先の参院選は「日本人ファースト」という言葉とともに、排外主義的な風潮に飲み込まれていった。いまもなお外国にルーツを持つ人々の権利や安全が脅かされるなか、京都府宇治市伊勢田町のウトロ地区と兵庫県神戸市長田区では、アートプロジェクトが開催された。多様な人々が共生してきた地域で行われるこれらのアートプロジェクトは、こうした日本の状況に対して、どのように応答する可能性を持つのだろうか。
マダン劇が紡ぐ連帯──ウトロという場で
ウトロ・アートフェスティバル2025(ウトロ平和祈念館ほか)
ウトロ・アートフェスティバル2025は、「移動」「暮らし」「共生」をテーマとした現代美術の展覧会である。この展覧会はウトロ平和祈念館、ゲーテ・インスティトゥート・ヴィラ鴨川、同志社大学を会場に、2025年10月10日から11月10日まで開催されている。
はじめに、ウトロ地区について確認しておこう。1940年から日本政府が推進した京都飛行場建設に伴って、この地区には在日朝鮮人労働者たちの飯場が形成されていた。日本の敗戦後、工事が頓挫し、その場に放置された在日朝鮮人たちは、日本の植民地支配による生活基盤の破壊や、朝鮮半島の混乱、日本政府による財産の持ち出し制限、生計の問題といった事情から日本に残り、このウトロの地で生活を継続することとなった(*1)。

2025年10月10日に開催されたウトロアートフェスティバル2025のオープニングイベントでは、会場のひとつであるウトロ平和祈念館において、劇団タルオルムによるマダン劇『ウトロ』が上演された。マダン劇とは、韓国の伝統的な仮面劇を継承した上演形式として、1960〜80年代の民衆文化運動の現場を中心に展開された演劇である。在日朝鮮人によっても上演されてきたマダン劇は、観客の参加を促す点に特徴がある(*2)。

10月10日に上演されたマダン劇『ウトロ』は、この地で生まれ育った少年ヨンチャンの視点から、劣悪な環境や激しい差別、強制退去などといったウトロの歴史と、厳しい状況のなかで力強く生きるウトロの人々の姿を描く。役者たちはユーモアを交えながら観客に語りかけ、ウトロの物語に観客を参与させていく。観客は自らの出自にかかわらず、ウトロの一員として「姉さん」「兄さん」と呼びかけられ、役者に手を引かれながら劇に参加する。そこで観客は、顔出しパネルから顔を出して写真を撮る、願い事を書いたリボンを植木にくくりつける、歌い踊るといった簡単な役割を引き受ける。こうした仕掛けによって演劇に参加することで、観客は次第にウトロのコミュニティの一員になったかのような気持ちを高まらせていく。その結果、劇が終わる頃には、役者と観客との連帯だけでなく、ウトロの人々と観客との連帯が生まれるのである。

むろん、こうした連帯が、日本が朝鮮半島に対して植民地支配を行ってきたことを等閑視するものになってはならない。それを防ぐためにも、ウトロ平和祈念館が行っている展示は、ウトロ・アートフェスティバル2025とともに鑑賞されるべきであろう。
ふたつの瞳が見つめる新長田の歴史
下町芸術祭2025(たかとりコミュニティセンターほか)
下町芸術祭は、1995年の阪神・淡路大震災の被害が大きかった神戸市、新長田エリアを舞台に、2015年から2年に1回開催されている芸術祭である。下町芸術祭は、被災を経験し様々な文化が入り混じる新長田エリアの魅力を、アーティストの持つ独自の視点や作品を通して地域住民や来訪者に提示することを目指す。2025年は「虹の立つ市」というコンセプトのもと、アトリエ、市場、コミュニティスペース、工場、路地など約30ヶ所で展示が行われている。

会場のひとつである、たかとりコミュニティセンターでは、「世界の言葉で長田から〜 (多様性のるつぼRainbow parish)」と題されたプログラムが開催された。たかとりコミュニティセンターは、カトリックたかとり教会の内部に位置する。この教会の中庭には、カラフルに彩色されたキリスト像がある。このキリスト像は、震災の2年前にベトナムから運ばれてきたものであるという。
そのキリスト像を見つめるのが、成田直子の写真作品《ふたつのモニュメント―彼は焼けた町について語り、彼女は燃やされた船について語った―》(2025)である。キリスト像を映した瞳を撮影し、拡大した写真は、キリスト像のほうを見つめるようにして、中庭に面したたかとりコミュニティセンターの窓に掲示されている。

この瞳の持ち主は、ボートピープルとして日本に来たベトナム人である。大きく拡大された彼女の瞳には、カトリックたかとり教会のキリスト像が映っている。1980年代以降、この教会には難民として避難してきたベトナム人たちが多く通っているという(*3)。また、たかとりコミュニティセンター自体もまた、在日ベトナム人コミュニティを支援する活動を行っている。
コミュニティセンターに入り、2階に上がると、今度は新長田のシンボルである鉄人28号のモニュメントを見つめる目の写真が展示されている。この写真は、キリスト像を見つめる写真のちょうど裏側に位置する。

瞳に映る鉄人28号のモニュメントは、地元商店街などが中心となり、震災復興と地域活性化のシンボルとして2009年に設置されたものである。成田は作品のキャプションにおいて、このモニュメントが「駅と反対の焼けた町の方を見ているのだ」と、町の人から教えられたと明かしている。
その鉄人28号のモニュメントが見つめる先には、現在、集合住宅や商業施設が立ち並んでいる。これらは、震災のわずか2ヶ月後に決定された再開発計画によって建設されたものである。住民が猛反発するなかで着手されたこの再開発事業によってケミカル関連工場は一掃され、この地区は「住宅と商業地区に“純化”された」(*4)。震災によって焼けた町を、そしてその後の再開発事業によってコンクリートジャングルに変容させられたこの町を、鉄人28号のモニュメントは見続けている。だとすれば、この瞳の持ち主は鉄人28号を、震災とその後の再開発を経験したこの町を、どのように眺めているのだろうか。

本作品は、震災のシンボルを眺める瞳と、ベトナムから日本に来たキリスト像を眺める瞳が、文字通りの意味で表裏一体となっている。それは、震災を契機とし、住民の反発を抑えて再開発事業が実行されたことと、外国人や、外国人とともに奔走してきた町の人々がともにこの地で暮らしてきたことのいずれもが、この町の辿ってきた歴史であることを示すかのようである。
ウトロ・アートフェスティバル2025、下町芸術祭2025という2つのアートプロジェクトは、朝鮮半島への植民地支配や差別、震災と再開発といった問題を抱えながらも、それぞれの町が多様なルーツを持つ人々とともに歩んできたことを思い出させるものだといえるだろう。こうしたアートプロジェクトは、現在の日本の状況を踏まえながら鑑賞されるべきものではないだろうか。
*1──ウトロ平和祈念館「ウトロ地区の歴史」(https://www.utoro.jp/about/、2025年10月29日閲覧)
*2──権祥海「マダン劇小史――タルチュム、マダン劇、東九条マダン」(「ART RESEARCH ONLINE」、2021年11月号、2021、https://www.artresearchonline.com/issue-11a、2025年10月29日閲覧)
*3──たかとりコミュニティセンター「たかとりコミュニティセンターについて」(https://tcc117.jp/tcc/tcc.html、2025年10月29日閲覧)
*4──兵庫県震災復興研究センター・市民検証研究会、広原盛明、松本誠、出口俊一編『負の遺産を持続可能な資産へ――新長田南地区再生の提案』(クリエイツかもがわ、2022、p57)




























