浮世絵を中心に1万4000点のコレクションを所蔵する太田記念美術館の開館40周年を記念した展覧会「肉筆浮世絵名品展―歌麿・北斎・応為―」が1月11日に開幕した。
分業によって生み出される版画ではなく、絵師が完成までを手作業で仕上げた肉筆画の浮世絵は貴重な存在だ。本展は、浮世絵の登場時から明治時代にいたるまでに名を馳せた、有名絵師たちによる一点物の肉筆画が、一堂に介する機会となっている。
まず、本展の最大の見どころは、葛飾北斎・応為の父娘の共演。北斎の《雨中の虎》(1849)と応為の《吉原格子先之図》(1818〜60頃)が並べて展示される。
《雨中の虎》は北斎が数え年90歳で世を去った没年の作で、2005年にフランスのギメ東洋美術館が所蔵する《龍図》と双幅になることがわかっている。晩年の北斎の濃厚な色づかいによる、迫力ある虎の姿を楽しめる。
いっぽう北斎の娘・応為の《吉原格子先之図》は、世界に十数点しかないと言われている応為の肉筆画のひとつ。吉原の妓楼・和泉屋を描いたもので、浮世絵らしからぬ光と影のコントラストには西洋絵画からの影響がうかがえる。また「応」「為」の文字と、応為の本名である「栄」の文字が隠されている提灯も、高度に光源の方向を計算して描かれたことがわかる。
喜多川歌麿の、手紙を読みふける遊女を描いた《美人読玉草》(1789〜01頃)。歌舞伎役者や遊女の半身を描く「大首絵」で有名な歌麿だが、全身像を描いた肉筆画では、より繊細な趣が感じられる。肉筆画は高級な絵具を使用することも多く、その色彩やグラデーション、模様の美しさは肉筆ならではの魅力と言えるだろう。
初期浮世絵が登場した17世紀後半、浮世絵の版画はまだ「墨摺絵」と呼ばれる単色刷りだった。菱川師宣の肉筆画は、版画では実現し得なかった鮮やかな色彩感覚をいまに伝えている。
宮川長春に始まる宮川派は、肉筆画を専門的に描いた浮世絵師の系譜として知られる。長春の門人である宮川一笑の《吉原正月の景》(1716〜36頃)は、吉原の華やかな正月を描いたもので、色とりどりの着物の花魁道中とともに、羽子板で遊ぶ花魁や、漫才をする太夫と才蔵の姿が認められる。
1765年には「錦絵」と呼ばれる多色摺りの版画が誕生。当時は、その創出に関わった鈴木春信の色鮮やかな浮世絵版画が高い人気を誇った。しかしながら、鈴木春信の肉筆画は少なく、本展に展示されている《二世瀬川菊之丞図》(1764〜72頃)は貴重な1幅と言える。
江戸時代後期の1800年代に入ると、歌川国芳・広重や、葛飾北斎が活躍する。歌川広重の代表作として知られる「天童広重」は、天童藩が藩内の富裕者への返礼として広重に依頼した一連の肉筆画のことで、《日光山裏見ノ滝》《日光山霧降ノ滝》《日光山華厳ノ滝》(1849〜51頃)の三幅対もそのひとつ。本作以降の広重は縦型の作が増えており、掛け軸の仕事で得た知見を、版画に援用したとも考えられている。
明治時代に入ってからの肉筆画も興味深い。河鍋暁斎《達磨耳かき図》(1871〜89頃)は、暁斎の達者な筆の運びがうかがえる作品。また、明治を代表する版画家である月岡芳年や小林清親の作品も展示される。小林清親《開化之東京両国橋之図》(1877〜82頃)は、陰影をふんだんに使用した光線画風の肉筆画だが、浮世絵ならではの大胆な構図が光る。
誰もが知っている有名絵師の一点ものを間近で楽しみながら、浮世絵の歴史をも追うことできる構成の本展。時代を超えて愛される作品の筆致を、ぜひその目で確かめてほしい。