東京・小平市にある武蔵野美術大学 美術館・図書館において、開館当初よりコレクションの柱のひとつとして収集されてきた近代の名作椅子の数々。その約400点ものコレクションから約250点を展示し、椅子を通じてデザイン史を通観する企画展「みんなの椅子 ムサビのデザインⅦ」の後期展示が9月5日より始まった。会期は10月2日まで。
本展は、ほぼすべての椅子に座ることができ、五感を使って楽しむことができるのが特徴だ(作品保護の観点より一部展示品を除く)。同大学の教授陣による「プロダクト・デザインを学ぶ者にとって椅子は格好の教材である」という提言のもと、実際に座ることで椅子の機能、座り心地、デザイン等を学ぶ講義が現在も行われており、この方針が展覧会にも反映されているという。
また、会場では名作椅子を通じて近代デザイン史を通観することができる構成となっており、近代以前から現代にいたるまでの椅子が全10章で展覧されている(8章は前期会期のみ)。
会場に入るとまず目に入るのはこのアーチだ。1章「近代椅子デザインの源流」では、ハンス・ウェグナーやボーエ・モーエンセン、ジョージ・ナカシマ等の近代の椅子が展示されている。それらの椅子の源流となるのは、近代以前の明式家具(中国)や、ウィンザーチェア(イギリス)、シェーカチェア(アメリカ)などであり、本展冒頭のこの章では「椅子デザイン史は、リ・デザインの歴史」であることを知ることができる。
2章では、産業革命を象徴する1819年創立の「トーネット社」のデザインを取り上げる。トーネットの椅子は、そのフォルムだけでなく、生産や流通の効率まで設計されており、芸術と産業の関係性を社会全体で探し求めていた時代の価値観が反映されている。
1920年代から40年代になると、建築の領域では装飾や歴史性を排除し、万国共通の様式や工法をよしとする「国際様式」が台頭した。3章では、建築家自身が建物内のインテリアデザインも行うことが多かったこの時代の、ル・コルビュジエやミース・ファン・デル・ローエ、アルヴァ・アアルトなど国際様式を代表する建築家たちの名作椅子が紹介されている。
4章「ミッドセンチュリーと大衆消費社会」は1階と2階のメインフロアに分かれている。ここで登場するのは、現在でも多くの人が耳にしたことがあるであろうチャールズ・イームズや、エーロ・サーリネンなどの作品だ。これらの椅子は第二次世界大戦をきっかけに開発された新素材や技術を取り入れており、20世紀中頃のアメリカで展開された大衆消費社会を象徴するものだ。
2階メインフロアでは、先ほど紹介した4章にくわえて、5章の手仕事による温かみと機能性を兼ね備えた北欧の椅子と、6章の自由なアイデアを積極的に受け入れたイタリアモダンの椅子が入り交じる、非常に華やかな構成となっている。
北欧デザインのもつ温かみは、その豊かな自然素材と手仕事を重んじる姿勢から生み出されている。北欧では古くからその製品を使う人の視点や機能性を重視する伝統があり、現在東京都美術館で開催されている(〜10/9)フィン・ユールの椅子もここでは紹介されている。
6章で紹介されるイタリアモダンの椅子は、ほかの椅子とも比べてもわかるように、椅子に対する固定概念にとらわれることなく、その自由さと明るい雰囲気で鑑賞者を楽しませてくれる製品が多い。20世紀中頃のイタリアでは、その気風にくわえて、メーカーと職人、デザイナーの三者による密接な関係性があった。そのため、機能性よりも、デザイナーのアイデアが最優先されたオリジナリティあふれる椅子が多く誕生したという。
7章からは、日本で生まれた椅子も登場する。1960年代後半は、多くの表現分野において「近代からの脱却」が叫ばれ、デザイン界では「スタジオ・アルキミア」や「メンフィス」のような幾何学図形やビビッドな配色を用いた前衛的なデザインが誕生した。これにより1980年代には「ポストモダニズム」の旋風が巻き起こる。日本においてそのポストモダンを牽引したとされるのが倉俣史朗だ。
暗室では、名作椅子としても名高い倉俣史朗の《How High the Moon》や《Miss Blanche》を間近で見るというめったにできない体験をすることができる(作品保護の観点より着席不可)。ここでは個別に照明が当てられているため、椅子が落とす影も非常に特徴的で、見どころのひとつだ。
誰しもが「一度は座ってみたい」と憧れるのは、ゆらゆらと揺れるロッキングチェアではないだろうか。9章で紹介されるのはその「ロッキングチェア」と折りたたみ機能を持つ「フォールディングチェア」だ。ロッキングチェアはリラックスできる安心感が求められるのに対して、座っていないときも美しいバランスを求められるという条件がある。本展では、その厳しい条件をクリアした優れたデザインの椅子を実際に体感することができる。
フォールディングチェアも同様に、椅子としての美しさにくわえて、折りたたんだときの形状や持ち運びのしやすさを求められる製品だ。デンマークでは、王立美術アカデミー家具科の歴代教授が手がけた「デンマークの三大折り畳み椅子」と呼ばれるものがあり、本展ではこれを並べて展示し、紹介している。
後期会期より展示されたのが、10章の「みんなの椅子」。この章では、現在製造されている椅子の展示にくわえて、椅子に関わる様々な人に焦点を当てて、鑑賞者に伝えることを目的としている。椅子デザインはデザイナーが注目されやすい側面があるが、製造、営業、広報、販売、流通など、椅子づくりから、販売までには多くの役割を持った職業があることを、展示室内のインタビュー映像から伺い知ることができる。
また、同展示室には「ANIMALS」シリーズで知られている彫刻家・三沢厚彦がデザインを手掛けた《SHINRA ラウンジチェア》も展示されている。メーカー・飛驒産業の100周年記念事業としてコラボレーションした椅子で、そのデザインからは三沢らしいどこか有機的な雰囲気を感じることができる。
本展の特徴のひとつに、会場内キャプションなど、文字情報を徹底的に削ぎ落とした、という点がある。「座る」という体験を重視した空間づくりが最優先されており、その分、オンラインコンテンツが非常に充実している。会場や特設サイトで観覧できる監修者・寺田尚樹による椅子の解説動画や、椅子の情報をまとめたオンラインアーカイブは展覧会終了後も観覧ことができ、鑑賞者やデザインを学ぶ学生にとっては非常にうれしい取り組みだろう。
約250点もの近代名作椅子が一堂に介し、しかも無料で座ることができるというのは、いままでにない非常に貴重な体験と言えるだろう。後期会期は約1ヶ月という短い期間であるが、ぜひとも足を運んでほしい。