葛飾北斎(1760~1849)。江戸時代後期を代表するこの浮世絵師は、現代でも世界でもっとも知られている日本の画家といえる。「冨嶽三十六景 神奈川沖浪裏」は、「The Great Wave」として、まさに表現の領域に大きな波をもたらし、そのインパクトは、いまも観るものを惹きつける。
19世紀末、近代ヨーロッパにもたらされた日本の文物が注目され、空前の日本ブームが興る。いわゆる“ジャポニスム”である。とりわけ高い評価を得たのが浮世絵師・北斎だった。
この熱狂により世界各地に「Hokusai」の名は知られ、作品が集められていく。フランスではギメ東洋美術館、アメリカではボストン美術館などがその質・量を誇るが、イギリスでもまた、多くの熱心なコレクターや研究者によって北斎作品が収集されてきた。
なかでも大英博物館は、複数のコレクターから入手した優品が多く収蔵されており、そのクオリティは世界トップクラスとされる。同館が北斎の版画作品を初めて購入したのは、1860年だという。明治維新(1867年)で日本が近代化に向けて踏み出すことに先駆けた歴史を持っているのだ。
本展「大英博物館 北斎―国内の肉筆画の名品とともに―」は、この大英博物館が所蔵する北斎の優品に、国内の肉筆画を加えて北斎の画業を追うが、およそ70年におよぶ活動期間のなかで、60歳から没する90歳までの30年に焦点をあてる。
じつは、浮世絵に「風景画」という新たなジャンルをもたらした代表作「冨嶽三十六景」も、数え71歳から74歳頃の作品と考えられており、「諸國瀧廻り」や「諸國名橋奇覧」などのシリーズが続く。肉筆画も、40代から50代半ばに集中的に制作されたほか、優品の多くが最晩年に描かれているのだ。
長い画業のなかでも還暦を迎えてからの旺盛な制作とその精華が際立っていく様子は圧倒的で、その死に際してもなお描くことを追求した“画狂”の姿を浮かび上がらせる。同時に、大英博物館にこれら有数のコレクションをもたらしたコレクター、研究者から6人に注目、彼らの旧蔵品や著作、関連資料が紹介される。
同館の北斎コレクションは、彼の代表作にとどまらず、版本、摺物、版下絵など、その画業の多岐にわたり網羅されていることが特筆される。
日本絵画コレクションの礎を築いた、外科医ウィリアム・アンダーソンや小説家アーサー・モリソンに、風景画家として北斎は自国のターナーにも勝ると評した画家チャールズ・リケッツのコレクションをもたらした研究者チャールズ・ヘーゼルウッド・シャノン、研究面で北斎コレクションを支え、北斎版画の揃物を多く購入して充実させた同館キュレータ―のローレンス・ビニョンなど、彼らの審美眼は、ジャポニスムのブームを超えて、単なる愛好を超えて、「画家・北斎」を見つめていたことを伝える。
会場では、まず、勝川春章のもとで「春朗」の画号で活動していた頃の貴重な初期作品に早熟の才能を見いだしつつ、一気に還暦以降へと進む。
ここでは、現在世界に1冊だけが確認されている狂歌集や、軽やかな筆で扇面に描かれた《鶏図》などに注目だ。
そして、本展の見どころは、なんといっても揃物の版画の悔しくなるほどのラインナップとそのクオリティの高さだろう。北斎の画業を語るに、版画・版本の存在は欠かせない。
彼が江戸っ子たちにその名を知られるようになるのが『椿説弓張月』などの読本の挿絵であり、「冨嶽三十六景」をはじめとする浮世絵版画の“錦絵”で、大人気絵師となる。この錦絵の代表的な揃物がほぼ網羅され、しかも非常に美しい色のまま残されている。まさに「錦」を実感できるみずみずしい摺りの美を堪能したい。
とくに、百人一首の和歌を絵解きした「百人一首うばがゑとき」は、刊行が中断されたものの、彼が準備していた下図が遺っており、これらがともに展示される。版画にされれば残ることのない下図が併せて観られるのは、嬉しい機会だ。
北斎は、版画における彫師と摺師との協働作業をとても重視していたという。彼らとの信頼関係なくしては、錦絵の美は完成しない。下図の繊細な描き込みは、そのみごとな筆技と併せ、彼らと切磋琢磨する、そんな北斎の姿をも彷彿とさせる。一筋縄ではいかない百人一首の独自の解釈も北斎らしく、見ごたえ満載だ。
こうした作品は、そこに描かれる世界から「富士と大波」「目に見える世界」「想像の世界」のテーマで紹介される。多様な水の表現や、富士とともに描かれる民衆の活き活きとした姿、人間や自然の観察からの的確な表現に、そこから拡がる想像の豊かな世界。森羅万象を描きだす北斎の果てしもない画力とそのまなざしは、次々と改名した画号にも重なっていく。
「春朗」からスタートした画号は、「宗理」を経て、39歳からもっとも知られる「北斎」となるも、あっさりその名を弟子に売り、以後、「戴斗」「為一」「画狂老人卍」など、これまた多彩だ。しかし、いずれの画号も日蓮宗に連なる北斗(北極星)信仰にもとづいており、それは、万物との合一という到達点として示唆される。
そして、万物とともに在り、その精神を人々に伝えることを画によって果たしうると信じた北斎がめざした「神の領域」を、壮年期から最晩年までの肉筆画で観ていく。
版画とは異なり、絵師の息づかいをダイレクトに感じられる肉筆画は、最晩年でもその勢いが衰えるどころかますます迫力を増していく。
『富嶽百景』の跋文に、100歳で「神妙の域」に達し、110歳で「一点一格にして生きるがごとくならん」と述べた、執念ともいえる彼の生きることへの執着は、すべて画を生み出すことにそそがれていた。
“画狂”そのものの北斎の生きざまは、しかし、自己の画業の追求にとどまらず、そうして得たものを、画を観るものに、そして画を継ぐ者に広く伝えることを求めていたのだ。それは、共同制作への向き合い方、『北斎漫画』に代表される絵手本や弟子に与えた肉筆画帖などにも表れている。
画力、画題、技法、表現、制作、意志、意欲、あらゆる面で超スケールな絵師・北斎。世界を熱狂させるその“魅力”を改めて実感できる空間だ。