旗本出身という異色の出自を持ちながら、幅広い画題で人気を得た江戸時代の浮世絵師・鳥文斎栄之(ちょうぶんさい・えいし、1756〜1829)の世界初となる大規模展が千葉市美術館で開幕した。会期は3月3日まで。担当学芸員は染谷美穂。
本展はこれまでまとまった紹介がなされてこなかった栄之の作品を、大英博物館やボストン美術館を含めた国内外のコレクションより選りすぐって展示することで、その知られざる実像に迫るものだ。
全7章とプロローグ、エピローグで栄之の画業に迫る本展だが、そもそも栄之とはどのような人物だったのか。栄之は祖父が勘定奉行という名門の家柄、禄高500石の旗本・細田家に生まれた。父が夭折したため17歳で家督を継ぎ、御用絵師・狩野栄川院典信の門人などを3年ほど務めたのちに、辞して寄合(無役の役人)となる。わずかな期間で要職を辞したその理由は様々に推測されているが、謎につつまれているという。
その後、筆を執るようになった栄之は、89年には早くも隠居し、本格的に浮世絵師として活動するようになった。本展のプロローグ「将軍の絵具方から浮世絵師へ」では、武家の人間としての栄之像を提示しながら最初期の作品を紹介する。関ヶ原の合戦の様子を柔らかな筆致で描いた栄之の《関ヶ原合戦図絵巻》や、栄之が門人だった狩野栄川院典信、そして栄之と同門だったと推測される狩野養川院惟信らの作品を展示する。
栄之はそのデビューにおいて、喜多川歌麿や葛飾北斎といった同時代の絵師よりも恵まれた扱いを受けていたと考えられている。画業の初期より版元から大判絵の制作を任されており、第1章「華々しいデビュー 隅田川の絵師誕生」では豪華なしつらえの作品を見ることができる。これは、旗本出身というその出自を、錦絵の版元が好機と見て重用した可能性も高いそうだ。
栄之が活躍した時代は、歌麿の全盛期とも重なっている。第2章「歌麿に拮抗―もう一人の青楼画家」では、歌麿が得意であった吉原の遊女を始めとした美人画を、同時代人である栄之がどのように描いていたのかに焦点を当てる。
歌麿は新興の版元である蔦屋重三郎に見出されたが、いっぽうの栄之はデビューの頃よりそれに対抗するように老舗版元の西村屋与八から数多くの作品を出版した。歌麿が顔を大きく描く大首絵に初めて取り組み人気を得たのに対して、栄之は全身像や立ち姿で描いた作品が多い。こうした比較を前提に栄之の作品を見ることで、作品の成り立ちへの理解を深めることができるはずだ。
第3章「色彩の雅─紅嫌い」では、浮世絵全盛期における「紅嫌い」という流行の一端を担った栄之の姿に着目する。江戸の錦絵において人々の目を惹きつけたのは紅の赤だったが、いっぽうでこの紅の使用をあえて避ける「紅嫌い」という色彩も行われた。
栄之はこの「紅嫌い」をもっとも多く出版した浮世絵師だった。とくに主題とされたのは『源氏物語』をはじめとする古典文学であり、その華美を避けた色調がこれらの題材をより引き立てたとされている。
第4章「栄之ならではの世界」では、栄之だからこそたどり着けた世界観の表現に着目。当時の浮世絵師のなかでも、とくに上流階級をターゲットにしていたと思われる栄之。本章では自身が武家で目にしてきた生活を描き出すことができる、栄之ならではの視点が伝わってくる作品を展示している。
第5章「門人たちの活躍」は、鳥高斎栄昌、鳥橋斎栄里、一楽亭栄水など、栄之の数多い門徒の作品を紹介する。栄之の門人の出自についてはまだわかっていないことも多く、その理由としては門人たちもまた栄之と同じく武家の出身であるがゆえに、来歴を明らかにしなかったということも考えられるという。本章では、栄之に続いた絵師たちのバリエーション豊かな創作を堪能したい。
第6章「栄之をめぐる文化人」では狂歌士をはじめとした同時代の文化人と栄之との交流をたどり、続く第7章「美の極み─肉筆浮世絵」では栄之の肉筆画に迫る。
寛政の改革の一環である幕府の出版規制を受け、栄之は幕府の意向に従って錦絵の版下絵の制作を止めて肉筆画に集中することになった。これは旗本出身というその出自にも由来するようで、例えば歌麿のように規制に反抗し続けた絵師とは対象的だ。栄之の繊細な線による華やかな美人画は、肉筆画ならではの気品が漂い、多くの上流階級にその作品が愛されたことがよくわかる。
最後となるプロローグは「外国人から愛された栄之」と名打ち、海外コレクターらの売上目録を紹介。例えば歌麿を高く評価したことで知られるフランスの美術評論家、エドモン・ド・ゴンクール(1822〜1896)は栄之についてもその日記のなかで絶賛しており、目録にも栄之の名が図版とともに記載されている。本章は栄之の世界における受容を知ることができる。
鳥文斎栄之を最新の研究成果とともにまとめて紹介することで、上流階級出身ならではの独自の美意識に迫る本展。歴史的に重要な展覧会となることは間違いないだろう。