表現に対する情熱の力によって、自らを取巻く障壁(Walls)を、展望を可能にする橋(Bridges)へと変え得た5人のつくり手を紹介する展覧会「Walls & Bridges 世界にふれる、世界を生きる」が、東京都美術館で開幕した。
本展では、東勝吉(1908〜2007)、増山たづ子(1917〜2006)、シルヴィア・ミニオ=パルウエルロ・保田(1934〜2000)、ズビニェク・セカル(1923〜1998)、ジョナス・メカス(1922〜2019)といった、まったく異なる背景を持つ5人による絵画、彫刻、写真、映像作品が集結。「記憶」という言葉をひとつの手がかりに、それぞれのアーティストが歩いた創造・想像の軌跡をたどる。
展覧会の担当学芸員・中原淳行(東京都美術館学芸員)は開幕にあたり、本展について次のように語っている。「今回の展覧会は、『創造』と『想像』をキーワードとして考えています。彼らはつくることで、より良く生きるということを目指した人間です。もし『創造』を『想像』と同義でとらえるならば、私たち鑑賞者もその体験に重なり合うことができるのではないかと思います」。
展覧会は、ジョナス・メカスの映像作品《歩みつつ垣間見た美しい時の数々》(2000)と、自ら撮影したフィルムの一部を選んでプリントした「静止した映画フィルム」シリーズから始まる。
リトアニアの小村に生まれたメカスは、第二次世界大戦終戦後に難民キャンプを転々とし、ニューヨークに亡命。英語も話せない状況で、アイロンかけなど低賃金の仕事をしながら極貧と孤独な生活を送った。
そんななか、メカスはスイス製の映画カメラ「ボレックス」を借金して購入し、身の周りの撮影を開始。後に「日記映画」と呼ばれるメカスの映画は、ハリウッドの商業映画とは異なり、友人や家族、自然をとらえることでホームムービーのようなものとして成立した。
次の展示室には、岐阜県旧徳山村の農家の主婦だった増山たづ子の写真作品が集まる。ダム建設のため村が水没となることを受け、増山は60歳から全自動のフィルムカメラを使い撮影を開始。28年間での撮影総数は約10万カットで、彼女自身が整理したアルバムは600冊にもおよぶという。
本展では、そのうち約400枚が展示。農作業に従事する女性や子供たちから初詣や盆踊りなどの行事まで、老若男女を問わず、豊かな自然に恵まれた村や村人の素直な姿が記録されている。
増山と同じく非職業的なつくり手だったのは、大分県日田出身の東勝吉だ。長年木こりを仕事としていた東は、78歳のときに由布院の老人ホーム温水園(ぬくみえん)に入所し、園長から水彩絵具を贈られたことをきっかけに風景画の制作を始めた。
亡くなるまでの16年間で、100枚以上の水彩画を残した東は、戸外での写生ができないため風景の写真を周囲に頼み、自らのビジョンをもとに作品を制作。また、木こり時代に「国宝」になると見定める木を伐らずに残したという東は、その作品のなかで自然に対する敬意も表している。
本展の最後の展示室には、シルヴィア・ミニオ=パルウエルロ・保田とズビニェク・セカルの作品が並ぶ。
保田は、パリ留学中に彫刻家を志す日本人の青年・保田春彦と出会い結婚。本来、つくり手になることを目指していたが、子供を授かってからは育児に専念し、家族が寝静まった夜半に制作を行っていた。敬虔なクリスチャンだった保田は、キリスト教を作品の主題に採り入れただけでなく、その作品は切実な祈りの結晶のようなものでもあった。
いっぽうのセカルは、戦後のチェコを代表する彫刻家のひとり。プラハ生まれのセカルは青年時代に反ナチス運動で強制収容所に送られ、過酷な拷問にかけられたとされている。収容所からの解放後、美術を学んで装丁などグラフィックデザインを生業とし、60歳を過ぎてからは箱状の立体作品を制作し始めた。その箱は収容所での記憶を収めたものでありながら、絵画のような平面的な構造の作品もある。
こうした人生に接点のない5人のつくり手たち。中原は、「コロナ禍でアートや美術館が不要不急という話がありましたが、少なくともこの5人にとってアートは大変必要なものでした。そのものをつくるという創造行為によって、彼らは自分の人生をまっとうした人たちだと言えます」と述べている。
なお、会期中には本展の出品作品を、全身を使って味わってみるダンス・プログラム「ダンス・ウェル」をオンラインで実施。年齢、障害の有無などにかかわらず、すべての人々が参加できる。
まったく異なる背景を持ちながら、表現へといたる情熱に共通する5人のつくり手。その「生きる糧としての芸術」をぜひ会場で味わってほしい。