1919年にドイツの古都ヴァイマールに開校し、ナチスの弾圧を受け1933年に閉鎖した造形芸術学校「バウハウス」。そのわずか14年という短い活動期間を振り返る展覧会「開校100年 きたれ、バウハウス ―造形教育の基礎―」が、7月17日に東京ステーションギャラリーで開幕した。
本展は、昨年、バウハウスの開校100周年を記念し、後西宮市大谷記念美術館、高松市美術館、静岡県立美術館で巡回開催された展覧会の最終回。「学校としてのバウハウス」「バウハウスの教育」「工房教育と成果」「『総合』の位相」「バウハウスの日本人学生」といった5章で構成されている。
開幕にあたり本展のキュレーションを手がけた「ミサワ バウハウス コレクション」の学芸員・杣田佳穂は、「本展の最大の特徴は、バウハウスの教育、とくに造形の基礎教育を詳しく取り上げていることだ」と説明。基礎教育から様々な工房まで、約300点におよぶ膨大な資料や作品群が紹介されている。
第1章「学校としてのバウハウス」では、バウハウス・デッサウ校舎の竣工にあわせて刊行された機関誌『バウハウス』や、建築・デザイン・芸術の先端的な動向に焦点を当てる「バウハウス叢書」シリーズ、そして校舎で活動する学生たちの姿をとらえた写真などの資料が並ぶ。
作品提出などを経て入学が許可された学生は、まず「予備課程」と呼ばれた基礎教育に入る。第2章「バウハウスの教育」では、その基礎教育をヴァシリー・カンディンスキーやパウル・クレー、オスカー・シュレンマー、ヨハネス・イッテン、ヨゼフ・アルバースなどの教師ごとに紹介していく。
杣田は、「それぞれの先生は、自分の制作を振り返り、自分の信念に則った教え方をゼロから試行錯誤のうえで構築していった。だから、先生によって教えることも全然違った」と語る。
例えば、バウハウスの創設者であるヴァルター・グロピウスが招聘した初期の教師のひとり、その教育の基礎を最初に築いたヨハネス・イッテンは、形態や色彩に関する知識を身につけることや、学生の創造力を解放させることなどを基礎教育の目的として掲げた。本章において杣田は、「鑑賞者には、『自分だったらどの先生に学びたいのか』と想像しながら体験してほしい」と提案する。
基礎教育を修了した学生は、専門課程として「工房教育」に進むことができる。第3章「工房教育と成果」では、家具工房や金属工房、陶器工房、彫刻工房、印刷・広告工房、舞台工房など10の工房・学科とその成果を紹介している。
本章の冒頭部である「家具工房」で圧倒的な存在感を放つのが、17年に東京国立近代美術館で個展を開催したことも記憶に新しい、ハンガリー出身の建築家・家具デザイナーのマルセル・ブロイヤーによる鋼管椅子だ。
グロピウスの指導のもとに実験的な制作を行っていたブロイヤーは、自転車のフレームに触発され、鋼管を用いた肘掛け椅子「ヴァシリー・チェア」を生みだした。金属という新たな素材を導入することで、家具デザインに革新をもたらしたいっぽう、ブロイヤーはユニット式家具や折畳式の家具など、企業による商業的な生産ラインに乗ることができる家具を考案し、一般の人々がデザイナーズ家具を簡単に入手できる機会をつくりだした。
また本章では、マリアンネ・ブランらが金属を使って制作した紅茶器セットや、ヴィルヘルム・ヴァーゲンフェルトが半円や球体などを組み合わせたテーブルスタンドライトなど、バウハウスを象徴するプロダクトも多数展示。バウハウスの舞台工房の中心的な人物であり、人間工学的授業で知られているオスカー・シュレンマーの代表作となる《三つ組のバレエ》も上映されている。そちらもじっくりと鑑賞してほしい。
画家、彫刻家、建築家、すべての造形活動を統合するというバウハウスの取り組みを紹介する第4章「『総合』の位相」を経て、東アジアの国々のなかでバウハウスに留学生を派遣した唯一の国である日本からの学生に注目したい。
これまで長いあいだ、バウハウスの日本人留学生は水谷武彦、山脇巌・山脇道子夫妻の3人だとされていた。しかし近年の研究により、ベルリンに移転したバウハウス学校に、4人目の留学生・大野玉枝が在籍していたことが明らかになった。第5章「バウハウスの日本人学生」では、その4人の日本人学生の活動を初めて一堂に紹介。初公開の作品も数々登場している。
本展の意義について、杣田は次のように振り返る。「日本にとってバウハウスは古いものではなく、日本のデザイン史においていまだに重要な位置にあると思う。また、日本が留学生を出したのは、リアルタイムでバウハウスの動向に注目し、それに学ぼうとしたことも示している」。
開校から100年を経て、現代デザインに大きな影響を与えてきたバウハウス。その教育方法やレガシーをぜひ会場で発見してほしい。