交流のあった人々を描いた肖像画や、娘・麗子を描いた作品、風景画などで知られる岸田劉生(1891~1929)。その画業の変遷を追う回顧展が、東京ステーションギャラリーで開幕した。会期は10月20日まで。
今回の出展作の総数は172点(展示替えあり)。本展の監修を務めた京都市美術館学芸課長の山田諭は、「劉生はほぼすべての作品に完成した年月日を入れていました。そのため私たちは劉生がその時々に何を考え、描き、どう変わっていたのかを正確にたどることができます。画業の初めから終わりまで、その連続性を追える構成が本展のポイントです」と語る。
東京・銀座に生まれて14歳で父と母を亡くし、キリスト教の洗礼を受けた劉生。しかし21歳でその教理を捨て、1911年の春に雑誌『白樺』でゴッホやゴーギャンなどポスト印象派の画家たちと出会う。これらの作品に衝撃を受けた劉生は鮮烈な色彩を用いた大胆な作品を手がけ、画家として「第二の誕生」を果たすこととなる。
しかしその後、後期印象派風の表現に疑問を持ち、一転して写実の道を探求。会場には、友人を次々にモデルとし「首狩りの劉生」と呼ばれた劉生が手がけた肖像画の数々が並ぶ。
肖像画に並んで注目したいのは、自然と人間の葛藤を風景のなかに見出した《道路と土手と塀(切通之写生)》。また、見るものを存在論的な思考に導く《壺の上に林檎が載って在る》などの作品には、16年に結核の誤診を受け活動を室内に制限されながらも、「実在の神秘」を描こうとした劉生の探究心を垣間見ることができる。
そしてその直後に制作されたのが、《麗子肖像(麗子五歳之像)》。モチーフとなった娘・麗子は、同作について後に「この最初の(油彩の)五歳之像には父の気持ちにやはり何か特別なものがあった気がする」と記している。会場には、油彩だけでなく水彩や木炭を用いて、その成長の節目を写し取るように描かれた様々な「麗子像」が並ぶ。
こうした写実的な作品群を経て「東洋の美」に目覚めた劉生は、22年頃から独学で日本画の制作を開始。宋元画をはじめ東洋古美術の収集に没頭しながら、自身でも浮世絵や野菜、花などの静物を描いた作品を手がけるようになる。本展ではあまり時間をかけずに制作された、軽やかな作品群にも注目したい。
作品は小さく、誰かが愛蔵してくれるものが良いと語り、自身が満足に書ききった完成作のみを遺した劉生。丁寧にその人生と画業の変遷を追った本展では、劉生が小さな画面に込めた、近代日本における古典的な画家としての矜持を感じることができるだろう。
なお本展は山口県立美術館(11月2日~12月22日)、名古屋市美術館(2020年1月8日~3月1日)に巡回予定。劉生最期の地となった山口では、貴重な絶筆作品も展示される。