• HOME
  • MAGAZINE
  • NEWS
  • REPORT
  • 「ゴッホ展 家族がつないだ画家の夢」(東京都美術館)開幕レポ…

「ゴッホ展 家族がつないだ画家の夢」(東京都美術館)開幕レポート。ゴッホを世の中に伝えた立役者たちに迫る【3/5ページ】

 続いて1階へ会場が続く。第3章は「フィンセント・ファン・ゴッホの絵画と素描」。本章では、フィンセント・ファン・ゴッホが画家として生きた10年間に残された作品たちが、時系列に沿って紹介される。

 10年間でいくつかの土地を移動しながら制作を行ったフィンセントは、その土地での出来事にあわせて制作傾向が異なる。1880年、27歳のときに画家になる決意をしたフィンセントは、最初オランダの主にバーグで、3年間ほど素描の腕を磨いた。その後ニューネンに移り、油彩画の制作を開始。

 フィンセントが描いた初めての植物の静物画のひとつとされる《ルナリアを生けた花瓶》や、この時代に手がけたもののなかで最重要作だといわれている《小屋》も展覧されている。

展示風景より、フィンセント・ファン・ゴッホ《ルナリアを生けた花瓶》(1884秋〜冬)
展示風景より、フィンセント・ファン・ゴッホ《小屋》(1885)

 続いて1886年にパリに出たフィンセントは、自らの表現が時代遅れであることに気づき、独自の様式を追求し始める。

 今回のメインビジュアルとなった《画家としての自画像》は、パリで描かれた。この自画像は、ヨーが、もっとも出会った頃のフィンセントに似ていると回想した作品で、「病気や健康不良の話を聞いていたが、思ったより健康的に見えた」とヨーはのちに述べている。

展示風景より、フィンセント・ファン・ゴッホ《画家としての自画像》(1887〜88)

編集部