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2次元に還元されたグラビアアイドル写真の真意とは? 中村史子評 THE COPY TRAVELERS 「雲型定規がヤマをはる」「THE COPY TRAVELERSのA室」展

加納俊輔、迫鉄平、上田良の3作家からなる THE COPY TRAVELERS(コピー・トラベラーズ)は、写真などのイメージを複製やコラージュの手法で再構成するコレクティブである。愛知県美術館学芸員の中村史子が、この2月と4月に連続して催された2つの個展を通して、それらに共通する「女性たちのイメージ」に着目し、彼らの意図を探る。

文=中村史子

galerie 16(京都)での個展「THE COPY TRAVELERSのA室」展示風景より

コピー・トラベラーズと彼女たちのイメージ

 THE COPY TRAVELERS(コピー・トラベラーズ、以下コピトラ)は加納俊輔、迫鉄平、上田良によるアート・コレクティブである。形状、質感、色味、そして意味内容が相異なる印刷物、紙切れ、雑貨などをコラージュのように自由闊達に組み合わせて作品としている。​

​​  さて、コピトラが扱うイメージの素材群は、どれも色鮮やかでユーモアに満ち、いかにも多種多様であるように見える。しかし、そのなかにあってもっとも頻繁に登場するのは女性のイメージ、とりわけグラビアアイドルの写真ではないだろうか。2019年に続けざまに開催された展覧会「雲型定規がヤマをはる」(Sprout Curation、東京)と「THE COPY TRAVELERSのA室」(galerie 16、京都)を振り返ってみても、様々な女性のイメージが随所に挟み込まれていた。なぜ、コピトラにとって彼女たちのイメージは特権的なモチーフとなりうるのだろうか。​

Sprout Curation(東京)での「雲型定規がヤマをはる」展示風景より

​​  メンバーのひとり、迫はグラビアアイドルの写真について、あまりにも自然なものとして社会に溢れている点に惹かれて自作に使用していると述べているが(*1)、コピトラも、慣習的に社会の中で流通するものとしての女性イメージに関心があるのだろうか。これらグラビア写真等の女性イメージは、男性社会における女性イメージの搾取、性の商品化であると批判的に考察されてきた(*2)。しかし、コピトラの表現をこうした社会的文脈のみから解読するのは難しそうに見える。それでは、彼女たちのイメージはコピトラの表現においてどのような役割を担っているのか。作品に頻出する彼女たちに着目することで、最終的にコピトラの狙いを描出できればと思う。​​​

 それでは具体的に各展示内容を検証してみよう。東京で行われた「雲型定規がヤマをはる」の主要作品「THE COPY TRAVELLERSの組C切り」シリーズは、雲形定規の曲線に沿って切り抜いた複数の画像を組み合わせた後、それを拡大プリントしてアクリルマウントしたものである。本シリーズのほぼすべてにグラビア写真が使われているが、モデル個人のアイデンティティはおろか、体のどの部分なのかも判然としないほど、ほかの雑多なイメージと攪拌されている。

Sprout Curation(東京)での「雲型定規がヤマをはる」展示風景より、
「THE COPY TRAVELERSの組C切り」(2019)

 いっぽう、京都で展示された作品《THE COPY TRAVELERSのA室》は、コピトラの過去作品の素材や過去の展示記録写真などを、前もって3次元の空間に展示して写真を撮ったのち、その記録写真を拡大プリントして壁面に張ったものだ。そのため、《THE COPY TRAVELERSのA室》内部には立体的な展示物は存在しない。鑑賞者は部屋の中で壁紙のごとく周囲にぐるりと張り巡らされた写真を眺めることとなる。

 さて、これら2つの展示であるが、そのどちらにもイメージの平面化という強い力を見て取ることができる。前者「THE COPY TRAVELLERSの組C切り」については、それは物体のプレス(圧迫)というかたちで成し遂げられる。素材となる写真自体に雲形定規を“押し当て”、モチーフの輪郭線とは関係なしに定規の形状に沿って切断してゆく。そして、ばらばらになったイメージ群を、最終的にアクリルを“上から被せて”統合してゆく。このように、本シリーズでは、上からイメージを物理的に押さえ込み平面化するという行為が繰りかえされている。

galerie 16(京都)での個展「THE COPY TRAVELERSのA室」展示風景より

​ しかしながら、《THE COPY TRAVELERSのA室》においては、平面化の性質がやや異なっている。被写体である透明な板や影が重なり合っているうえ、ピントのぼやけた部分や、妙に彩度が高い画像内画像があるため、被写体の前後関係が撹乱されているのだ。加えて、A型を想起させる斜めの直線が特定の1点(Aの頂点)へと鑑賞者の視線は線遠近法的を誘導せずシート表面を区分けするにとどまり、鑑賞者の眼差しは、結果的にイメージ表面を水平方向にスクロールしながら走査することとなる。つまり、複写、拡張、再現という写真技術を通じて、パノラマ風でありながら奥行きや立体感が失われた壁紙的風景、そのぺらぺらの表層へと、すべての視覚的要素は一元化されているのである。そのなかにあって、コピトラの過去作品も、その他の様々なイメージーートランプに印刷された際どいポートレイトや、それを積み上げたトランプタワーですらーーも表面を飾るイメージとして等価であるかのように感じられる。

 以上、2つの展示から相異なる平面化の動きーー上からの物理的プレス(圧迫)と、写真というメディウムを介した視覚要素の一元化ーーを見て取ることができた。そして、前者の平面化を強く意識させるのがグラビアアイドル写真ではないだろうか。

 事実、グラビアアイドル写真のつくり手は、3次元の身体を2次元へと落とし込むことに知悉している。凹凸を伴う身体を、平滑な紙面へと押し込む際に生じる抵抗感、それ自体が見る者の欲望を掻き立てることを熟知しているのだ。彼女たちの身体に張り付き、くい込む衣装類は、2次元への圧迫の性急さを想起させ、身体の平面化に伴う視覚的抵抗を際立たせる。すなわち、見たいという欲望をより刺激する。写真に写る彼女たちは、立体物を平板なイメージへと押し込める際に生じる欲望の力学について、身体を通じて証明しているのだ(*3)。「雲型定規がヤマをはる」にグラビアアイドルの写真が多用される理由は、まさにここにあるだろう。​

galerie 16(京都)での個展「THE COPY TRAVELERSのA室」展示風景より

 いっぽう、《THE COPY TRAVELERSのA室》は、見たいという欲望がうやむやなまま留め置かれている場である。そして、その状態をよく表しているのが、A型のトランプタワーの構成要素のひとつとなっている女性イメージなのではないか。トランプという長方形の枠組みに囲まれ、さらに奥行きを欠いたピラミッドの一部となっている彼女たちのイメージ。《THE COPY TRAVELERSのA室》では、女性のイメージがもともと備えていた扇情的な要素が、複数のフレームに囲われ、写真というメディウムによって平滑な表面へと押されて無効化されているのだ。

 さらに、部屋を取り囲むイメージのなかには、“あたかも実際に壁にかかっているかのように見える作品類だけではなく、“ピントのボケや画素の粗さ”といった、人間には風景としては知覚不可能な部分も数多く含まれている。人の目にとってごく自然な部分と、明らかに不自然で機器の介在を強く意識させる部分が実空間内で連なっているのだ。このように、眺めのうちに歪みが潜んでいることに気づいたとき、鑑賞者は改めて、この部屋の中心にいるのは、いったい誰なのだろうか、と不安にかられるだろう。つまり、この部屋の中から壁を見渡しているのは、人間を基準とした主観的主体ではないと悟るのだ。人間的な知覚を擬態した人間ではない非人称の視点が、この部屋の中心に据えられている。いつしか、鑑賞者は自分の眼差しが非人称の視点にすり替えられているように感じるだろう。

galerie 16(京都)での個展「THE COPY TRAVELERSのA室」展示風景より

  そして、鑑賞者が静かな混乱のなかにいる様子をじっと見つめている人物がいる。それは、黄色のアクリル板に刷られた女性である。古いマンガの1コマから抜き出されたらしい彼女(*4)は、カメラを構えてまっすぐ鑑賞者のほうを見定めている。やや緊張した面持ちをしており、決定的瞬間をカメラに収めようとしているかのようだ。非人間的視点へと知覚をすり替えられた鑑賞者、その鑑賞者を窃視的な眼差しで見つめる2次元の女性。ここでは、主体/客体といった単純な二項対立がただ反転しているのではなく、その二項対立の拠って立つところが崩されている。人間の知覚と非人間的な知覚、物理的な世界と平板な表層へと出力されたデジタルデータの世界が、緊張感をもって瞬間的に交錯しているのだ。すなわち、《THE COPY TRAVELERSのA室》を真に機能させているのは、このカメラを構えた彼女なのである。

 2つの展覧会に配された女性たちのイメージ。コピトラは彼女たちのイメージを一種のトリガーとし、見るという経験の在りようを、2次元へと身体を圧迫する、あるいは眼差しを非人間化させるといった身体感覚に基づきつつ、検証しているのである。

 

*1ーー「それは写真かもしれない。アーティスト・迫鉄平インタビュー」美術手帖ウェブサイト(2018年6月6日)
*2ーー例えば、コピトラの出自のひとつ、コラージュを多用するシュルレアリスムに対しても、女性イメージの利用に関する批判がなされてきた。グザヴィエル・ゴーチエ『シュルレアリスムと性』(三好郁朗訳、平凡社、2005、原題:Xavière Gauthier, Surréalisme et sexualité , Gallimard, 1971)は、その代表的著作である。なお、本著の主張についてはロザリンド・クラウスによって相対化されている。
*3ーーなお、「圧迫して平面化する」行為が刺激する視覚的欲望については、本展に同時に展示されている映像作品「THE COPY TRAVELLERSのREJOINDER」シリーズがより直接的に示している。本映像は、グラビア写真含む様々な印刷物を、凹凸があるにもかかわらず、ラミネート加工して平らにすることから始まる。そして、そのラミネート越しに動画を提示するのである。
*4ーー短いスカートから見える足や、向かって左側壁面に飾られた裸婦像から、彼女は「女性の身体が性的な眼差しを受ける世界」に属していることがわかる。

編集部

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