画(え)と詞(ことば)を交互に交え、時には画のそばに画中詞を入れて、長い巻物にした「絵巻」は、独自に編み出され発展した、日本美術を代表する様式だ。平安時代末期から鎌倉時代に多くの物語絵巻が作られ、以後、それらを模写するとともに、新たな物語が描かれて、江戸時代まで継承、展開されていく。
手のなかで、巻き広げ、巻き取りながら読むその流れは、現代のアニメーションやマンガの源流とも言われるほどに、私たちにとっても身近に感じられるものだ。この絵巻の名品のひとつ「長谷雄(はせお)草紙」(重要文化財)が、いま永青文庫で公開されている。
「長谷雄草紙」は、平安時代に実在した漢学者・紀長谷雄(きのはせお)にまつわる怪異譚。鎌倉~南北朝時代に制作されたとされ、江戸時代には徳川将軍家の宝物として秘蔵されていたもの。幕末期には維新の混乱のなか長らく所在不明となっていたが、昭和に入ってから永青文庫の設立者である細川護立(もりたつ)の所蔵となり、現在に至っている。
永青文庫での公開はおよそ14年ぶり。現在でも“秘蔵”といえる絵巻は、なんと全巻が一挙に展示される。これも永青文庫始まって以来の初の試みという貴重な機会だ。同作のみならず、じつは同館にはこのほかにも現在国宝に指定されている中世絵巻の模本や、物語が楽しいお伽草子絵巻など、多様な作品が伝わる。
「秘蔵! 重要文化財『長谷雄草紙』全巻公開 ―永青文庫の絵巻コレクション—」展では、これまであまり公開される機会のなかったこれらの絵巻コレクションが集結。全館絵巻尽くしの夢の空間が現前している。展示も間近で見られるので、鮮やかな色彩や生き生きとした描写など、絵巻の醍醐味を堪能できるのが嬉しい。
まずは「全巻公開 長谷雄草紙」をじっくり楽しもう。その展開はじつにユニーク。わずか5段の物語ながら、工夫と楽しみたっぷりの一巻は、全体を通じて低めの視点で人物が大きく描かれる。ストーリーも明快で、室町時代以降の短編小説集「お伽(とぎ)草子」の源流を示す貴重な作例ともされるそうだ。
知恵者として知られる長谷雄のもとに、ある夕暮れ、人に化けた鬼がやってきて、双六(すごろく)の勝負を持ちかける。その鬼の案内で、歩いて向かったのは朱雀門。門上の楼閣で、長谷雄が勝てば絶世の美女を、鬼が勝てば長谷雄の全財産を懸けた勝負は、長谷雄が勝利する。美女を得た長谷雄だが、100日間は触れてはならない、という鬼との約束が我慢できなくなり、80日目に美女に触れてしまう。たちまち女は水となって流れ消えてしまった。実はこの美女、死人のよいところを集めてつくられ、100日を過ぎると人間になる、反魂術という禁忌の呪法によるものだったのだ。
貴人の長谷雄が牛車に乗ることもなく鬼について町を行く姿、町の魚屋や仕事を終えて家族とくつろぐ車屋の様子、楼上で正体を現し、長谷雄に挑む鬼の闘志みなぎる顔など、情景の描写もじつに細やか。
長谷雄が双六の賽(さい)を振りおろした音が線で表現されているのは、まさにマンガに通じ、詞書が読めずとも楽しめる(とはいえ、詞書の書の美しさにも注目してほしい)。
そして、美女を前に我慢できない男の欲望も、ダメ出ししつつも共感できるだろう。水となって流れる女を前にした長谷雄の愕然とした表情とは対照的に、御簾(みす)の縁で隠された女の顔は、見る(読む)者の想像に姿を託す憎いばかりの絶妙な仕掛けだ。
後日、約束を違えた長谷雄を責め、鬼が彼の乗る牛車を襲うが、一心に北野天神を念じると鬼は退散して事なきを得た。つまりは、北野天神のご利益を伝える作品なのだが、鬼の律義さもどこか愛おしく、逃げ去る鬼が気の毒にもなってくる。
永青文庫は、江戸時代に肥後熊本藩主家であった細川家よりの伝来品が遺されており、大名家の宝物が揃っていることが特徴として挙げられる。ここには、近代に細川護立が細川家や国元・熊本にゆかりのある作品を買い戻したり、入手したものも含まれる。
江戸時代、老中・松平定信の文化事業で、古典文化財の整理と模本の制作が推進される。これを受けて各大名家では、中世絵巻の原本や模本の貸借が盛んに行われ、多くの模本が制作された。
コピーと侮るなかれ。これらは、普段は容易に見ることのできない財産として各藩で大切に保管されてきたものであり、現在原本にはみられない欠損部分や褪色や剥落などでわからなくなっている部分をうかがい知ることができる貴重な史料でもあるのだ。
同館にもこうした江戸時代の模本が遺されている。「熊本藩における中世絵巻の模本制作」では、現在三の丸尚蔵館に所蔵される国宝《蒙古襲来絵詞》や、東京国立博物館にある重要文化財《後三年合戦絵巻》、日本四大絵巻のひとつとされる《信貴山縁起絵巻》(国宝、信貴山朝護孫子寺蔵)の模本が見られる。いずれも丁寧に描かれ、色彩も美しく残っており、大切にされてきたことを感じさせる。
とくに《蒙古襲来絵詞》では、墨で描かれた白描本も伝来しており、そこには、「朱」「クロ」「ギン」などの色の情報が文字で細かく書き込まれていて、原本の当時の姿を伝える。
じつは原本も細川家に譲り渡しの話があったのだそうだ。当時の細川家ではその価値が理解されず、宮内省の買い上げとなったが、このときの悔しさを子供心に持っていたと後に護立は回想しているという。
室町時代から江戸時代にかけてつくられ、集められた短編小説が「お伽草子」だ。平安時代に成立した『伊勢物語』や『源氏物語』などの王朝文学とは異なり、神仏への信仰を説く宗教的な主題から、軍記物のエピソードを描く武家物語、民間伝承や説話に基づく庶民の立身出世や怪異譚、動物を擬人化した異類物語に、貴族の恋愛や継子の物語まで、内容も多岐にわたる。その様相はは現代のマンガやアニメーションに比類されるかもしれない。
「お伽草子のストーリーを味わう」では、永青文庫に伝わるこうしたバラエティ豊かな物語を追う。
《十二類絵巻(模本)》は、重要文化財に指定される現存最古の伝本(個人蔵)の、熊本藩における模本だが、異類譚と宗教説話が融合した昔話のようなストーリー。十二支の歌合に鹿に招かれて参加した狸。「自分は鹿仙(歌仙)である」と言って判者を引き受けた鹿が歌合後の宴会でもてなされているのを羨ましく思い、次の歌合で自分が判者になろうとするも、追い払われてしまう。恨みに思った狸は十二支からもれた動物たちを集めて戦いを挑むが惜しくも敗北。今度は鬼に化けてみるがこれも失敗。とうとう狸は法然上人の門流にて出家し、腹鼓を打って踊念仏に励んだ後に西山のほとりに隠棲する。しかし、歌の道だけは捨てられなかったそうだ。
色鮮やかに擬人化された動物たちは、それぞれを特徴づけるデザインの衣装をまとい、画中に記されるセリフにも特徴や名前が織り込まれているので注目。
《いはや物語(岩屋物語)》は、いわゆる継子物。継母に殺されそうになった姫君は、命じられた家臣の憐憫から明石の海上の岩に置き去りにされる。5日後に海人(あま)に発見され、その夫婦に養われる。美しく成長した姫は、療養に来ていた二位の中将に見いだされ、海人夫婦の嘆きをよそに都へと連れ帰られる。中将の両親は身分の低い姫をあきらめさせるために、4人の貴族の姫たちと教養比べをさせるが、琴や琵琶をはじめ、姫が優れていることが分かり、めでたく妻に迎えられることとなった。その後、生き別れた父親とも再会し、経緯を聞いた父は継母と離縁する。
料紙に金泥で草花が描かれた上中下巻本は、緑青や群青の絵具もたっぷりと、華麗な絵巻となっている。教養比べに姫君たちが集う場面は、平安の宮廷美を伝える。注目は、岩上の姫が助けられる場面。海人に救い出されるはずが、舟上に描かれているのは尼(あま)。絵師の誤読か、数ある伝本のなかでも珍しい作品とのこと。
《秋夜長物語絵巻》は、南北朝時代に成立したとされる稚児物語を絵画化したもの。比叡山の僧・桂海が石山寺で参籠中にまどろんでいると、美しい稚児の夢を見た。この稚児が忘れられなくなった僧が、再び石山寺を詣でると、途中三井寺でよく似た梅若(花園左大臣の子息)を垣間見る。梅若の侍童の助力でふたりは文を交わし、ついに思いを遂げるが......。ふたりの恋は、やがて山門と寺門の凄惨な争いへと発展する。現代ならばBLとでも。その理由と顛末は、ぜひ会場で。
このほか、中国の小説を原典として和文化した《申陽洞記絵巻》、祭りの風景を生き生きと描いた《祇園祭礼図巻》や、熊本藩の藩校「時習館」の蔵印のある《北野天神縁起絵巻》など、見ごたえたっぷりだ。
最後には、極めつけの「奈良絵本の世界」を。室町時代後期から江戸時代中期にかけて制作された彩色絵入りの写本である「奈良絵本」。『源氏物語』や『伊勢物語』などが多く残るが、同館に所蔵される「絵入太平記」は、軍記物語『太平記』を奈良絵本にした現存唯一の作品とされるもの。全83冊という、奈良絵本で最大の冊数を誇り、金泥、金箔を多用した豪華な作品。さすがに全冊は叶わぬものの、展示される作品は状態もすばらしく、さらにきらびやかな「絵入平家物語」とともに、目にも綾なる世界に言葉を失う。
現在、東京国立博物館では「やまと絵」展が開催中だ。国宝、重要文化財の数々が一堂するなか、やまと絵の代表的な様式である絵巻も、日本四大絵巻をはじめ名品が揃うが、そこに描かれた物語のすべてを追うことはなかなか難しい。
「長谷雄草紙」で絵巻をまるごと堪能し、これまであまり紹介されてこなかった多彩な作品を間近に追って絵巻本来の愉しみ方に近づける、永青文庫の空間は、併せて必見だ。