンチとはどのようなものか。レイヤーはデフォルトが矩形の「面」であるから、そういう面を形成しない(オールオーヴァーネスに至らない)線描や点描が、まずはそこに入るだろう。また非物質的なレイヤーに対して、加工以前=形態を与えられる以前の物質が中心的な意義を担うだろう。つまりそれが「アンフォルメル」(非定形、非公式)である。

しかし、アンフォルメルが、単に抽象芸術のアカデミスム化に対する反動という契機において、近代芸術の言語を一挙に否定し、無垢で、完全な表現を求める、いわば「絵画のテロル」としてのみ規定されたとき、そこにはらまれていた現代の真の可能性もまた流産してしまった。そして様式史的にのみ、現代が想定されたのだが、様式概念としての現代と、価値概念としての近代との矛盾は、遅かれ早かれ、顕在化せずにはいないだろう。そこにアンフォルメルのいち早い失権の真の原因がある(*3)。
白髪富士子の作品、左壁は《作品 No.1》(1961)、立体は《白い板》(1955/1985) 撮影:木奥恵三

 「絵画のテロル」とは、モダニズムの二元論において、アーティストがアカデミックな「芸術」に反して、システムの「外部」──表現主体の放棄、そして表現として自律・自立した、「芸術」未満の「アクション」や「素材」──を追求する行為である。「価値概念としての近代」とは、屈折光学的な制度のこと、「様式概念としての近代」とは作品に見られる様々な意匠の推移である。アンフォルメルもまた、現代の新しい意匠のひとつと想定されたが、批評は「価値概念としての現代」を措定するに至らなかった。つまり「現代の真の可能性」とは、アンフォルメルに垣間見られた、白人男性の眼差しに基づく屈折光学的芸術のシステムの打破であったが、システム自体の批判が、システムの外へ出ることと混同されたとき、その可能性は見えなくなってしまった、と。

 アンフォルメルは「タシスム」(tache=シミ、汚点)とも呼ばれた。ジャック・ラカンの『精神分析の四基本概念』ⅥかⅪ章は、四角錐の頂点に位置する主体とは異なる質の主体をめぐる絵画論である。ラカンにとって投影面はつねに、ひとつの主体の視点からのそれ(上の四角錐モデル、ラカンの言葉では「実測的な光学」)であるとともに、無意識の欲望に浸透されたものであり、すべての画像には、主体に加えて、主体を超える影(シミ、傷、無意識)が二重に写し込まれている。1枚の絵画には、視点としての主体に対応する消失点と、絵を見る主体にとっての盲点の2つが含まれると言い換えてもよいかもしれない。図式的に単純化して言えば、アンフォルメル以後の絵画では、非レイヤー的表現が、レイヤーとしての構成を蝕んでおり、透明な矩形の面の所々に穴を穿っている。「彼女たち」の作品のなかにも同じ傾向が見られる。レイヤーに逆らう要素(線描、点描、物質性、表現主体の放棄)を再定義することを通じて、「男たち」の眼差しのシステムに穴を穿っているのだ。観客の多くは、それら作品の現代性に驚いたはずである。

*1──本来なら「去勢」は「主体化」(システムにsubjectすること)への重要な契機であるはずだが、日本ではそうならなかった。それはこの去勢が不完全だったから、去勢されない象徴的存在が残存したからである。言うまでもなく、それは象徴天皇制である。
*2──ロラン・バルト「ディドロ、ブレヒト、エイゼンシュテイン」『第三の意味』(沢崎浩平訳、みすず書房、新装版1998年)144頁。ちなみに「アンフォルメルな音楽へ向かって」というアドルノの1961年の有名な評論がある。宮川淳も「アンフォルメル」な芸術の例としてピエール・シェフェールの「ミュジーク・コンクレート」を参照している。
*3──宮川淳「アンフォルメル以後」『美術史とその言説』所収、水声社、2002年、43頁。強調は筆者。

『美術手帖』2026年4月号、「REVIEW」より)

編集部