台湾南部の高雄市にある高雄市立美術館で、ロンドンのテート・モダンによる企画展「瞬間をとらえる:絵画と写真の旅(Capturing the Moment: A Journey Through Painting and Photography)」が11月17日まで開催中だ。キュレーションはグレゴール・ミュア(テート インターナショナル・アート、コレクション・ディレクター)とベアトリス・ガルシア・ヴェラスコ(テート・モダン インターナショナル・アート、アシスタント・キュレーター )によるもの。協力は、台湾の大手電子部品メーカーが設立したYAGEO財団(台湾)。
本展は昨年テート・モダンで開催され、その人気から10ヶ月の会期延長を経て今年4月末に閉幕。その後高雄市に巡回したものだ。協力として参画するのは、台湾の大手電子部品メーカーによるYAGEO財団。同財団は、世界で4番目に大きな近現代美術の収集機関であり、理事長のピエール・チェンが高雄市出身であるというのも、本展が同地で開催されることの大きな要因でもある。
高雄市立美術館の展示室には、絵画と写真という絡みあった歴史的文脈に基づき、テートのコレクションから34点、YAGEO財団のコレクショ ンから21点が厳選して展示されている。本展ではこれらのコレクションを通じ、筆とレンズの関係性や、絵画や写真と向き合う作家らがどのように「瞬間」を切り取ってきたのかを探るものとなる。
まず最初の展示室に入ると見えてくるのは絵画や写真でとらえられたポートレイトの数々だ。現実をそのまま写し出すレンズを用いたメディア(カメラ)の登場は、アーティストらにとって絵を描くことの意味を問い、そしてそれは絵画ならではの表現の探究へとつながった。「PAINTING IN THE TIME OF PHOTOGRAPHY」では、写真に加え、パブロ・ピカソをはじめとするそのような挑戦を受けとったアーティストらによって描かれたポートレイトが紹介されている。
写真家がカメラの仕組みや構造に取り組むなか、アーティストらはそのイメージのみならず、メディウムの物質的な可能性にことさら取り組んでいった。例えばフランシス・ベーコンによる《ルシアン・フロイドの3つの習作》(1965)に見られる暴力的な描写からは、対象のリアリティよりも抽象的な感覚を優先したことがうかがえるだろう。
ジェフ・ウォールは、葛飾北斎の代表的な木版画「冨嶽三十六景 駿州江尻」を参照し、《突風(北斎にならって)》(1993)を制作した。本作は役者をそれぞれ撮影し、のちにデジタル上でコラージュされているが、突風で舞う紙は非常に慎重に配置されるといったアナログ的な作業が発生している。日常とファンタジーの境目を探ることで写真の概念に挑戦したウォールの意図が読み取れる。
「PHOTOGRAPHY AS PAINTING」では、絵画に見られる伝統的な構図を写真の技法を用いて表現を試みる作品群を紹介している。例えば、ドイツの写真家トーマス・シュトゥルートは絵画を見る鑑賞者、そしてそれを見る我々、といった多重的でどこかメタ的な視点を生み出している。
杉本博司による世界の水平線を撮影した「海景」シリーズは静かにその存在感を放つ。写真でありながら抽象絵画のようでもあるこのシリーズは、どこまでも続く海の広大さと永続性を物語っているようでもある。
コピーした写真を絵画に用いるフォト・ペインティングの手法で知られるアーティストのひとりがゲルハルト・リヒターだ。写真は果たして本当に真実を写すものなのであろうか。白黒写真をもとに描かれた滲むようなペインティングは、そういった疑問を浮かび上がらせるだろう。作品に加えて、会場には作家らの言葉が壁面に掲示されている。本展を読み解くうえで重要なポイントでもあるため、こちらも見逃せない。
1950〜60年代は、アンディ・ウォーホルをはじめとするアーティストらが、広告やスクリーンプリントといった大衆的な要素を絵画に持ち込み、やがてポップ・アートが誕生した。スクリーンプリントによって複製された絵画は、現代の情報社会やそれゆえに起こるノイズを反映しているようでもある。
また同展示室では、デイヴィッド・ホックニーによる《芸術家の肖像画―プールと2人の人物―》(1972)のほか、ジョーン・センメルやジョン・カリン、パウリナ・オロウスカ、リサ・ブライス、ジデカ・アクーニーリ・クロスビーといった女性における身体のあり方──異性愛者の男性にとっての欲望の対象ではない──について再考を促すような作品の数々が紹介されている。
暴力や戦争、人々の苦痛は芸術表現において長年のテーマでもあった。この展示室ではほかにも、映画やドキュメンタリーといった映像イメージからインスピレーションを受け制作された、ピーター・ドイグやミリアム・カーンといったアーティストの作品を紹介。人間の脆さや、誰もが必ず経験する死の残酷さ、恐怖が、アーティストそして鑑賞者の心を掴んで離さない。
テート、そしてYAGEO財団によってコレクションされてきた高品質な作品群は来場者を圧倒するとともに、人々が切り取って残した風景、そして絵画と写真の関係性を問うたキュレーションは、来場者がアーティストらの目を借りて人間社会における様々な事象を客観視する機会になるとともに、現代においてあらためて表現とは何かを考えさせられるきっかけとなるだろう。