活動期間はわずか10年。1980年代のアートシーンに衝撃を与え、いまなお世界的な人気を誇るジャン=ミシェル・バスキアの日本初大規模個展が、森アーツセンターギャラリーでついに開幕した。
バスキアの人生は、1960年から88年までの28年。この短い人生で、3000点を超えるドローイングと1000点以上の絵画作品を残したバスキアは、とくに没後、それも21世紀になってから、著しい評価の上昇が見られるアーティストだ。
それを象徴する出来事として、2017年には前澤友作が約123億円という高額で作品《Untitled》(1982)を落札。これはアメリカ人アーティストのオークションレコードとしていまも破られていない。
また18年には、パリのフォンダシオン ルイ・ヴィトンでそのキャリアを網羅する回顧展が開催され、同時開催のエゴン・シーレ展とともに注目を集めた。
今回、日本初の大規模個展となる本展「バスキア展 メイド・イン・ジャパン」は、世界中でバスキアの展覧会を企画してきたディーター・ブッフハートがキュレーションを担当。会場には、世界各地のプライベート・コレクションから集めた絵画やオブジェ、素描など約130点が並ぶ。
展覧会の核となるのは、バスキアと日本の関係性だ。バスキアが生きた80年代は、日本がバブル経済へ向かう好景気の時代。ソニーのウォークマンや、マンガを通じて日本に愛着を持っていたというバスキアは、82年秋に初来日し、翌年には三宅一生のモデルとして再来日する。同年、日本における初個展を東京のアキラ・イケダ・ギャラリーで開催して以降、87年までの間に合計6つの個展と9つのグループ展が行なわれた。この回数は、当時の日本におけるバスキア人気を物語るものだと言えるだろう。
こうした日本との関係は、バスキアの作品制作にも影響を及ぼした。それは本展出品作でも確認することができる。
例えば黄色と青のコントラストが印象的な《オニオンガム》の右上には「MADE IN JAPAN」の文字が書かれている(なお本展覧会タイトルはここから取られたという)。当時、質の高い電化製品や、オモチャなどに書かれた日本製を意味していた「MADE IN JAPAN」の印は、バスキアが時代性を巧みに取り入れていたことの裏付けでもある。
また日本経済の象徴でもある「¥(円マーク)」や「YEN」という単語を、バスキアはしばしばキャンバスの中に描きこんだ。こうした影響について、ブッフハートは「この展覧会を通じて、バスキアと日本の関係の深さ、また日本文化の西洋文化への影響を感じられるでしょう。バスキアは日本に魅了されていたのです」と語る。
本展は、こうした日本との関係性だけでなく、「自画像」「文字」「カートゥーン」「ドローイング」など、様々な角度からバスキアの姿を見ることができる。
約130点の作品を通し、バスキアのアーティスト人生の一端に触れてみてはいかがだろうか。