美濃国に生まれ尾張国に没した蓑虫山人(1836〜1900)は、江戸から明治初期にかけて日本国内を旅し、様々な土地の人やものと出会い交流を重ね、ユーモラスな旅の記録を絵日記で残した。藩士でありながら目立った役職に就かず、生涯の多くを執筆活動に費やしたという蓑虫。その絵日記は、風光明媚な風景や建築物のなかに彼自身や彼が出会った人やものを描き込み、当時の「メディア」となった。現代のSNSや自撮りを先取りするような、パーソナルな記憶と土地にまつわる歴史的な記録を重ねた図絵は、当時の庶民文化をいまに伝えている。
いっぽう高力猿猴庵は江戸中期に尾張国に生まれ、この地に暮らした絵師。名古屋城下の人々の暮らしや風俗をひたすら丹念に描き、図絵を多数残した。
会場入口にはこのふたりの過去の「旅の達人」の作品の複写がビルボードのように展示され、展示の導入の役割を果たす。