第3章「鯰絵」は、1855年の安政の大地震直後から大量に流通した、地震の元凶とされていた地中の大鯰(おおなまず)を題材にした錦絵を取り上げる。安政の大地震の錦絵は、被害の様子を直接的に題材にした《安政二稔十月二日夜亥刻大地震焼失市中揆動図》のようなものもあるが、この時代において地震を引き起こすものとされた地下深くに住む「大鯰」を描いたものが数多い。

《江戸鯰と信州鯰》(1855)は、江戸の安政の大地震を起こした鯰と、その8年前に信州を震源とする善光寺地震を起こした鯰がともに描かれている。信州鯰のまわりには善光寺の僧侶や参拝者が見える。そして、江戸鯰のまわりには、鯰を打つ地震で被害を被った遊女や噺家、蔵の鍵を持った金持ちと、それらをなだめる震災後の復興景気で潤った土木関係の職人や屋台売りなどが描かれている。鯰は地震の象徴であり、地震を通じて変化した世相を風刺するために描かれていた。
