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「石川九楊大全」(上野の森美術館)レポート。書は「文字」ではなく、「言葉」を書くこと

書家・石川九楊の全貌にせまる個展「石川九楊大全」が、上野の森美術館で2ヶ月連続で開催。その前編となる「【古典篇】遠くまで行くんだ」がスタートした。【古典篇】は6月30日まで。

文・撮影=三澤麦(ウェブ版「美術手帖」編集部)

第2室 展示風景より、「李賀詩 感諷五首(五連作)」(1992)

 書家・石川九楊(1945〜)の全貌にせまる個展「石川九楊大全」が、東京・上野の上野の森美術館で2ヶ月連続で開催。その前編となる「【古典篇】遠くまで行くんだ」がスタートした。

 石川は1945年福井県出身。京都大学法学部を卒業し、京都精華大学教授、文字文明研究所所長を経て、現在は同大学名誉教授を務めている。「書は筆蝕の芸術である」ことを解き明かし、書の構造と歴史を読み解く。評論家としても活躍しており、日本語論・日本文化論は各界にも大きな影響を与えた。作品制作・執筆活動、いずれの分野でも最前線の表現と論考を継続。現在までに書作品2000点・著書100点以上を世に送り出してきた。

 齢80歳を目前とする石川。本展開催の意義については「仕事の中締めという意味合いが強い」としたうえで、今後にもつながるさらなる試みについて次のように語った。「もうひとつ実現したいのは『書』のイメージを刷新することだ。『書』といえば習字を想起するかもしれないが、『書』は『文字』を書くことではなく『言葉』を書くことだ。この書のとらえかたが常識になれば良いと思う」。

石川九楊

 今回の古典篇では、石川が題材として挑戦してきた日本・中国の古典文学──『歎異抄』『源氏物語』『李賀詩』『徒然草』『方丈記』『良寛詩』など──の書作品がメインに展示されている。とくに、第2室で見られる縦3.6メートルにもおよぶ《李賀詩 感諷五首(五連作)》(1992)は、鑑賞者を圧倒するだろう。中国・唐代中期の詩人である李賀による詩について「まるで涙のようだ」と石川は語っている。そして、画面は単純な白と黒の世界ではない。繊維の積層としての紙、そしてそこに墨が染み込む過程で生まれるグラデーション、筆先の落とし方やスピード。そういった表情や機微は、実物を見なければとらえることができないものだ。

第1室 展示風景より、手前は《盃千字文Ⅱ 始制文字》(2002)
第2室 展示風景より、《李賀詩 感諷五首(五連作)》(1992)。
墨を硯で磨る段階から作品制作が始まるという石川。その行為で1日を費やすことも稀ではないようだ

 「東アジアの書は西洋の音楽に匹敵するものである」。そう主張する石川は、会期中に「書は音楽である」ことを立証するための音楽会を関係者らとともに企画している。代表作『歎異抄 No.18』に書き込まれた一点一画を計測・解析・数値化し、音楽として展開するといったもので、これまでにない新たな試みと言えるだろう。展覧会と合わせて見ることで、書表現がどのように音楽へと生まれ変わるのかを目の当たりにすることができる。

第3室 展示風景より、手前は《歎異抄 No.2(未完)》(1983)
第3室 展示風景より、《歎異抄 No.18》(1988)
第3室 展示風景より、《歎異抄 No.18》(部分、1988)

 第4室から第5室でも引き続き古典文学の書作品が続くが、とくに「源氏物語」シリーズには、書籍などの活字では表しきれない情景や登場人物の感情の動きまでもが、気配のように立ち現れていた。ぜひ会場に足を運び、「言葉」の持つ様々な表情に目を向けてみてほしい。

第4室 展示風景より
第4室 展示風景より、左から《源氏物語Ⅰ 若紫》《源氏物語Ⅰ 夕顔》。比較的多くの人々に知られている『源氏物語』における「夕顔」と「若紫」。その作品からは、女性たちの数奇な運命が言葉の揺らぎから立ち現れているようであった
第5室 展示風景より

編集部

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