日本はもちろん、アジア、欧米と世界に活動の場を広げる加藤泉だが、原美術館の個展「加藤泉―LIKE A ROLLING SNOWBALL」は、東京の美術館では初の個展となる。
じつは、加藤泉は原美術館に恩義がある。というのも、加藤が招聘された2007年のヴェネチア・ビエンナーレ国際美術展のディレクター、ロバート・ストーを引き合わせたのが原美術館だったのだ。それがきっかけとなって出展が決まり、その際の展示作品は、その後、原美術館が所蔵することになる。世界のアートシーンへの足がかりをつくった原美術館で、しかも来年12月には惜しまれながらの閉館というタイミングで選ばれた個展。アーティストの思いも強い。
「恩と縁があった原美術館で、東京初の個展ができるのは非常に幸運なこと。ここまでモチベーション高く制作に臨んできました。ハラ ミュージアム アークのほうでは初期の絵画作品から近作まで過去25年の制作の流れを見せますが、原美術館のほうはいまの仕事をきちんと世に見せたいという思いがあります」
その思いもこめて、パリの「Idem Paris」(イデム・パリ、以下イデム)で制作したのが、リトグラフによる展覧会限定のポスター作品だ。加藤自身の手で描かれた展覧会タイトル「IZUMI KATOーLIKE A ROLLING SNOWBALL」の文字。タイトルを決めた加藤本人が言う。「ボブ・ディランの曲に『LIKE A ROLLING STONE』がありますが、むしろ人生は雪だるまのようなものじゃないかと思ったんです。ころがっていろんなものを巻き込み、割れたりして進んで、やがてなくなっていく……」。
リトグラフの夢と歴史が交差するイデム
イデムは、パリのモンパルナス地区でリトグラフの伝統と伝説を受け継ぐ版画・印刷工房だ。いまから約140年前の1881年に印刷技師のエミール・デュフレノワによって工房が設立され、1930年代には地図の印刷工房となり、そして1976年にはパリ屈指のリトグラフ工房であったムルローがここに拠点を構える。ムルローは、リトグラフ印刷の名手で出版も手がけたフェルナン・ムルローを中心に、マティス、ピカソ、ミロ、シャガールなど20世紀美術の巨人たちとともにリトグラフ作品を生みだしてきた名工房だ。
1997年にはオーナーが現在のパトリス・フォレストに代わり、名称も「Idem Paris イデム・パリ」となったが、長い時間を重ねてきたプレス機や職人はそのまま継承。巨匠たちも使ったであろう膨大な数の石版が壁一面に積まれる。大きなガラスの天井窓から差し込む光と黒い機械のコントラスト、独特のインクの匂いとプレス機の回転音、そして堆積したアーカイブ……。そのすべてがイデムの特別な空気をつくり、時を超える夢想へと人を誘う。
オーナーは、錚々たるアーティストたちと版画を制作してきた伝統を受け継ぎ、印刷・版画の受注とは別に、「この人」と決めたアーティストとのコラボレーション制作を続けている。そこにはソフィ・カル、JR、デヴィッド・リンチ、ウィリアム・ケントリッジ、ポール・マッカーシーといった世界的なアーティスト、日本人では森山大道、やなぎみわらの名が並ぶ。なかでも「ここで仕事ができるなんて夢のようだ」と語った映画監督のデヴィッド・リンチの思いは特別で、イデムを舞台にした映像作品を残しているほどだ。
アーティストの1人に加藤泉が選ばれたのは2016年。2007年のヴェネチア・ビエンナーレ国際企画展への招聘、そしてパリのギャラリー・ペロタンの個展などを経てすでに海外での評価を確かなものにした頃だ。
「この工房を舞台に小説を書いた友人の原田マハさんや、キュレーターの紹介もあって最初は見学のつもりでここにきました。版画には正直まったく興味はなかったんですが、訪れたこの場所があまりに素敵で。もともとインダストリアルなものは趣味が合うんです。ピカソやマティスといった誰でも知っている巨匠と仕事した工房で、しかもその時代の石版も残っているなんてちょっと夢があるじゃないですか(笑)。工房をいろいろ見ていたら自分が東京で買ったデヴィッド・リンチの版画の原版まであった。そこで『試しに一枚やってみたら』と言われて初めて刷ったんです。そうしたら後日オーナーのパトリスから『コラボレーションしませんか』と連絡がきた。いろんな偶然が重なっていまがあります」。
イデムが「プロジェクト」と呼ぶアーティストとの協働制作では、選ばれたアーティストは何度でもここへきて自由に制作ができる。加藤泉は以来毎年パリに足を運び、今年は4回目の滞在制作になる。いまではもう工房の職人やスタッフも友人。加藤にとってイデムはまるでパリの「家」のような存在になった。
アルミ版が主流になったリトグラフの世界だが、ここイデムでは石版を使ったプリントも健在だ。巨大な石版は限られているので、リンチ、ケントリッジなどと同じ石、同じ印刷機を使って印刷をする。加藤の前にケントリッジが同じ石版で刷っていた、ということもある。刷りが終わると表面を研磨剤で削り、次のアーティストの筆を待つ。それは、いくつもの作品が同じ石から生まれるリトグラフならではの継承の物語でもある。
「工房」という上等な道具を手に入れた感覚
リトグラフは、石版や亜鉛版に油性の顔料で描線を描くことから始まる。ドローイングのように自由に描けるところがエッチングやシルクスクリーンなどほかの版画技法と違う点で、結果にもその自由度が現れる。この油性の顔料を、硝酸とアラビアゴムを使って定着させ、版をつくる。
こうしてできた版を使って、プレス機で印刷するのだが、石版、アルミ版を問わず古い機械は版面を揃えるのに細かな調整を必要とする。時間をかけて準備したら熟練の職人が複数人がかりで紙を差し入れ、丁寧にプレス機を回し、ようやく一枚のリトグラフ作品が誕生する。筆者が訪れたときは、ちょうど原美術館の展覧会限定リトグラフが刷られているところだった。これは、イデムの工房内に昔から貼られていたゴッホやシャガールなどの展覧会ポスターのオマージュとして制作されたリトグラフとのことだ。
美しい黒を得るには、一度グレーで刷ったものの上にさらに黒を重ねるという2つの工程を経ないと微妙な色が得られないという。多色刷りならさらに1色ずつ刷りを重ねる。熟練の職人でなければわからない調色の具合。アーティストの思い通りの色を、職人と相談しながらつくっていくことになる。
これまでの絵画や彫刻とは違う「他者が介在する」リトグラフを、加藤泉はアーティストとしてどうとらえているのだろうか。
「僕は作品が良くなるのであれば誰が入ってもいいと思っているんです。僕にとってリトグラフは、ドローイングやタブローと同じで完全にひとつの『作品』で、複製をつくるとか量産するという意識はまったくないですね。『刷る』という行為には職人の手と機械が入る点でまったく違っていて、『違う』からこそやる意義がある。絵では生まれないものができてくるところが面白い。気温や湿度で色の濃さが変わったり、石版なら『石の情報』も作品に入ってくる。僕の知らない技術がいっぱいあって、それを相談しながら職人と仕事をすることがとても新鮮。イデムという『上等な道具』を手に入れて、それを使って新しい表現をしている、そんな感覚ですね」。
「昔から巨匠たちの作品をつくってきた職人のトゥンさんはすごい。判断が早いんですよね。僕がやりたいことをすぐに実現してくれる。色あわせひとつ取っても、僕が色見本を見せるとその調合をすぐにしてくれる。版画は刷ったときに紙の色が透ける。下に色が刷ってあればそれも透けますよね。それをすべて把握して色を決めないといけないので、とても複雑で繊細な仕事なんですが、ともかくトゥンさんは早い(笑)」。
身体性、絵画的表現を得た、加藤ならではのリトグラフ
実際、「版画」「プリント」と言葉では表すが、リトグラフはその独特の風合いやアーティストの息づかいが伝わるような描線がほかの印刷技法や芸術表現にはない唯一無二の作品性を生みだす。加藤も、版面に直接、デッサンなしに描き始める。「下絵があると作品をコピーするようなもので、あまりいいものが生まれない」のがその理由だ。「なんとなく」始めると彼は語るが、そこには長年の創作の末に得た、本人も意識しない身体的、直感的な動きがあるのだろう。だからこそ彼ならではの表現へと昇華される。
「最初から頭で考えてつくったものは、だいたい良くならないです(笑)。わからないまま進めていって、後から理屈でわかってくるともうそのシリーズは終わり、みたいな。でも最近は素材も奥が深く、始めるとなかなか終わらないこともわかってきました。刺繍、石、版画など素材や技術が、いまはわりと自在に使える感覚があって、やはりアーティストとしてのスキルは上がっている気がします。どうなるかわからないけれど、自分の中では『いける』という判断があって進めていく。言葉ではうまく説明できないんですが、僕のなかでははっきりとしています」。
リトグラフにおいても、あの出芽する生命の源泉を探るような両性具有的な人物像は変わらず息づく。しかも今回は、上半身と下半身が分断され、あとから刺繍で「縫合」されたり、顔に縫い目が施されたり、リトグラフを石に張った新しい作品の試みも見られる。この「人らしき」モチーフについても改めて尋ねてみた。
「これは『人』なんですが、見る人が『人なのか、別の生命体なのか』などと考えるだろうと思ってつくっています。人型のほうが人間はいろいろ考えるんです。これが犬や猫だと『かわいいね』で終わるけれど、これがなんだかわからないのは『人型』だからなんです。美術史上にも人型は相当あるので、見る人の目も厳しくなるし、逆にチャレンジのしがいもあるんですよね」。
「僕がなにを考えてつくっているかということより、見る人がどう感じるかのほうが重要で、僕はこう思っているというのを相手に説明しないようにしています。もちろん考えていることはたくさんあるんですが、それが具体的に表出しないようにしている。そこはかなり意識していて、だから僕の作品はポーズをとらない。具体的な動きをつくるとそのイメージしか伝わらないので、なるべく見る人がいろんなことを考えられるようにつくっています」。
絵画、彫刻、リトグラフ、そして石や糸、ソフトビニールなど、手法と素材が時の経過とともに変化、広がってきた加藤泉。しかし、その目に見える表現の変遷の奥で、加藤のアーティストとしての根幹の部分もまた静かに進化をつづけてきたのだろう。そんな加藤の「いま」が、リトグラフを創りだしていた。