松下まり子の個展「居住不可能として追放された土地」が、東京・新宿のKEN NAKAHASHIで開催される。会期は9月16日~11月1日。
松下は1980年大阪生まれ。2004年京都市芸術大学油画専攻を卒業。16年に「第2回CAFAA賞」最優秀賞を受賞し、17年には、ロンドンのデルフィナ財団のアーティスト・イン・レジデンスに参加した。これまでに松下は、生々しい肉体などを描いたペインティングやドローイングをはじめ、世界各地で集めてきた赤い布で部屋の窓を覆うインスタレーション《赤い部屋》、ロンドンの街中に生息するキツネを追いかけて制作した映像作品《Little Fox in London》など、絵画表現だけでなく、多岐にわたる表現を展開してきた。メディアは違えど、いずれの作品にも剥き出しの生を希求する心が込められている。
本展では、2019年後半から描き始めたというペインティングを中心に新作を発表。本展の開催に際して、松下は以下のようにコメントしている。
2019年の秋、私は2度目のヨーロッパの旅を終えて、油絵の制作を再開した。ポーランドのアウシュヴィッツ博物館を含む旅だったため、私はかなり深刻な、人間不信に近い気持ちになっていた。私は昔から人間の裏の顔を、剥き出しの側面を見ようとする子供だったが、それでも強制収容所跡地で見た荒涼とした広さと、クラクフのアパートを改造しただけの宿にやってきた小さな幽霊とに、ショックを受けていた。 旅行中たくさんのドローイングを描いていたので、油絵に移行するのは難しくなかった。いつものように、崖から奈落に飛び込むようにして、意識の底の洞窟まで行って、何か囁いているものを汚穢の中からひっぱり上げてくる。(目に見えないものを、見え触れられるものにするとき、我々は無傷ではいられない) 2020年になり、世界はだんだんと死者の世界になっていった。春の生温かい空気の中に死者の魂が何十万個も浮き上がっているように感じた。それはそんなに嫌な世界ではなく、私は引きこもって絵を描いていた。不穏なニュースや攻撃的な言葉が、短剣ほどもある棘のようになって作業場所の空間を引き裂こうとしていた。雨続きの空が銀色に輝き、蔓草が背丈よりも巻き上がり、自然の力が膨らみに膨らんだある日を境に、私は世界がすっかり反転してしまうのを感じた。 無というか、何もない感じがしてきて、もう少しすると、砂漠のような白熱の、何もない虚無のほうが突出してきて、何もなさが隙間なく膨らむような、空気やあかるさや光がべったりと膨らんできて、内側から卵が割れるように、影のないあかあかとした正午に圧しだされてしまった。 影のない真っ昼間の眩しさは、原色の油絵の具を隅々までしつこく塗りこめたようで、見えるものすべてに焦点が合い、見えるものすべてが発火していて、静かだ。空は穴のように青々と落ちこみ、頭から墜落しそうな、眼玉から吸い出されてしまいそうな天地に、逆さまに吊り下げられていた。通りは光で満たされていて、普段そこになかった空間が路地裏に膨らみ、光の溜まった空き地に見えない小さなものが遊んでいる。影もなく、貌もなく、光でいっぱいの虚ろが遊んでいる。 それはたぶん心の世界で、物の世界と遊離してしまったようだったが、何日か、何週間か経つうちに、影が重なるようにしてもとに戻った。戻ったのだが、私は少しだけスライドした別の東京にいるような気がしている。あのあかるいピカピカした日を境界に、成功という合理的な考えが拒絶した地、居住不可能として否定し追放した土地が、影のように混ざった場所に。 絵はそれで、おんなじように明るくなった。世界の絶望の量は減っていないのだけど、少しズレた東京で私は、痛みや絶望や憎しみや死のほうへ突き出されている存在を描く方法が、煌々としたキイロやピンクでも構わないのだと誰かに示唆されたような気でいる。 2020年9月2日 松下まり子