青秀祐展「弾頭の雨が降る夜に、少年は空飛ぶ夢を見る。」 現実を手探るために gnck 評
青秀祐は、元自衛官のパイロットを父に持ち、戦闘機をモチーフに制作を続ける作家だ。
ミリタリーやメカニックへの造形的欲望がそのままかたちとなる模型趣味と異なり、アートにおいてその造形要素は、戦闘機が女の子へと変形する村上隆の《Second Mission ko2》の「男の子的欲望」の批判や、ヤノベケンジの《アトムスーツ》の「原子力批判」として扱われるなど、(未来派のように)ミリタリズムのフォルム的快楽がそのまま肯定的に用いられることはない。
青もそのことには自覚的であり、自身のなかにある男の子的な欲望―――「かっこよさ」への欲望に、どのようなかたちを与えるべきかの試行が、これまでの作品の展開に含まれているようにも見える。
本展は、航空機のダイキャストモデルを写真で撮影し、ディティールをレタッチする「Phantom scales」シリーズ、自分自身の身体をかたどったFRP彫刻に、ハセガワやタミヤのプラモデルに実際に付属しているデカールを拡大し、マーキングやパネルラインを施した《Phantom》、そして軍用機に懸下されるミサイルや爆弾を1/1スケールで再現した様々な素材のぬいぐるみのシリーズと、それを抱いて眠る少年のデジタル絵画《弾頭の雨が降る夜に、少年は空飛ぶ夢を見る》で構成されている。
本展の中核を成しているのは、対艦ミサイル・ハープーンの1/1スケールのぬいぐるみ、《AGM-84 Harpoon》だ。作品は、布やPVC、鋲など複数の手芸素材に置き換えられている。私たちはふつう、兵器を間近に触れる機会はないが、作家は航空祭などで好事家が撮影した複数の写真資料をインターネットから収集し、作品を制作している。1/1スケールでぬいぐるみがつくられることによって、兵器や軍用品が工業製品であり、人間がつくり、そして運用しているという兵器のリアリティが立ち上がってくる。
例えば、ミサイルはいくつかのパーツに分けられており、それらをつなぎ合わせるという工業的な工程によってつくり出されているということや、航空機のハードポイントとどのように接続させるのか、どのような注意書きがなされているのかといった、製造上や運用上の要請が、ぬいぐるみに置き換えられた造形面から読み取れる。
それらが伝達されるのは、作家の素材の置き換えの的確さゆえだ。例えば、メッシュ素材や、タオル地とPVCの光沢の使い分け、あるいは手芸屋ならばどこでも手に入るようなボタンを鋲の表現へと置き換えている。かと思えば、ステンシルの警告メッセージは刺繍マシンによって入れられ、その存在感が強調されると同時に、それがあくまでもぬいぐるみであることを、だらしなくくたびれたフォルムとともに伝える。
美術解剖学の肝要は、内部構造の合理性が造形的な説得力をもたらすことであるが、青の「ミサイルへの理解」は、インターネットで情報を収集し、ぬいぐるみをつくり出すことによってより深められているようだ。それはまるで、通常の市民の生活では知りえない、前線におけるリアリティを知るための、手探りの作業のように思える。
我々が通常の生活でそれを間近に感じることはかなわない。にもかかわらず、剥き出しの暴力をいつでも発動できる状態こそが、我々の生活世界の基底を支えている。作家はメカニックへのフェティシズムに沈まずに、作品制作を糸口にすることで、そのリアリティを得ようとしているのだ。