2022.3.26

アーティスト・島袋道浩と1泊2日で巡る国東半島

大分県北東部に位置する国東半島。2014年の国東半島芸術祭でアントニー・ゴームリーや宮島達男がサイトスペシフィックな作品を制作し、昨年は島袋道浩が4作品を手がけるなど、土地の特性に融け合うアートが点在する。島袋のガイドで、アート作品に加えて国東半島のお気に入りスポットを巡るツアーが実施された。

文・撮影=中島良平

島袋道浩
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 「高校生の頃の夢はアーティストともうひとつあって、それは観光ガイドになることでした」と、大分空港からバスが出発すると島袋道浩は語る。ツアー参加者は15名ほどだろうか。アートの仕事に携わる関係者何名かと、アートに興味を持つ一般企業の会社員など背景は様々な参加者が集まった。

 「作品制作の際にも何度も来ていますが、このツアーのためにさらに3回か4回は国東半島全体の下見に来ました。1泊2日のツアーはやり直しのきかない演劇のようなものですから。皆さんに僕以外の作品も含めてこの地域のアートを見ていただきたいし、それ以外にも、国東半島で僕が気に入ったものをお見せしたい。そうですね、僕は自分が面白いと思ったものや良いと思ったものを誰かにも見てほしいという気持ちがすごく強いんだと思います」。

 国東半島は九州北東部から瀬戸内海に向かってほぼ円形に突き出している。中央にそびえるのは、両子山を中心とする火山群。噴火で起こった火砕流によって放射状に峰が生まれ、その間の筋ごとに6つの郷=集落が形成された。古来、この地には山岳信仰が息づいており、6世紀には全国の八幡宮の総本山である宇佐八幡が創祀され、8世紀前半には山岳修験を行なう天台宗の寺院が複数建立された。それらが融合した神仏習合の山岳信仰がかたちを成し、一帯の寺院を総称する「六郷満山」にちなんだ山岳宗教文化である「六郷満山文化」が受け継がれている。

 山には修行僧が岩壁に彫ったとされる「磨崖仏」が数多く残されており、一説には全国の石造仏の7割が大分県に集中していると言われている。六郷満山文化を背景に、石の文化が根付いた地域だとも言えるだろう。ツアーの企画運営に携わるBEPPU PROJECT代表理事の山出淳也によってそうした地域の説明がなされ、島袋がふたつの作品を残した祇園山に向かった。

島袋道浩《光る道—階段のない参道》&《首飾り—石を持って山に登る》

祇園山の麓で作品について説明する島袋道浩

 祇園山にあるのは八坂神社跡。鳥居をくぐり進んだ先の急斜面には階段が設けられておらず、坂道が参道となっていた。島袋はその坂道をそのままに、特別にデザインした手すりだけを設置して作品にした。写真の奥に見える扉を開けた先の坂道がその参道だ。手すりは夜になると光を放ち、参道としての機能を持ちながら光のランドマークにもなるインスタレーション作品《光る道—階段のない参道》となった。

毎年11月10日にはこの正面方向から朝日が昇るため、正月と11月10日に御来光を拝みに祇園山に登る人も多い
八坂神社の本堂の建物はすでになく、石の土台と祠のみが残る

 「祇園山プロジェクト」のもうひとつの作品《首飾り—石を持って山に登る》は、各地から集めた石を円環状に並べて生まれた。世界各地に古代遺跡として環状列石は存在するが、それらは地球に首飾りをかけるように、大地に贈り物をするような気持ちでつくられたのではないか、石の土台を設置しながらそんなイメージが湧き、首飾りという単語が浮かび上がったという。ツアー参加者には、事前に島袋から1通のメッセージが届いた。「みなさんがやってくる場所の石、どこか遠くの場所の石でもいいのですが、石をひとつ持って国東に旅をしにきてもらえないでしょうか?」。タイトルにあるように、島袋は祇園山に世界中から石を持った人々が集まっていることを望んでいる。

 「国東半島は瀬戸内とも太平洋とも日本海ともつながっていて、実際にいろいろなところから文化が届いている場所だと知り、色々なところから色々なものが届くようなイメージを作品に表現できないかと思いました。それで日本の各地から石を持ってきて環状列石のような形状の基礎をつくり、時間をかけて育っていく、変化していく作品になればいいなと思ったので、今回は皆さんに石を持ってきていただきました」。

 鑑賞のみではなく、食の体験を通して胃袋でも国東半島を味わってほしいと考えた島袋。祇園山の 鑑賞時には、島袋が地元の調理人と考案したランチが配られた。 

《首飾り—石を持って山に登る》(2021)の展示風景
右は沖縄から持ってきた勝連トラバーチンという石灰岩で、左は岡山の万成石。大分空港がアジア初の宇宙空港に認定されたので、宇宙からの隕石をペンダントにして右の石にかけた
祇園山でランチ。島袋は地元の「えみちゃんキッチン」と打ち合わせを重ねてメニューとレイアウトをデザインし、「食べられる彫刻」として卵のり巻き弁当を完成させた

宮島達男《Hundred Life Houses》

 祇園山を下りて次に向かうのは、成仏地区に2014年に設置された宮島達男作品《Hundred Life Houses》。アートに興味を持つ若者や留学生、地元の人々が参加して100個のデジタルカウンターのカウント速度を設定し、セメントで100の家に収め岩壁に設置したこの作品は、「現代の磨崖仏」をイメージして制作された。

 「地元の人の管理も含めて、8年も綺麗にインスタレーションが残されているのはすごいことですよね」と島袋。「コントラストがすごいですよね。自然のものとテクノロジーというのはかけ離れているのに、うまく調和しているというか、調和と言っていいのかはわからないけど良い組み合わせです。歩いて上がってくるとチラチラと見える光が蛍みたいに綺麗ですし、パブリック・アートは、作品を置くことでその場所が壊れてしまうことがあるけど、この場所は作品を置いたことでさらに良くなったのではないかという気がします」。

宮島達男《Hundred Life Houses》(2014、部分)
宮島達男《Hundred Life Houses》(2014、部分)

アントニー・ゴームリー《ANOTHER TIME XX》

 朝10時にバスで大分空港を出発し、まだ14時過ぎ。車窓から景色を眺め、少し山道を歩き島袋と宮島の作品を巡っただけだが、アートが土地のコンテクストと融合していることを体感できる。次に向かうのは旧千燈寺跡。六郷満山文化の礎を築いた仁聞菩薩が最初に開いた寺と言われており、入寂の地でもあるこの寺の管理者や地元住民の理解を得て、隣接する修験道にアントニー・ゴームリーが彫刻作品を2013年に設置した。

旧千燈寺跡への道沿いに立つのは、2012年に飴屋法水が発表したアートツアー「いりくちでぐち」の舞台のひとつになった
「ゴームリーはこの山道を歩き、風景や石仏などから作品を構想し、彫刻作品を切り立つ岩山の尾根に設置することを決めました」と、2014年の国東半島芸術祭の総合ディレクターとして企画制作にも携わったBEPPU PROJECTの山出淳也
不動山の中腹に残る旧千燈寺跡入口に立つ仁王像。右が口を開いた阿形、左が吽形
旧千燈寺跡奥の院
旧千燈寺跡奥の院脇の岩壁にも石仏が彫られている
劇場客席を思わせる斜面に石塔が規則的に配列された様子を前に、「すごく計画されたインスタレーションですよね。これを見せたかったんですよ」と島袋

 古くから砂鉄が豊富に採れたこの土地では、「たたら製鉄」の技術が受け継がれ、刀づくりが盛んだった。しかし時代は変わり産業は衰退し、地域一帯は過疎化をたどっている。そこでこの土地の過去を見つめ、未来の光を見出すきっかけとなる作品をこの場に設置したいと、ゴームリーに作品制作を依頼。ゴームリーは国東に訪れ、瀬戸内から朝日が昇る東の方角を向いたこの場所に鉄製作品の設置を決めた。しかし、聖なる場所への設置に反対する声も多く、また重量630kgの鉄の作品をこの急峻な場所に運ぶ方法はどうするのかと、実現までは困難を極めた。修験者にとって重要な場所に、未来への想いを共有できる作品が設置されるのであれば受け入れたいと近隣住民らの賛同を得て、また、急斜面の山道であっても巨大な材木を運送できる、地元の椎茸農家の協力で作品の設置が成功した。

アントニー・ゴームリー《ANOTHER TIME XX》(2013)
表面をコーティングしていない鉄製のこの作品は、雨風にさらされてやがて風化し、200年か300年後には山に還っていく
不動山頂付近の五辻不動尊からの眺望。ゴームリー作品はこのすぐ下

島袋道浩《マノセ》

 山を下り、今度は海へと向かう。不動山から海を目指しても車で20分ほど。短時間で景色の変化を味わいながらツアーは進む。

島袋道浩《マノセ》(2021)

 「馬ノ瀬プロジェクト」として、半島の北端、竹田津地区に位置する馬ノ瀬で制作されたのが地名に因んだ島袋の作品《マノセ》だ。干潮時に海に道ができ、歩いて渡ることができるこの場所の美しさを感じてもらいたいという思いから、「石をつむ」「流木をたてる」「穴のあいた石をさがす」という3つの行為を金属製の文字にして防潮堤に記した。防潮堤の下におりると、小島へと続く道に転がっている穴のあいた石を積み上げた小さな石塔が、無数に並んでいる。島袋によるインストラクションをもとに、来訪者がつくったものだ。ツアー参加者はみんなが夢中になり、石塔は増えていった。しかしこれも、風で崩れてしまうこともあれば、大潮で海の底に沈むこともある。そうすると新たにやってきた誰かによって再び石塔がつくられ、馬ノ瀬の大きな景色のなかで石と来場者のインタラクションが生まれていく。

島袋道浩《マノセ》(2021)
島袋道浩《マノセ》(2021)

川俣正《説教壇》

 安土桃山時代から江戸時代にかけてキリスト教徒は多くいたとされる岐部地区では、海を渡りローマへと向かい司祭となり、帰国後は幕府による禁教に抵抗するも弾圧されて殉教してしまったペトロ・カスイ岐部のエピソードに心を打たれた川俣正が《説教壇》を手がけた。回遊できる通路がペトロ・カスイ岐部の歩みを追想させるインスタレーションであり、文字通り説教壇としても機能し、コミュニティの集まりや結婚式などでも活用できる「場」が生まれた。

川俣正《説教壇》(2014)
舟越保武によるペトロ・カスイ岐部像。《説教壇》が設置されているのはこの丘の上

島袋道浩《息吹》

 日が暮れてくる時間帯。来浦(くのうら)地区の突堤の先に放置された街灯が、呼吸するかのように明滅を繰り返す島袋の作品《息吹》では、島袋が招聘した今回の特別ゲスト、アーティストの梅田哲也によるパフォーマンスがいつの間にか始まっていた。並べられたカセットコンロの上には、蒸し器のような缶のなかに米と水が入れられている。火をつけて湯が沸騰すると、缶のサイズや火力などによって高低さまざまな音が響きわたり、音の波動がハーモニーを奏でる。《息吹》に音も組み込みたいと考えていた島袋は、「梅田さんのパフォーマンスによって《息吹》が完成したような気がする」と、パフォーマンスを前に笑顔を見せていた。

島袋道浩《息吹》(2021)
「ここで酒を飲むのが夢だった」と島袋が手にするのは、地酒「西ノ関」の昭和63年に仕込まれた古酒。夕方のカクテルアワーだ
酒にもコーヒーにもお茶にも合うカップとして島袋自らデザインし、国東の陶房「くにさきかたち工房」が手がけたカップでお酒が供され、ツアー終了後にはお土産として参加者に配られた
梅田哲也

 料理旅館「海喜荘」での夕飯を終えると、バスで《光る道—階段のない参道》を遠目に鑑賞し、滞在先のホテルへと向かった。

島袋道浩《光る道—階段のない参道》(2021)

「先人たちが残したアート」を巡る

 2日目の朝は、宿泊したホテルベイグランド国東から海岸沿いを歩き、朝食会場のおしり岩へと各自が向かう。海岸には「おたのしみ」が用意されていた。

海岸では、梅田哲也によるドライアイスと空き缶や瓶を使ったパフォーマンスを実施
熊本をベースに、日本各地で虹をかけるワークショップを行うアーティスト、レインボー岡山によるパフォーマンスも
朝食会場では、島袋がコーヒーをドリップしながらお出迎え

 2日目は現代アート作品ではなく、国東半島の文化を、島袋曰く「先人たちが残したアート」を巡るプログラムだ。ホテルをチェックアウトしてバスで最初に向かうのは、熊野磨崖仏。国東半島でもとくに規模の大きな磨崖仏が、鬼がひと晩で積んだと言われている石の階段を上った先の岩壁に彫られている。島袋が祇園山の参道に階段を設置しなかったのは、この階段には敵わないと思ったからだという。

 そして磨崖仏にたどり着くと、積み上げられた石を前にして島袋は「こんな風に、もとに何があったのかわからないところに積み上がる石、みたいなのが生まれたらいいなと思うんです」と、育っていくパブリックアートを重ね合わせる。

熊野磨崖仏とその先の熊野神社へと続く石の階段
磨崖仏の前に積み上げられた石
磨崖仏を下りた先にある胎蔵寺では、来場者がシールを貼り付けてギラギラした石仏が異彩を放つ

 国東半島には、九州でもっとも古い木造建築も残されている。平安時代に宇佐神宮大宮司の氏寺として開かれた富貴寺の阿弥陀堂だ。「空気がすごくいいんですよ。太古の空気が残っているように感じます」と島袋。境内には石塔も多く立ち並び、なかでも「請け花」「反り花」の蓮華座を設けた形態の宝塔は国東半島のみに見られ、「国東塔」と名付けられているのだと富貴寺の住職が説明してくれた。

富貴寺阿弥陀堂
ランチは富貴寺の宿坊である「蕗薹(ふきのとう)」で、地元産の新鮮な野菜を中心
とする料理に副住職が手打ちしたざるそばがつく「そばランチ」が供された
富貴寺境内の国東塔
行入ダムと奥に見える岩山のコントラストも圧巻
最後に訪れた神宮寺では、住職が「平和の鐘」で迎えてくれた
神宮寺焼け仏8体。明治43年に正月の祭である修正鬼会の際に、松明の残り火で講堂が消失し、焼け出された薬師如来坐像と十二神将

 国東半島にやってきた現代アーティストが、土地の文化や歴史、あるいは自然をどのように感じ取り、作品制作に反映させたのか。2日間のツアーでは島袋道浩のプランニングでその関係を知ることができ、国東半島にただアート作品を鑑賞しに来る以上の体験ができた。

 アートと観光をうまく結びつけた成功例のひとつは瀬戸内だといえるが、この国東半島のように、土地の文化と現代アートが結びつきそのポテンシャルを持った土地は全国にいくつもある。県境を超えての移動が制限される時期が終われば、文部科学省と経済産業省なのか文化庁と観光庁なのか、省庁が連携をすることで、クーポンを発行してお茶を濁すような観光復興対策を超えたより有意義で魅力的な観光ツアーが実施できるはずだ。そんな可能性を感じさせるツアーだった。

終了時には2日間のメニューが配布されるなど、ツアーでは食も重要な位置を占めた