過去400年間に忘れられた女性アーティストを知る
16世紀の資料を紐解くと、そこには女性アーティストたちの記録は僅かであれ確かにあるという。しかし、その後1920年代までの400年間に活躍した多くは名を忘れられ、もしくは活動を伝える資料すらも残されていない。この展覧会のタイトル「ナウ・ユー・シー・アス(いま、あなたは私たちを見る・理解する)」は、そんな彼女たちを改めて発見するという意味が込められている。
展示は16世紀のチューダー朝時代に時計を戻すことからスタートする。スザンナ・ホレンボートとレヴィナ・ティアリンクは当時の女性アーティストとして文献に名が残っている。ともに現在のオランダ・フランダース地方に産まれ、画家の父親を持ち、おそらく家庭内でアートの手ほどきを受けたとされている。両者はヘンリー八世王の王宮で働く為に渡英するが、女性であるがために画家としての仕事に就くことはできなかった。ホレンボートにいたっては彼女によるものと断定できる作品すら見つかっていないという。
17世紀に入るとチャールズ一世の招聘を受けて、フィレンツェの美術アカデミーにおいて最初の女性会員でもあったアルテミジア・ジェンティレスキがイタリアから渡英する。記録にはジェンティレスキは王室のために7点の作品を描いたとされているが、現在も彼女によるものとして残っているのは今回ここで展示されている《自画像》(1638-1639)と《スザンナと長老たち》(1638-1640)の2点だけだ。《自画像》はひたむきにキャンパスに向かっている姿をとらえており、画家としてのプライドを描いているようでもあり、《スザンナと長老たち》は背後から声をかける年老いた男性たちにとまどう若い女性の姿から、必要以上に年上の異性に干渉されて制約を受けることの煩わしさを表しているようにも思える。
ジェンティレスキはほかの女性アーティストたちに先駆けて、自分のスタジオを構えてプロの画家として活躍し、モデルを雇い(当時ほとんどの女性アーティストたちは真剣なアート活動をしていないとみなされており、モデルを使うことができなかった)、後進のために道を切り開いた存在でありながらもその活動は断片的にしかわかっていない。女性であるがゆえの地位の不確かさが伺える。
この頃、イギリス国内にもプロフェッショナルな女性アーティストが登場している。メアリー・ビール、ジョーン・カーライルらだ。しかしアートを目指す男性同様に画家のアシスタントなどになる道は閉ざされており、さらには父親や夫の許可なく外出することは難しく、ごく限られた範囲での活動を強いられていた。彼女たちの作品を見ても、家族や裕福な階級の女性たちの肖像画ばかりで、行動の限定が感じられる。