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REVIEW - 2019.8.25

誰もが何かのマイノリティ。工藤香澄評「彼女たちは叫ぶ、ささやく─ヴァルネラブルな集合体が世界を変える」展

アーティストの一条美由紀、イトー・ターリ、碓井ゆい、岸かおる、ひらいゆう、松下誠子 、綿引展子、カリン・ピサリコヴァ、キュレーターの小勝禮子からなる「エゴイメ・コレクティヴ」は、ジェンダーやセクシュアリティ、民族間の格差が拡大する社会を、芸術を介して少しずつ変えることを目的に結成。コレクティブとして初の展覧会となった「彼女たちは叫ぶ、ささやく-ヴァルネラブルな集合体が世界を変える」を横須賀美術館学芸主査の工藤香澄がレビューする。

文=工藤香澄

会場風景 写真提供=エゴイメ・コレクティヴ

それぞれの声に、耳を澄ます

 複数の国々の女性アーティストとキュレーターで構成し、展示や対話などを通じて「ジェンダー、マイノリティ、女性」という問題を問いかけようとする「エゴイメ・コレクティヴ」。その初の展示が、都美セレクション グループ展2019「彼女たちは叫ぶ、ささやく─ヴァルネラブルな集合体が世界を変える」として開催された。メンバーは一条美由紀、イトー・ターリ、碓井ゆい、岸かおる、ひらいゆう、松下誠子、綿引展子、カリン・ピサリコヴァ、小勝禮子の9名である。また幅広い年齢構成であり、アーティストのジャンルも絵画、映像、パフォーマンスなど多岐にわたっている。

会場風景より、一条美由紀《私の中に居るあなた あなたたちの中に居る私》(2018-2019) 写真提供=エゴイメ・コレクティヴ

 メンバーのひとりであり、キュレーターの小勝禮子は、栃木県立美術館で「奔る女たち 女性画家の戦前・戦後」展(2011)、「前衛の女性1950-1975」展(2005)、「アジアをつなぐ-境界を生きる女たち1984-2012」展(福岡アジア美術館ほか、2012-13)など、ジェンダーをテーマにした展覧会を継続的に企画、開催してきた。「エゴイメ・コレクティヴ」の活動は、小勝の女性、ジェンダーという問題意識を継承しつつ、それを含めた「マイノリティ」への共感・関心へとつながっている。こうしたジェンダー、ひいてはマイノリティに対する明確なメッセージを打ち出す展覧会は、日本では1990年代以降開催されるようになったが 、決してその数は多くない。そうした観点からも「エゴイメ・コレクティヴ」の活動は貴重であり、注目すべきものである。

会場風景より、碓井ゆい《speculum》(2016) 写真提供=エゴイメ・コレクティヴ

 碓井ゆいの《speculum》(2016)は、淡い様々な色彩の手鏡を壁に配置したインスタレーションである。その手鏡のフレームの中には、「私」という言葉が多様な言語かつ鏡文字で記された版画が入っている。読める言葉は限られている、いやほとんど読めない。碓井は同時期に市原湖畔美術館で開催していた「更級日記考」展に《空(から)の名前》を出品している。これは太平洋戦争中に旧日本軍の従軍慰安婦であった女性が名乗った源氏名を、一つひとつラベルにした香水瓶のインスタレーションだった。これらの作品に共通しているのは、ひとつは簡単には特定の個人を読み取れない一人ひとりの女性の名前が記されていること、もうひとつは繊細で軽やかな手鏡、香水瓶という「女性らしい」外観を持っていることだろう。存在はしているけれど、ひとりの人間として現れてこない女性のあり方を静かに訴えかけている。

岸かおる spare-part 2013

 岸かおるの《spare-part》(2013-19)、《連》(2018)は、どちらも心臓を模したオブジェ。表面はビーズや着物、帯締めといった華やかで装飾的、かつ女性が身に着けるアイテムで覆われており、意外にも小さいので一見すると「心臓」と分からない外見である。しかし、考えてみれば心臓は身体の内部にあり、直接目にすることはない。いうまでもなく心臓は、生命と直結する臓器であり、かつ高度医療や臓器移植という現代の倫理といった問題をもはらんでいるといえよう。

会場風景より、綿引展子「家族の肖像C+M-2」シリーズ 写真提供=エゴイメ・コレクティヴ

 ドイツ・ハンブルクで活動する綿引展子は、1980年代からポートレイトに取り組んできた。当初は自分の幼少期の写真を用いたボックス・アートを発表していたが、1994年頃からは和紙にオイルパステルを使った絵画や、ドイツに移住した2008年より古着を素材としたコラージュ的な作品を制作している。彼女自身が移民であることを強く意識し、周囲から疎外された人物の孤独や怒りがしばしば作品に反映されている。今回の出品作《家族の肖像》シリーズは、ドイツ人と日本人のカップルが古着を提供し、その古着を解体して再構成している。綿引の作品は、このように様々な個としての人間の姿や多様性を、彼女特有のおおらかでユーモラスな色彩と造形感覚で表現している。

 会場風景より、松下誠子《革命前夜-枕》(2018-19) 写真提供=エゴイメ・コレクティヴ

 こうして見ていくと、本展の出品作は明るい色彩で、手鏡、ビーズ、羽、オーガンジーなど軽やかな素材にジェンダーのメッセージを託した表現がとくに印象的だった。つまりストレートにジェンダーの問題を主張するのではなく、何気ない日常的なモチーフに語らせる手法なのである。また様々なメディアによる作品を、ひとつの部屋の中で仕切りもなく共存させる展示方法は、ギリシャ語で「私だよ」を意味する「エゴイメ」がそれぞれ叫び、ささやきながら共鳴する状況をうまく表現していた。

会場風景より、イトー・ターリ《私の居場所 4つのパフォーマンス記録映像》(1996-2012) 写真提供=エゴイメ・コレクティヴ

 偶然にも現在開催中の「あいちトリエンナーレ2019」(8/1-10/14)はジェンダー平等を掲げ、開幕前からそのコンセプトや美術業界におけるジェンダーの問題が関心を呼んでいる。また他にも、今年は美術館で女性アーティストのみによるグループ展がいくつも行われている。例えば「更級日記考─女性たちの想像の部屋」(市原湖畔美術館、4/6-7/15)、「みえるもののむこう」(神奈川県立近代美術館葉山、7/13-9/8)、「みつめる 見ることの不思議と向き合う作家たち」(群馬県立館林美術館、7/13-9/16)などである。

会場風景より、ひらいゆう《Entre Chien et Loup -フタアカリ》(1997-2018) 写真提供=エゴイメ・コレクティヴ

 これらのグループ展は内容から見て、とくに「女性」を打ち出していないものも当然ある。しかし、過去を振り返れば歴史に埋もれて脚光を浴びることのできなかった女性アーティストは数多くいた。だからこのように展覧会を通じてアーティストが発表し、成果や記録を蓄積していくことは当たり前に思えるが、極めて重要であることは改めて指摘しておきたい。「エゴイメ・コレクティヴ」の作品もそれぞれジェンダー、移民、アイデンティティなどのテーマを多彩なメディアを用いて各々表現している。いつでも声の小さな者に気づくことは困難であるし、誰もが何かしらのマイノリティでもある。だからこそ、絶えず誰かの叫びやささやきに耳を傾け、問い続ける意味がある。

会場風景より、 カリン・ピサリコヴァ《Apollo and Daphne》(2012-13)