「クリエイティブ・タイム」は、1974年にスタートしたNPO。パブリック・アートの草分け的存在として、これまで2000を超えるアーティストとともに、ニューヨークを中心に300以上のプロジェクトを手がけてきた。
「パブリック・アート」というと、広場の銅像のようなものがイメージとして浮かぶかもしれないが、クリエイティブ・タイムのプロジェクトの形態は多岐にわたり、パブリック・アートの汎用性を証明し続けてきた。
これまでは確立したアーティストとコラボレーションする機会が多かったが、今回始まった「オープン・コール」では、パブリック・アートを通じ社会とのつながりを追求する次世代のアーティストの育成と支援を目的としている。
初回に選ばれたのは、若手アーティスト、リサ・プーノの《The Privilege of Escape》。本作は、エスケープ・ルーム(脱出ゲーム)のフォーマットを取る作品だ。会場となったのはミッドタウンにあるオフィス・ビルの地下。「ある研究機関が行う実験に参加する」という設定で、開始時間になると白衣を着た「研究員」が、30名程度の「被験者」に対しゲームの説明を行った。
エスケープ・ルームはふたつ用意されている。参加者はグループAとBに分かれ、それぞれの部屋に入り、中に用意されたパズルを解いて部屋からの脱出を試みる。制限時間の45分以内に部屋から出られれば成功。ゲーム中、参加者の行動は逐一観察されると伝えられた。
筆者はグループBに振り分けられてゲームが開始。部屋に入ると、内部は一面赤い照明で照らされており、パズルの入れ物となる物体が各所に設置されていた。おのおのが部屋の内部を物色するなか、誰かが入り口の脇の巨大サイコロの鍵を開けることに成功。そこから図形のついた色とりどりの円盤がいくつも出てきた。ひとつのパズルを解くと、次のパズルのパーツが入手できる仕組みだと分かる。
入り口近くのモニターに「チームワークが成功への鍵」とメッセージが表示されると、見ず知らずの参加者同士がパズルの解き方について意見を交わし始めた。しかし、なかなか突破口が見つからない。
すると誰かが、「円盤の色に惑わされている」と指摘。部屋の一箇所、小さなエリアにだけ通常の色のスポットライトが当てられており、その光に円盤をかざすと、本当の色が確認できるのを発見。図形のパターン認識にフォーカスするあまり、全員気づいていなかったが、赤い照明が人工的な色盲状態をつくりだしていたことが判明する。
それ以降、参加者のスイッチが一気に入る。パズルの解き方を考える人たち、パーツをスポットライトエリアに運ぶ人たち、パーツの色を確認し、「これは赤」「これは青」とバケツリレーのように渡す人たちというように自然に役割が分かれ、効率よくパズルを解こうとするチームワークが生まれる。赤の他人だったとは思えないほどの一体感が部屋の中に漂っていた。協力の甲斐あって、着実にパズルは解けていったものの、色の確認に時間を要し、結果的に制限時間内に脱出することは叶わなかった。
ゲームが終わると、研究員によって別室に通され、グループAと合流。グループAは、時間内の脱出に成功していた。ゲームの感想が交わされるなか、研究員からふたつの部屋には、決定的な差があったことが知らされた。各部屋にあったパズルはすべて同一のもの。しかしチームAの部屋には、通常色の照明が灯されていたという。すなわちチームAは、真っ赤な部屋で色の認識を強いられたチームBに比べ、圧倒的に優位な条件でゲームを行っていたことになる。
ここで研究員から、いままでのゲームへの参加者を分析した結果として、興味深い情報が伝えられた。「通常の照明にアクセスがある」というなんの変哲もない条件が、チームBには付与されなかったことがわかった段階で、チームAの人々にはこの条件を「特権」とみなすようになる傾向が見られるという。そして優越感を覚えたり、チームBに入れられた人を「かわいそう」と思ったりと、情報を知る前にはなかった感情が生まれるそうだ。自分にとって当たり前だと思っていたことが、他者にとって手の届かないものだと分かった途端に「特権化」する現象そのものが、この実験のテーマだったという。
参加者は、誕生月を基準にそれぞれのチームに割り振られていたことも明かされた。「本人のコントロールが効かない属性」によって、「特権」の付与・剥奪が決定される設定は、人種、性別、年齢、健常性、セクシャリティを巡る問題と深く関わる点である。
「The Privilege of Escape」の作品としてのハイライトは、間違いなくこの畳み掛けるような種明かしの部分であった。「特権」に関する問題を入念に織り込んだ設定のスマートさと、それをエンターテイメント性の高いゲームに落とし込んだアイデアには感心したのだが、ひとつ問題があった。それは、人種も年齢もバラバラな人たちが一緒にゲームを行うなかで、おのずと生まれた非日常的な連帯感を目撃したこと。この経験は「人は全然捨てたものではない」という強烈にポジティブな余韻を残し、作品が本来想起させたかった問題を吹き飛ばしてしまうようだった。これはアーティストの意図した反応ではなかったかもしれないが、パブリック・アートという形態だからこそ生まれた、悪くない誤算のようにも感じられた。