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REVIEW - 2020.1.29

知られざる前衛画家が刻んだ、日本の未来。沢山遼評「坂田一男 捲土重来」展

1920年代のパリにおいて、第一線で活躍していた前衛画家・坂田一男。同展では、その功績が十分に評価されているとは言えなかった作家の全貌を、著書『抽象の力』で坂田にスポットを当てた造形作家の岡﨑乾二郎を監修に招くことで、みごとに蘇らせた。坂田の同時代性、そして度重なる災害に苛まれる日本の現状をも予見するような現在性について、批評家の沢山遼がレビューする。

沢山遼=文

静物II 1934 キャンバスに油彩 44×36.5cm 大原美術館蔵

消滅と復活

 ひとりの画家が、批評と実作品の提示によって「復活」する。坂田一男の仕事の全貌を検証する今展において、私たちが目撃することになるのは、そのような復活の光景である。

 坂田は一般に、1921年に渡仏後フェルナン・レジェに師事し、キュビスムの絵画を同時代的に吸収し実践した画家として知られている。33年の帰国後は、岡山を拠点として中央画壇との接触を持たず、孤立した絵画制作を続けた。「前衛画家」としての坂田の名は地元岡山では知られているものの、全国的な知名度はあくまで低く、日本の近代絵画史への正当な位置付けもなされていない。

キュビスム的人物像 1925 キャンバスに油彩 90×65.1cm 岡山県立美術館蔵

 瀬戸内海に面する埋立地にあった坂田のアトリエは、高潮による2度の冠水被害を受けた。水禍により多くの作品が失われたという。作品の制作年を含め、その生涯はまだ不明な点が多い。断片的な情報から彼の画業を検証することは、今展のメインビジュアルに用いられた、冠水の被害を受けて絵画面に著しい剝落が見られる《静物Ⅱ》(1934)の鮮烈なイメージを彷彿とさせるような、断片からの復元を要求しただろう。

静物II 1934 キャンバスに油彩 44×36.5cm 大原美術館蔵

 だが、坂田の謎めいた画業は、たんに、作品や情報の不足だけに由来するものではない。岡﨑乾二郎を監修に迎えた今展の検証過程によって、坂田の絵画が、通俗的なモダニズム絵画のパラダイムをはるかに凌駕する、独自の実践のうえに成り立っていることが明らかにされる。一例として、冠水の被害を受けたあと、坂田は剝落した絵画の破片を再び画面上に配置し、さらには1枚の絵画の断片から2枚の絵画を制作していた可能性が示唆される。あるいは、水害のあと、坂田は、あらかじめ絵具が剝落したり、削り取られたようにみえる痕跡を描写することで、冠水という事件を画面構造に取り込むという行為さえ行っていた。

コンポジション 制作年不詳 キャンバスに油彩 53×49cm 個人蔵

 岡﨑によれば、この種の操作は、ひとつの絵画平面の上に相互に異質な複数の平面を複層化する坂田の絵画構造から必然的に導き出され、それを深化させるものであったという。坂田の絵画は、そのような実験を繰り返しながら、晩年にいたるまで一貫した問題意識を保ちながら制作された。私たちの前に提示された高水準の絵画群は、坂田自身の絵画のみならず、近代絵画の展開自体に再考を迫る。さらに、水害というカタストロフに絵画構造をもって応答しようとした坂田の絵画は、ここ10年のあいだに多くの災害を経験した(そしてこれからも経験する)私たちにとっても切実な現実性を持つ。その絵画の高度な達成に驚かされるだけではなく、画面に折り畳まれたカタストロフの予徴に身体的な動揺すら覚えたのは、筆者だけではないはずだ。

コンポジション(メカニック・エレメント) 1955 キャンバスに油彩 53×40.8cm
岡山県立美術館蔵

 今展の充実した解説にたいして筆者が付け加えられることはほとんどないが、坂田の絵画のなかに巻き返される時間(=捲土重来)を見出す批評的見地を補完しうるかもしれない、いくつかの点を手短に述べておきたいと思う。
 渡仏後の坂田は、ピカソやブラックらのキュビスムではなく、レジェ(映画『バレエ・メカニック』、1924)やル・コルビュジエ(「住宅は住むための機械である」『建築をめざして』、1923)らの機械主義的なキュビスムに接近した。もともと機械の組み合わせに由来する「モンタージュ」という語を用いれば、機械のメカニズムを利用する坂田の絵画でモンタージュされるのは、事物や部分のみならず、視知覚的な落差それ自体である。坂田の初期の絵画では、イメージが唐突に断ち切られ、別の位相に入り込んでしまったかのような局面が散見される。画面に挿入されるバーは、それ自体がひとつのイメージであると同時に、ほかの図像を裁ち落とし、遮蔽する幕としても機能する。

コンポジション(顔と壺) 1926頃 キャンバスに油彩 81×65cm 倉敷市立美術館蔵

 さらに、坂田の絵画では、壺などの容器を側面から描いたシルエットの横に、同じ容器を上から俯瞰したような図像が(異なるスケールで)接合される。そのため、これらの操作においては、複数のイメージや空間が接続されるだけではなく、可視性と盲目性、現れと遮蔽との視知覚的な落差こそが接続され、絵を見る「私」が分岐し複数化するような感覚がもたらされる。そのように考えれば、冠水の被害を画面に大胆に取り込む坂田の操作は、画面の剝落が、知覚領野を唐突に断ち切ることや、非顕在的な消滅した場への関心と無関係ではないだろう。

壺 制作年不詳 紙に木炭 63×48cm 個人蔵

 さらに1955年に描かれた複数の作品では、絵画表面にはっきりと描かれた線の層とは別に、異なる線の層が白いモヤのような絵具がうっすらと被せられたうえで存在することが確認される。そのことの意味は、坂田が残した鉛筆画や木炭画を確認することで明らかにされるだろう。坂田は、鉛筆で絵画を構想する際、何度も修正しながら描く過程で現れた多くの線を完全には消し去らずに残している。つまり坂田は、習作の過程で現れる無数の消えかけた線を、油彩画においても温存、維持したことになるのではないか。そこではイメージを打ち消す作業こそが、イメージ産出の決定的な要素になる。マティスの絵画の掻き落としにも似た操作である。坂田の絵画は、抑圧された絵画層を、遡行可能な、ほかにもありえた潜在的可能性として保持しようとする。顕在的なものだけではなく、消滅した場自体に、権利と力が取り戻される。多くの作品が消え、やがては坂田自身も忘却された。だが、消滅した場を消し去ることはできない。それは、今展が証明する通りである。

壺 1955 キャンバスに油彩 53×45.5cm 宇フォーラム美術館蔵