漆で文様を描き、それが硬化する前に金銀などの金属粉を蒔きつけて装飾をほどこす「蒔絵(まきえ)」は、正倉院宝物のなかにその源流と考えられる作例があるものの、その後日本で独自に発展を遂げる。いまや「maki-e」として、世界にも日本の漆芸技術と知られる技法である。
平安時代には、仏教の荘厳とともに貴族たちの邸宅を飾り、鎌倉時代には基本的な技法が出揃い、武家文化にも波及していく。江戸時代には豪商をはじめとする庶民にも愛されるようになり、やがて明治・大正期の茶人たちの好事の対象として蒐集されていった。
そんな歴史を持つ蒔絵はゆえに、仏具を納める箱から手箱や文房具、それらを安置する棚や酒器や皿などの飲食用具、武具に楽器、そして細やかな装身具まで、多様なものに装飾としてほどこされた。
同時にそこに描き出される世界は、仏教の経典に由来する意匠や仏の姿から、和歌や中国の故事、歴史・物語などの文学的要素、山水から花鳥風月に自然科学のモチーフまで、これまた多彩だ。
美しく豪華な作品には、その技術や美のみならず、豊かで奥深い読み取りの楽しさが秘められているのだ。
根津美術館の礎を作った初代・根津嘉一郎(青山)も多くの蒔絵作品を蒐集したことで知られている。じつは、彼がコレクターとして世に知られるきっかけになったのも、蒔絵作品の購入だったのだそうだ。室町幕府将軍・足利義政を経て、江戸時代初期の茶人・松花堂昭乗が愛用したと伝えられる《花白河蒔絵硯箱》がそれで、1906(明治39)年に大阪の豪商の売立があったとき、当時としては破格の高値で落札し、新聞記事にも残されている。
以後、蒔絵作品の蒐集は継続され、とくに晩年に優品の数々を入手して、現在同館が誇る蒔絵コレクションとなっているが、このほかにも文房具、仏具、香道具、飲食器から装飾品まで、バラエティに富む特色を持っているという。
本展「蔵出し蒔絵コレクション」では、こうした嘉一郎の蒔絵作品コレクションが一堂に会する。蒔絵史においても重要とされる名品から、これまで公開される機会のなかった作品まで、重要文化財4件を含んだ75件。多彩さを感じさせる「飲食器」「硯箱」「調度」「装身具・馬具」「楽器」「手箱・香道具」「仏具」のジャンル別に蒐集エピソードとあわせて紹介される。まさに「蔵出し」の蒔絵作品で埋まった豪華な展示室は、改めて同館のコレクションの厚みを伝える、貴重で圧巻の空間だ。
まずは、蒔絵の基本的技法である「研出蒔絵」「平蒔絵」「高蒔絵」について、その表現の特徴を料紙硯箱の作品で確認する。あっさりと3つのタイプを揃えられるところがすでにすごい。
蒔絵の技術に関する豆知識も各所に掲示されており、初心者にもアプローチしやすいポイントになっているのも嬉しい。とくに、蒔絵に使用されるさまざまな大きさ、形、色(純度)の金粉の展示は興味深い。
その組み合わせは数百通り。蒔絵師は、これらをそれぞれに使い分けて、草木や風景、人物などを浮かび上がらせる。金の装飾では、実際の金箔を貼る技法もあるのだが、10センチ四方の金箔の容量が0.03gほどに対して、同じ面積を蒔絵による金地で表そうとすると、約4gもの金が必要なのだそうだ。その行程の複雑さや手間を含め、いかに蒔絵が贅沢な技法であるかも感じられるだろう。
江戸時代、世の中が安定すると、各地の名所や行楽地で楽しむ習慣が定着していく。現代と同じように、花見には弁当を持って行き、桜花とともに一献を楽しんだのだろう。こうした道具にも、豪華な蒔絵がほどこされたものが遺されている。
嘉一郎もちょっと高級な飲食器から集めていたようだ。「提重」と呼ばれる、重箱に徳利、盃、小皿に楊枝箱を提げ手のある枠にぴったり収まるように造られた、携帯用の“宴会セット“には、様々な蒔絵の技法で装飾されるのみならず、その意匠にテーマを込めたり、(本展での展示はないが)徳利を人形にしたりと宴を盛り上げる楽しい趣向を凝らしたものもある。
江戸時代後期に活躍した蒔絵師・原羊遊斎は、当時の人気絵師・酒井抱一とのコラボレーションによる盃を制作している。朱塗の大中小の盃には、二見浦(桜)、竹に雀(雪)、月に鹿(月)があしらわれる。「雪月花」とともに、二見浦に近い伊勢神宮、竹林で知られる石清水八幡宮、鹿を神獣とする春日大社の三社をも暗喩する。
抱一の下絵を、当代の名工といわれた羊遊斎がモダンともいえる蒔絵に表した粋な杯は、購買層の広がった江戸において人気を博したという。
時代を通じて蒔絵により多く制作されたのが手箱や硯箱といった「箱」である。仏具としてはありがたい経典や高僧の僧衣などを納め、手箱は当時の化粧に使用する道具を収納し、硯箱は文房具あるいは部屋の調度として整えられる。これらは実用と同時に、神仏に献納するものとしても制作された。現在も宝物として寺社に伝わる手箱も多い。
硯箱の意匠にはその用途からも和歌や故事にちなんだものが好まれ、あるいは部屋を装飾するものとして花鳥風月がモチーフとされて、知的に、華やかに、時には渋く、時には大胆に、時代の変化や技術の向上とともに多様に展開する。
これらは、蓋表と蓋裏、身の内部とそれぞれに連続、あるいは呼応して、ひとつの世界を表している。このモチーフのにくいほどのあしらい方を、驚嘆の技術とともに味わいたい。
そのほかの調度品も豪華な蒔絵で飾られる。小箱や文箱、脇息に箪笥などから、婚礼調度の一式まで。ことに江戸時代の大名家では、徳川美術館が所蔵する「初音調度」に代表されるように、伝統的な蒔絵技法を駆使し、贅沢な素材を用いたゴージャスなものが造られた。
嘉一郎もまた、大名家伝来の贅を尽くした作品を多く蒐集している。
注目は、《百草蒔絵薬箪笥》。外箱だけはなく、内容品もほぼ揃ったかたちで遺されており、それらの一部を見ることができる。なかでも蓋裏の意匠が圧巻だ。百種(実際に数えたそうだ)の薬草が虫とともに多彩な研出蒔絵で写実的に表されて、なおかつその名称まで添えられている。小箱の銀細工も素晴らしい。
蜂須賀家のお抱え蒔絵師・初代飯塚桃葉の基準作となる傑作は、その蒔絵の見事さとともに医療文化財としても注目されているものだ。
自然観察から生まれた美しいデザインは《雪華蒔絵箱》でも見られる。「雪の殿様」と言われた土井利位(としつら)が自ら観察して記録した『雪華図説』を刊行すると、雪の結晶文様は大流行。この時代モチーフとして多用された。こちらは細かい金粉を蒔きつめる梨子地がまるで粉雪のように組み合わされた瀟洒なもの。
また、『源氏物語』全54帖を収める《石山寺蒔絵源氏物語箪笥》は、江戸幕府お抱えの幸阿弥家の制作とされるもの。紫式部が物語の構想を練ったといわれる石山寺の景観が蒔絵で表された、文学的意匠にあふれた一作だ。
戦国時代になると、成り上がった武士たちは自身の威光を示すために、武具や馬具にも豪華な蒔絵をほどこしていく。その伝統は江戸時代にも引き継がれ、おおらかな草木や花鳥を散らし、装飾性を高めていった。
「装身具・馬具」では、こうした武士の装いのアイテムと併せて、その用途を超えて庶民にも粋な装身具として広がった印籠が紹介される。
嘉一郎の印籠コレクションは100点を超えており、小品ながらバラエティ豊かな数々は、これだけでも見ごたえたっぷりだ。本展では、ガラスケース内に吊るしたかたちで展示され、前後ともに楽しめる。添えられた根付の洒落、技巧とともに、お気に入りを見つけてはどうだろうか。
彼のコレクションの幅広さを印象付けるもうひとつが楽器だ。数は少ないながら、三味線、琵琶箱に琴箱が公開され、ユニークで迫力あるコーナーになっている。
嘉一郎の蒐集品で代表的な名品のひとつが《秋野蒔絵手箱》である。中世の手箱の流通は希少であり、コレクター垂涎の的とされ、彼が入手したのもようやく晩年になってからだったという。
こうした手箱に収められていたものは別々になり、近世の茶の湯の道具として珍重されていく。掌に収まるかわいらしい香合や小箱、小ぶりの香箪笥などは、そのサイズにも手を抜かない蒔絵師たちの驚嘆の技術がなお光る。
室町のころの作品に、それらが収まっていた箱を想像しつつ、やがて江戸から明治にかけて単独でも制作されていく過程を、その超絶技巧とともに追ってみたい。
仏具からは、《二十五菩薩来迎蒔絵厨子》を。室町時代の作で、浄土信仰の来迎図が厨子の内扉に精緻な蒔絵で表されている。現在は台座のみが遺されるが、本来は阿弥陀如来像が安置されていたのだろう。描かれた菩薩の唇には朱もさされており、信仰の想いのこもった細やかな表現はぜひ会場で確認してほしい。
豪華な金銀を使い、繊細で精緻で高度な技巧と、たぐいまれなデザインセンスのなかに表わされた多様多彩な表現と暗示される意味。そこには、あらゆる日本美術の要素が詰まっているといえる。
キラキラと輝く蒔絵の世界は、技とアイデアの競演に酔うとともに、万華鏡を覗きこむように、その要素のかけらを探してみたい。蒔絵の魅力だけではなく、日本美術の愉しみが拡がるはずだ。