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「ゴッホ展 家族がつないだ画家の夢」(東京都美術館)開幕レポート。ゴッホを世の中に伝えた立役者たちに迫る【4/5ページ】

 そして1888年2月にアルルへ移動し、ここで1年3ヶ月を過ごす。アルルでは、画家ゴーギャンとの共同生活を始めたものの、病のせいもあり耳を切り落とす衝撃的な出来事を起こす。その後療養も兼ねてサン=レミ=ド=プロヴァンスに移動したフィンセントは、そこでも制作を続ける。

展示風景より、フィンセント・ファン・ゴッホ《種まく人》(1888)
サン=レミ=ド=プロヴァンス時代の展示風景より

 1890年5月にオーヴェール=シュル=オワーズに移動するが、3ヶ月の滞在ののち、自らの胸部をピストルで撃ち、7月29日に37歳でこの世を去る。

オーヴェール=シュル=オワーズ時代の展示風景より

 生前の制作期間で生み出されたフィンセントの200点を超える絵画、500点以上の素描・版画は、現在ファン・ゴッホ美術館に保管され、世界最大のファン・ゴッホ・コレクションとなっている。10年間の間に制作されたものとは思えないほどの膨大な作品群を、時系列で比較しながら鑑賞できるのも、ファン・ゴッホ家が作品を守ってきたおかげに他ならない。

 次の章へ移る前に、「フィンセント・ファン・ゴッホの最期 そして家族は…」という約5分40秒の映像を見ることができる。フィンセントの手紙の一節などを引用しながら、フィンセントの作家人生の最期を紐解く内容となっている。映像のなかでは、ヨーがどのようにフィンセントを広めようとしたのかも紹介され、より具体的に家族のサポートのかたちを知ることができる。

編集部