大分県の国東半島北部に位置する長崎鼻は、半島の北端に突き出した岬の地理的条件から、年中いつでも壮観な朝日と夕日を臨める、風光明媚な土地だった。10年ほど前からは、地元の人々らによる地道な活動が実を結び、「花とアートの岬」として、岬一帯を埋め尽くす季節ごとの花々や、現代美術の作品群が楽しめる地区となって人気を博している。
多くの観光客が足を運んでくれるようになり、豊後高田市は次の段階として、「この土地だからこそ味わえるコンテンツ」を制作することができないか、と考えた。そこで市は、長崎鼻のキャンプ場内に開設予定だったデジタルアートミュージアムのプランを公募した。
福岡を拠点とする建築家の西岡美紀と小島佳子がその公募を知り、クリエイティブ・ラボ「anno lab(あのラボ)」に声をかけてプランの提出を決めた。anno labで代表を務め、アーティストとして制作を行う藤岡定は、まずプランを考えるために現地を訪れた。自分たちがやりたいことを押し通してデジタルアートの表現を手がけるのではなく、クライアントである豊後高田市と一緒に考え、その土地の魅力を引き出す表現を見つけるために、「はじめは完全に遊びの感覚で長崎鼻を訪ねた」 のが長崎鼻との出会いだった。
不均質な自然と触れ合う美術館
リゾートキャンプ場に来て夕日を堪能し、夜にバーベキューをしているとホウホウとフクロウの鳴き声が聞こえ、原っぱに寝っ転がると満天の星空が視界に広がる。夜明け前の暗がりから日が上る様子を見ているうちに、自身を取り巻く大気がみるみる温かくなるのを肌で感じた。すぐに藤岡は、「できあいのデジタルアートを持ってきても、自然の豊かさ、美しさには敵わない」ことに気付かされたという。
「自然の美しさをどのように切り取るか、というアプローチで3室のインスタレーションで構成する『不均質な自然と人の美術館』を考えました。たとえば日中に太陽の光をそのまま取り入れる《太陽と月の部屋》では、太陽が季節によって様々に表情を変えていくことを感じてもらえるよう設計しました。普段は太陽をただの光としてとらえているかもしれませんが、鑑賞者の動きにあわせて天窓が開閉するこのインスタレーションを通じて太陽を体感しなおすと、光を肌で浴びる心地よさや、そのあたたかさが改めて感じられます。この美術館では、自然も人も不均質で多様であることを伝え、受け取る人や季節、時間帯によって、一度も同じ表情を見せない作品たちを体験することができます。そして、鑑賞後に館外へ出たときには、それまでとは違う感覚で自然を受け止められるようになるんです」。
美術館の発注者となった豊後高田市の吹上幸司と井上重信は、完成した美術館に大きな手応えを感じているようだ。
「『不均質な自然と人の美術館』の根底には、自然があります。アートを通して国東半島の自然と文化を体験することで、この地域の価値を改めて発見していただければと思っています」(吹上)。
「春に向けて長崎鼻には菜の花が咲き、夏にはひまわりでいっぱいになります。これから空気も澄んで、植物の芽吹きを感じられる季節に国東半島ならではの自然と文化を体験していただきたいです」(井上)。
長崎鼻の自然に感銘を受けた藤岡をはじめとするanno labのメンバーは、「自然と触れ合う身体性を拡張するレンズ」のように機能する美術館を目指した。来場者の動きと太陽の位置のシミュレーションによって天井の窓が開閉し、太陽の光が人の動きについてくる《太陽と月の部屋》。長崎鼻の潮の満ち引きと鑑賞者の所作にセンサーが反応し、光と水の動きによって海の息吹を視覚化する《海の部屋》。森の生命を「ライフ・ゲーム」と呼ばれるシミュレーション方法をベースにアニメーション化し、生命がうごめく豊かな森の心音、樹木や土の肌触りを円筒形全周スクリーンに投影する《森の部屋》。
「水から出るα波から涼しさを体験するなど、自分の身体で直接感じることには美術館を計画する際にこだわりました。ちょうど開館時期がコロナ禍初期だったので、美術館や劇場が休館を余儀なくされて、体験から身体性がどんどん失われていくことを感じていました。また、外出して太陽を浴びる時間が減ったことで体に不調を感じる人が増えているといった研究などの話も聞いていました。やはり、物理的に光や水に触れ、身体感覚を働かせることは、脳にとっても感情にとっても重要だと感じられたので、この美術館ではそこにフォーカスしたいという気持ちは大きくなりました」。
地元で旅館「海浜旅庵 しおじ」を経営するかたわら、美術館のレセプションを担当する高嶋夫妻は、長崎鼻の花畑の整備にも携わるなど地域づくりに貢献してきた。「美術館を通して自然との相互関係を体験できるのが魅力的です。インスタグラムなどを通じて美術館に興味を持ち、“映える”画像を撮りにいらっしゃる方も多いですが、そうした口コミを通じて来館されたお客様が、結果的にこの土地の自然を実際に体験していくことも、時代にマッチした新しい広がりではないかと感じます」。
地域文化に根ざした新たな展開
anno labは年間を通して何度も長崎鼻に足を運び、地元の人々に美術館を楽しんでもらうために、市とともに5度にわたってワークショップを開催した。
「美術館をつくるときには自然の美しさにフォーカスしたのですが、国東半島には豊かな文化も歴史もあります。これらも美術館と結び付けられたら、地域との関係を一層深められると考え、地元の文化や人の営みを学ばせていただくためのワークショップを5回開催しました。そこで改めて見つけられたのが、この地に根付く石の文化です。国東にはあらゆる場所に石の存在があります。そこで、国東の石が伝える文化の入口となる作品をつくれないかと考え生まれたのが、《石の部屋》と題する作品です」(藤岡)。
ツアー型作品である《石の部屋》のテーマは、「石デバイスがあなたの第六感へ伝える、国東の〈気配〉」。国東半島全体を美術館の第4の部屋とするコンセプトのもと、鑑賞者は石デバイスを手に長崎鼻地域と田染地域を歩く。マップに記されたスポットに近づくと、石デバイスが〈気配〉を感知し、そこに宿るエピソードがヘッドフォンを通して流れてくる。地域情報を単純に伝えるガイドではない。そこの気配を文字通り感じさせるポエティックなエピソードであり、その声に耳を傾けて立ち止まり、周囲をじっと見つめると、目の前の景色が少し違って見えてくる。実際に全5回のワークショップに参加し、国東半島峯道ロングトレイルでガイドを務める日浦勝彦は次のように語る。
「国東には、独自の山岳信仰である六郷満山文化が根付いています。磨崖仏をはじめ、石造仁王像などは全国に存在するうちの約7割が国東半島にあると言われています。かつての修験者たちが育んだ仏教文化を背景に発展したこの地の石の文化を、アートを通して体験できることは素晴らしいと思います。我々がガイドするのとは違うアプローチで、自然や文化に触れていただけると感じています」。
石の文化が味わえる包括的なツアー
3月5日〜6日に実施される「石の部屋」ツアーでは、美術館と屋外の《石の部屋》の体験に加え、国東半島の石の文化のルーツともいえる六郷満山文化に触れるべく、富貴寺の宿坊「蕗薹」での宿泊と、翌朝の同寺阿弥陀堂における座禅体験も組み込まれている。
718年に開基された富貴寺の阿弥陀堂は、宇治平等院鳳凰堂、中尊寺金色堂と並ぶ日本三大阿弥陀堂に数えられ、現存する九州最古の木造建築物として国宝に指定されている。木材も3分の2ほどが当時のままに残されており、中央の阿弥陀仏や壁画、柱に描かれた曼荼羅なども当時の顔料の色彩は失われているが、後世の修復などの手が加わることなく大事に保存されてきたことがわかる。「村の集会などで阿弥陀堂は使われてきたので、建立当時の煌びやかさはありませんが、人が参り使用する建物として廃れることなく大事にされてきました」と、富貴寺の副住職である河野順祐さん。そして今回のツアーで体験できる座禅については、以下のように言葉を継いだ。
「座禅は自分の心を1箇所に止め、心を観察するために行うものです。富貴寺の天台宗では、座禅を『止観』という言葉でも言い表します。生活をしているとストレスを感じたり、思い通りにならずにイライラしたりすることもあることでしょう。しかし、原因を外に求めるのではなく、自分の心に原因があると仏教では考えるので、それを認め、現実をありがたく受け止めることで足るを知ることができます。呼吸を整え、何もない静かな時間に身を置いて自分が自分から解放される時間を待ちます。自分の身体をつくるものを意識し、呼吸を通して色々なものの恵みを感じられるのが座禅であり、気づきのトレーニングともいえるかもしれません」。
偶然に長崎鼻にデジタルアートの美術館を建てるプロジェクトの一員となり、通い詰めるうちに地域の自然に魅せられたanno lab。美術館が完成してからも国東半島の自然や人々と深く関わり、その文化に触れるきっかけをまた新たなアートでかたちにするという、地域とクリエイションの循環が起こっている。anno labは派手な非日常を演出するのではなく、日常のとなりに位置するような身近な物事の面白さを表出させることで、日常そのものを豊かで楽しく幸せなものにすることを目指す。その根底には、藤岡が大学時代に出会った学長から聞いた言葉が息づいているのだという。
「『もともと人間というのは子育てや仕事などあらゆることを楽しめるようにデザインされている』、と僕たちが卒業した大学の学長が話していました。実際に楽しめないのは、社会や人間関係など現実世界の問題によるものだから、それを元に戻して人間を幸せにさせるように機能するのがデザインなのだと。僕たちが日常のとなりにこだわるのは、日常に新たな発見や喜びを見出せる仕掛けをつくることができれば、日常そのものが豊かになり、インスピレーションあふれる生活が生まれると考えるからです。《石の部屋》も、田染や長崎鼻で立ち止まって見慣れた景色から新たなものを見出し、深い文化と自然を自分自身で探索するきっかけになれば嬉しいです」。
春に向けて菜の花が咲き誇り、山には多くの命が芽吹く。anno labが仕掛けるアートがひとつのきっかけとなり、国東独自の自然観や信仰、文化に由来する石の文化に触れ、奥深い自然を味わうことが可能となる。「石の部屋」ツアー実施までもう間もなくだ。