地域はアートに何をもたらすのか? 遠山昇司と長島確が語る「さいたま国際芸術祭2020」が目指すもの

2016年に開催された「さいたまトリエンナーレ」が、新たな名称「さいたま国際芸術祭」として2020年3月に開幕する。公募で選ばれた映画監督・遠山昇司がディレクターを務める今回、さいたま国際芸術祭が目指すものとは何か? 長島確との対談から、地域への眼差しの重要性が見えてきた。

聞き手・構成=藤生新 ポートレート撮影=稲葉真

左から長島確、遠山昇司

あなたは「花」から何を思い浮かべますか?

──2020年に開催される「さいたま国際芸術祭2020」のテーマは「花 / flower」になりました。一見、かなり普遍的なタイトルですよね。まずはディレクターの遠山昇司さんに、このテーマを選ばれた理由についてうかがいたいと思います。

遠山昇司 「花」という言葉が多面的なイメージを喚起させるものであることから、このテーマを選びました。でもそれだけではなく、僕自身の個人的な体験も影響しています。

「さいたま国際芸術祭2020」ロゴ

 普段、僕は映画監督として活動しているのですが、撮影前に行うロケハンで『市民が選んださいたま百景』(さいたま百景選定市民委員会、2010)という本を手に取ったことがありました。この本は、いわゆる見所紹介というよりも、市民一人ひとりの記憶を集めたような内容になっていて、みんなが大切にしている「記憶の百選」がまとめられているんです。それを見てとても感動して、僕も実際にさいたま市を巡ってみたいなと思ったことがありました。

 ディレクターに就任して最初にさいたま市内を視察していたとき、見沼という土地で子供たちがお花見に向かっている印象的な風景に出会いました。その光景を見たとき、素直に「さいたまっていいところだな」と思えるようになって。そんなところからだんだんと想いが強まっていって、僕なりに「花」という存在を追い求めていくようになりました。

遠山昇司

 その過程で思い出したのが、1960年代のベトナム戦争反対運動で撮られた一枚の写真です。デモ隊と警官隊が睨み合う緊迫した情景の写真なのですが、デモ隊のひとりが警官の持つ銃口にカーネーションを差しているんです。それも花の持つ側面のひとつだなぁと。

 そんな具合に、花にまつわるもろもろを思い出しているうちに、多くの人が花に対してその人なりのイメージを抱いていることに気が付きました。

 だからいまお話しした例は、僕にとっての「花のイメージ」に過ぎません。それでは「みなさんはどんな『花』をイメージしていますか?」と。そんな問いを投げることによって、人々の想像力を喚起することができるんじゃないかなと思いこのテーマを選びました。

長島確 たしかに、一言で「花」と言ってもいろいろな花がありますよね。だから芸術祭を訪れる人にとっても、参加アーティストにとっても、「どんな花を思い浮かべたか」は相当違ってくるはずで、そこが面白いなと思っていました。

遠山 そうなんです。参加アーティストにも花の解釈は任せているので、アーティストたちがどんな風に「花」を解釈してくれるかのかがいまからとても楽しみで。そしてお客さんにとっても、すでに持っている花のイメージが芸術祭を訪れることで変わっていき、会場を出たあとで世界の見え方に何かしら変化があるといいなと思っています。

──さいたまでの芸術祭は2016年(さいたまトリエンナーレ2016)に続き、今回で2度目の開催となりますが、前回から継承していることや、あるいは刷新しようとしていることなどはありますか?

遠山 前回のディレクターは、かつて地域計画に関与されていた芹沢高志さんで、芸術祭では「ソフト・アーバニズム(柔らかな都市計画)」という概念を提唱されていました。それは映画監督として、また「風景」に関わってきたひとりとしてとても共感できる考えで、だからこそ、前回に養われたものをどうやって引き継ぐのかをいま考えています。

 ただ、芹沢さんから映画監督の僕にディレクターが交替することの意味を考えたときに、芹沢さんがある種の「プランナー」だったのに対して、僕は「ストーリーテラー」に近い存在かなと思ったことはありました。

 芹沢さんが手掛けられてきたことを、芸術祭の語り手として展開していくようなイメージ。そういう作業を継続していくことで、芸術祭を単発のイベントで終わらせない工夫ができるのではないかなと思っています。

さいたまトリエンナーレ2016で展示された目《Elemental Detection》(2016) Photo by KINUGASA Natsumi

ディレクターは灯台みたいな存在

遠山 先日、8組の参加アーティストを発表したのですが、記者会見でアーティストの魅力を一生懸命代弁したときに、改めてディレクターとしての実感が湧いた気がしました。ちゃんとそこに愛が宿る感じがしたというんでしょうか。

長島 僕もF/T(フェスティバル/トーキョー)18からディレクターを務めているのですが、「ディレクターには本当に愛が大切だな」と思ったことがありました。もともと僕はドラマトゥルクの仕事をしているのですが、いざディレクターを務めてみると、何かを「決める」ことがとにかく難しかったんです。最初は困ってしまったんですが、最終的に様々なアーティストと協働していくなかで、そのプロセス自体に愛情が湧いてきました。「誰々が好きだから一緒に働く」のではなく、「一緒に働くなかで誰々を好きになる」といった順番です。

長島確

遠山 映画の現場はひたすら監督が決めないといけないようになっているので、監督はジャッジメントをし続けるんです。そんな僕でも、いつものスタンスで芸術祭に関わることには葛藤がありました。

長島 それでいうと、演劇でも演出家は「決める人」なのに対して、ドラマトゥルクは「演出家が対等に話せる相談相手」なんだと思っています。演出家と違ってドラマトゥルクには決定権がないのですが、むしろそれがないことこそが重要。話を聞いて、話をして、最終的に演出家が決断するまでのプロセスをどう豊かにすることができるのか。それがドラマトゥルクの仕事であるとも言えるんですね。

 そんなふうに「責任はあるが決定権は持たない」のがいつもの状態なので、F/Tのディレクターを引き受けたときにはだいぶ悩みました。でも、「direction」という言葉には「方向」とか「方角」という意味があることに気がついて、だったら大きな方向性だけを決めて、あとはアーティストなりスタッフなりプロジェクトなりがそれぞれ自発的に動いていけばいいやと。それがわかったことで、自分の居かたが見つかった気がしました。

遠山 ディレクターは灯台みたいな存在なのかもしれないですね。ディレクターが掲げたテーマが暗闇を照らす光で、その光を目標にアーティストたちが作品をつくってくれるようなイメージです。

「アートが地域に何をもたらすか」ではない

──全国各地で様々な芸術祭が行われているいま、さいたま市で芸術祭を行うことの意味とは何でしょうか?

遠山 アートには「価値を問い直す」という役割があると考えていますが、芸術祭を通して、開催地であるさいたま市が持つ価値を問い直すことは行わなければならないと思っていました。さいたま市って、ある種のステレオタイプな印象が強い街じゃないですか。その印象をどう変えていくのか。例えば、地域に対する視点を変えてみる、提案するといったことは、さいたま市で芸術祭をやる意義につながると思うんです。

 そのいっぽうで、「さいたま国際芸術祭」の愛称として「ART Sightama」という名前を付けました。サイトという言葉の綴りは「site」ではなく「sight」にしたのですが、そこには「場所」ではなく「風景・景観」という意味を込めています。それに「さいたま」の語呂をかけ合わせることで、さいたま市の新しい見え方が風景のように浮かび上がってくることをイメージしました。

──芸術祭の愛称は、地域との距離感をぐっと縮めるきっかけになるかもしれませんね。

遠山 よく「アートは地域に何をもたらすか」みたいなシンポジウムのテーマを見かけることがありますが、僕はひとりの作家としてそんなことは考えたこともなくて、むしろ逆のことをよく考えるんです。つまり、「地域はアートに何をもたらすか」ですね。これは少し際どい問いかもしれませんが、僕は映画をつくるときにほかの何よりも地域から様々なものを享受しているので、それと同じことをさいたまで考えられないかと思っています。

長島 僕は前回の芸術祭(さいたまトリエンナーレ2016)に参加して、さいたま市が大好きになったんです。もともとさいたまに抱いていたイメージと現実がかなり異なって、偏見が吹き飛んだんですよね。一番の収穫は、さいたまには本当に面白い場所がたくさんあり、すごい人がたくさんいることがわかったことでした。

遠山 そう! 人のグラデーションがとても豊かなんですよね。

長島 もう少し具体的に言うと、さいたま市では鉄道の路線が東京都心から放射状に走っていますが、都心との垂直(南北)方向の移動に対して、路線と路線の間の水平(東西)方向に移動をすればするほどディープな場所が現れるんですよね。例えば、池袋から北に向かう埼京線、上野から北に向かう京浜東北線、浦和美園に向かう埼玉高速鉄道とかの間に存在するエリアはアクセスするのが大変なんですが、一歩足を踏み入れるととても魅力的な人がたくさんいて、前回の芸術祭ではそういった人々との出会いに本当に恵まれました。

遠山 芸術祭としては、地域で生活している人たちがどのように参画できるのかということも大きなミッションのひとつ。そうした観点から考えたとき、芸術祭を「会期中のもの」としてだけとらえるのではなく、会期前と会期後に対して、どのように時間軸を拡げていけるかが鍵になると考えています。

 地域に流れる時間には、もちろん始まりも終わりもないので、地域で行われる芸術祭も期間限定のものとしてとらえるのではなく、長期的なものとして考えたときに、ローカルプロジェクトや旧大宮図書館で行われている「さいたまアートセンタープロジェクト(SACP)」などが動き始めています。

メイン会場のひとつである旧大宮図書館

 今年8月からスタートしている「CIRCULATION SAITAMA」というローカルプロジェクトがまさにその一例なんですが、例えば公共空間の活用、モビリティ、ソーシャルインクルージョンなど、地域が抱いている課題に向き合うプロジェクトを市民自らが立ち上げる試みを行っています。これはただたんにプレゼンをして終わりなのではなく、市民やさいたまに興味を持つ人たちが自らの力でプロジェクトを稼働させています。具体的には、どうやってお金を集めたらよいのか、どのように運営したらよいのか、どうやって継続させたらよいのかなどの課題に取り組んでいただき、生活者の方に参画していただくことで、「アートの領域」と「地域の領域」がともに拡がっていくことを意識しています。

遠山昇司

──会期の前後につながるグラデーションが印象的ですね。

遠山 芸術祭の会期は2020年3月から5月までなんですが、「その後に何が残せるだろう?」と考えたときに、例えば彫刻や絵画が区役所に残りましたみたいなことではないなと思って。そこに住む人たちが関わるプロジェクトがどのように残っていくかが、地域を豊かにするうえでは重要だろうと思いました。

メイン会場のひとつである旧大宮区役所

 街自体が成長していくには、地域にプロジェクトが残っていく、もっと具体的に言えば「人が残っていく」ことが一番必要なんですよね。

 だから芸術祭が終わったあとも、さいたまアートセンターやCIRCULATION SAITAMAが続いてくれるといいなと思っています。実際に前回行われた長島さんの「←(やじるし)」プロジェクトは2016年以降も継続していますが、もともとはどういったきっかけから生まれたプロジェクトだったんですか?

長島 このプロジェクトは最初のリサーチから実現まで丸2年かけて行ったんですが、矢印というモチーフを選択したのは、(前ディレクターの)芹沢さんが「生活都市における芸術祭」というコンセプトを定められたことに対して、真正面から応答してみようと考えたのがきっかけでした。

 そこに暮らす人たちが参加できるプロジェクトにしたい。では、世の中に「参加型」と言われる試みは多々あれど、本当の参加型とはどういうものだろうと。ただアーティストがタスクをつくってそれを手伝うという関係性にはしたくなくて、アーティストが市民と組むんだったら、市民のほうがアーティストになって、僕がドラマトゥルクになるような関係性で「参加型」を実現できないかなと考えました。

 そうすると、完全な自由意志で参加してもらい、なおかつ参加者の創造性がいかんなく発揮されるような、言い換えれば結構シビアなプロジェクトにもなる。手を抜けば丸見えになるし、凝れば凝っただけ、それが企画したアーティストのものにならずつくった当人のものとして現れてくるようなプロジェクトを組み立てる──というところまでたどり着き、矢印というモチーフを見つけました。

2016年の「←(やじるし)」プロジェクト 撮影=川瀬一絵

 このモチーフには元ネタがあって、ポーランドの作家ヴィトルド・ゴンブロヴィッチの『コスモス』という小説に「天井に矢印が現れる」というエピソードが出てくるんです。それを下敷きにして、太田省吾という日本の劇作家が4作の戯曲を書いています。

 あるとき、家の天井に雨漏りのシミのようなものが現れて、それを家族で見ているとだんだん矢印の形に見えてくる。矢印であるからには何かを指しているはずだ、じゃあその方向に行ってみようと、家族みんなで家を出て行ってしまう物語です。

 プロットはほぼそれだけなんですが、矢印に導かれて行く先々で不思議な人たちとの出会いがあり、なんとも奇妙な不条理劇になっています。それを参照して、「←」プロジェクトの参加者には、自分の家や職場など、それぞれの場所から現れてくる矢印をつくってみませんかというお誘いをしました。素材もなんでもいいから、と。そうすると矢印って自由度がすごく高いので、とんでもないものがいっぱい出てきたわけです。

 ただ紙に矢印を書いただけのものもあれば、マンションの5階で物干し竿に干していた大根を3本組み合わせて矢印の形にしたものとか、田んぼでコンバインがターンしてできた跡がたまたま矢印に見えるとか、様々な矢印が集まりました。

2016年の「←(やじるし)」プロジェクト 撮影=川瀬一絵

遠山 その物語の視点があったから矢印が見えてくるんですね。すごく小さな視点によって、とても大きな発想が生まれてくるダイナミックさが僕は好きです。今回の「→(やじるし)」プロジェクトはどういったものになりそうでしょうか?

長島 今回のプロジェクトは今年の頭からスタートしています。前回のオペレーションは僕を中心としたプロジェクトチームで回していて、その過程でいろいろな方との出会いと面白いことがたくさんあった。でもそれをチームメンバーだけが体験して、外には共有できなかったんですね。だからそのプロセスをもっと開きたいと考え、まずはそのための資料となるハンドブックをつくることから始めています。

ほかの芸術祭では見られないようなアーティストを呼びたい

──参加アーティスト全体にはどのような傾向があるのでしょうか? 

遠山 つい先日、8組のアーティスト(篠田太郎、アラン・カプロー、フランク・ブラジガンド、川井昭夫、テリ・ワイフェンバック、最果タヒ、菅原直樹/OiBokkeshi、日本フィルハーモニー交響楽団)を発表しました。今日お話してきたことともつながるんですが、このラインナップには、この芸術祭を通してアートの領域を拡張させていきたいという思いを込めています。

篠田太郎 枯山水 2015 サイトスペシフィックインスタレーション(シャルジャビエンナーレ) Courtesy of Sharjah Art Foundation

──日本フィルハーモニーが入っているのが意外ですよね(笑)。

遠山 そうですよね(笑)。いわゆる現代美術の領域からだけではなく、様々なジャンルで活躍するアーティストを選定しています。ほかの芸術祭ではなかなか見られないアーティストが揃ったと自負しています。今回の8組も芸術祭の方向性を表す方々として選ばせていただきました。今後、12月10日に予定している記者発表で全アーティストを発表する予定ですが、きっとこの芸術祭の性格を表すような領域横断的なラインナップとして受け取られると思います。

 今回の8組にも、詩人、現代美術作家、交響楽団、介護士でかつ演出もされている方までいらっしゃいます。川井昭夫さんは、アーティストでありながら、アガベという数十年から100年に一度しか花が咲かない植物のコレクターでもあって、本当に色々な方々に参加していただいています。

川井昭夫《PLANT CIRCLE V:水が与えられなかったとせよ》 「死なない命」(2017、金沢21世紀美術館)での展示風景

──会期前後のグラデーションもそうでしたが、人選においても、なだらかで豊かなグラデーションが描かれているような印象がありますね。

遠山 実際にさいたま市に来ていただいて、地域に眼差しを向けていただけるアーティスト、そして多角的で多面的なコンセプトを提示できるアーティストこそが大切だと思いました。

 またグラデーションでいうと、記者発表後会場となる旧大宮区役所で「100日前イベント」を開催します。そこでは芸術祭参加作家によるトークや、パフォーミングアーツの上演を行う予定です。市民も参加できるプログラムもあります。さらにイベントの日は近隣にある氷川参道で「十日市」という大きな催しもあったりするので、記者発表会、イベント、十日市と、なだらかに地域へ接続されていったらいいなと思っています。

──会期前後のプロジェクト、アーティストの人選、イベントなど、芸術祭全体を通してとても繊細なディレクションが行われていることが伝わってきています。ひと目見てわかるものではないかもしれませんが、芸術祭に参加して帰宅したあとでふと思い出すような余韻がどこかに感じられます。

遠山 ありがとうございます。それに関連して最後に一点だけ追加しておくならば、今回キュレーターを誰にしてもらうのかはすごく重視しました。いわゆるアートの世界で活躍している人だけではない幅広いジャンルの人たちに関わってもらうことを目指したんです。そのキュレーターがいて、そのアーティストがいるというところまで含めて、ひとつのストーリーを描けたらいいなと思いました。

長島 僕はだんだんと面白さが伝わること、その「遅さ」が大事な気がしています。前回のトリエンナーレでも感じたんですが、いまは情報の量と更新速度がものすごいので、そのなかで一瞬のインパクトを狙っても、あっという間に情報が流れ去り、結局なかったことになってしまうことが本当に多くなっています。それよりも、一見派手さは劣るけど、じわじわと面白さが伝わっていったり、関係性ができていったりすることに意味があるような気がしていて。遠山さんも、そのことを考えていらっしゃるんだなということが今日はよくわかりました。

長島確と遠山昇司

編集部

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