加えて第6章「仏画の周縁」では、仏教と道教やマニ教との交錯が紹介される。水陸画や地獄図には道教的要素が色濃く表れ、仙人画は禅宗祖師の肖像と親和性を持つ。さらに、マニ教が布教のために仏教の図像を借用した聖像も展示され、仏画に見まがわれたことで破壊を免れ今日まで伝わった。これらの周縁的作品は、宗教間の境界の曖昧さと、図像の柔軟な変容を如実に物語っている。
最後に示されるのが、第7章「日本美術と宋元仏画」である。仏画は礼拝対象であると同時に、画家にとって重要な手本でもあった。重要文化財「枯木猿猴図」長谷川等伯筆はその好例で、牧谿や顔輝の作風を学びつつ、独自の筆法で猿を描いている。枯木にしがみつく猿の姿には、宋元画の影響を受けながらも、日本的な情感がにじみ出ている。宋元仏画は日本の画家たちに創作の糧を与え、彼らの手によって新たな美術へと昇華されたのである。

後期展示:10月21日~11月16日
こうして本展は、宋元仏画の誕生から日本での展開に至る歴史を2つのトピックを交え立体的に描き出している。宋元仏画が日本にこれほど数多く残されたのは、ただ保存の努力があったからではない。仏画が「礼拝」の対象であったがゆえに、寺院で真正性が守られ、祈りとともに使われ、敬われてきたからである。日本の宗教・文化社会のなかで「異国」の表象を越えて生活に根を下ろし、「唐物」「宋元もの」として、憧憬・尊敬・信仰の対象となったことが、文化遺産としての重層性を生んでいる。
さらに、今日この展覧会の場でこれらが一堂に会するということは、それらが分散するだけでは感じ取れなかった文脈、連なり、比較の中で見えてくるものをもたらす。仏画の一線一線、一色の重なり、余白のひとつひとつが脈打つように、過去の画僧たちの精神がこちらに届いてくる。

世界中を見渡しても中国本土では戦火や時間の流れの中で失われたものが多いなかで、日本がこれらを数多く保ち続けてきたという事実には、保存という物理的・制度的側面とともに、信仰と美術が共に育まれた文化の豊かさが刻まれている。種をまき育て続けてきた時間の厚み、それらの作品が観る者に示す歴史の重みと美の力は、この展覧会をただの美術鑑賞の機会ではなく、私たちの精神的な記憶と対話する場へと押し上げている。
そして忘れてはならないのは、この展覧会が京都だからこそ実現できたという点である。宋元仏画の多くは京都の寺院に伝来し、戦火や災害をくぐり抜けて今日まで守り継がれてきた。仁和寺・大徳寺・金地院など名刹に眠る宝物が、京都国立博物館の平成知新館に結集したこと自体が奇跡に近い。秋の光に包まれた京都で、宋元仏画の真価を一堂に体験できるのは、まさにこの地ならではの出来事である。祈りと美の歴史を胸に刻む時間が、観る者を悠久の旅へと誘っている。

「宋元仏画」ときいても全然ぴんと来ない、なんだか難しそうと思われるかもしれません。しかし「宋元仏画」を少し知ると、日本文化の本質が見えてくる──そんな風に言ってよいと思います。先人たちの思いとともに、海を越えて日本にやってきた「宋元仏画」はその威厳と慈悲に満ちた姿で多くの人々の祈りを受け止めてきました。また芸術性においても優れた「宋元仏画」は日本で手本となり、画家の手本となって日本美術の発展に大きく寄与しています。
この度の展覧会に登場する作品は、名品として昔からよく知られ、美術全集にも決まって登場するものが多く含まれていますが、一堂に会する機会はめったにありません。
ぜひこの機会に会場に足を運んでいただき、「宋元仏画」とは一体何かそして日本との奥深い関係を知るきっかけとしていただければ幸いです。(森橋なつみ、京都国立博物館 調査・国際連携室 研究員(中国絵画))



















