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「お父さん お母さんへ ハンセン病療養所で書かれたある少年の手紙」(国立ハンセン病資料館)レポート【2/3ページ】

 会場では、大きく分けて3つのコーナーで手紙や関連資料を紹介している。1960年、小学六年生の秋に国立療養所菊池恵楓園(熊本)に入所した勝彦は、翌年より家族に手紙を書き始める。「回復して社会に復帰したい」といった意気込みや、療養所内での楽しいレクリエーションの様子が記されたものもあるいっぽうで、ハンセン病に特有の神経痛が勝彦を苦しめていたことも手紙を通じてうかがうことができる。

展示風景より、「中学生時代 病気を早く治したい」。国の隔離政策は、患者が子供であっても容赦なく家族のもとから引き離した
展示風景より、「中学生時代 病気を早く治したい」。手紙や関連資料のほか、勝彦さんからの聞き取りをもとに描かれたイラストレーションもあわせて展示されている

 1964年になると、勝彦はハンセン病療養所では唯一の高校であった長島愛生園(岡山)の邑久高等学校新良田教室へ通うこととなる。長く続いていた神経痛も治り、療養所の友人らとともに出かけるなど、日々を楽しむ様子も伝えられている。

 しかし、希望の大学へ進学するにあたって社会復帰を意気込むものの、一般高校に比べて授業内容がかぎられていたほか、教員からの差別を受けるなど前途多難であった。ハンセン病による変形を治すための手術を受けることに対する葛藤もここでは綴られている。

展示風景より、「高校生時代 社会復帰への不安」
展示風景より、「高校生時代 社会復帰への不安」

編集部